5話 契約
友哉は次の日にいつものように一番乗りで出勤すると、秘書室の全員の机を拭き、出勤してきた人たちにお茶を出す。
特に命じられているわけではないが、運転手仕事だけで高額の給与を貰うことに気が引けてせめてできることを考えて自主的にしていることだ。
他にも時間があるときには車の整備や掃除はもちろんだか、他の社員のコピーを取ったり、資料のまとめを手伝ったりしている。
そのためか、秘書室のエリートコースの若手社員からも評判は悪くない。
もっとも彼らはあくまで上から目線で、使えるブルーカラーという意識だが。
そのうちに奈保が出勤する。
彼女は会長付きの特別扱いで個室がある。
友哉がお茶を持っていくと、彼女は彼を見てニッコリと微笑みながら立ち上がり「昨日は楽しかったわ」と言って、キスをしてきた。
友哉はお茶を溢さないように机に置いて、それを受ける。
「ふふっ、でも二人のことは社内では秘密よ。親密な関係にあるような態度をとらないでね」
そう言うと奈保は仕事モードになったのか真顔になり、「ありがとう」と言って座ってパソコンを見始めた。
友哉は「失礼します」と部屋を出ながら、自分がもて遊ばれているようであまり愉快な気持ちにはならなかった。
しばらくすると会長室に呼び出された。
社長の正彦もいる。
何事かと緊張して直立する友哉に士郎がにこやかに話しかける。
「奈保に付き合ってもらってすまなかったな。
あの娘の様子に驚いたことと思う。
少し話をさせてもらっていいかな」
友哉は嫌な予感がした。会長の家族の秘密など知りたくもない。
彼女との縁は一日のお付き合いを百万円で買われたことで終わらせたかった。
「会長のご家族のお話など恐れ多い。
私はここで失礼します」
「待て!会長の言葉に従わないのか」
正彦が立ち塞がる。
「これは仕事ではないと思いますが」
友哉は臆することなく正彦を見下ろして言い返す。
「何を!」
睨み合う二人の間に士郎が割って入る。
「正彦、こちらはお願いする立場だ。もっと丁寧に頼むものだ。
北郷君もそうツンケンするな。
君にとってもいい話だと思うぞ。まあ座ってくれ」
士郎の貫禄に負けて友哉は椅子に腰を掛ける。
「単刀直入に言おう。
奈保はアメリカで悪い男に引っかかり、麻薬漬けにされた。
その治療は行ったが、発作的な性依存症、男性恐怖症などの後遺症が残っている。
特定の男性と継続的な関係を持てればそれも良くなるらしい。
幸い奈保は君のことが気に入ったようだ。
しばらく付き合ってくれんか。
もちろんそのための報酬を与えよう。
君も借金で困っているんじゃないのか。
お互いにメリットのある話だと思うが」
士郎の話を聞いたあと長い時間、友哉は黙って俯いていた。
「貴様、いつまで黙っている!」
と言いかける正彦を士郎が抑える。
ようやく顔を上げた友哉は大声で笑い出した。
「何がおかしい?」
訝しげな士郎達に友哉はなおも笑いながら言う。
「言うに事欠いて、借金漬けにしておいて借金で困っているだろうはないとおかしくなりましてね。
うちの母親に甘言を弄して金を貸し、その利息で借金を膨らましたカコムというサラ金は河村産業の子会社じゃないですか。
よく言いますよ」
(そこまでは知らなかった)
友哉の調査は十分に行ったが、サラ金の会社名までは調べなかった。
迂闊だったと士郎は焦る。
「ならばこの件は断るのか」
士郎の質問に友哉は答える。
「やりますよ。
アンタたちの言う通り、金に困っているからな。
お嬢様の人形になることで大金が入るならどんな踊りでも踊ってやるよ」
そう言い捨てる友哉に正彦が喰ってかかろうとするが、彼の物凄い目つきを見ると何も言えなかった。
「では交渉成立だ」
士郎は焦る内心を隠し、冷静な顔を装いながら契約書を見せる。
その内容は、奈保の要求があれば友哉は最大限にそれに応じること、その時給は1万円とし、夜のサービスについては時給を5万円、更に満足度が上がれば特別ボーナスを支給するというものである。もちろんこの全てに守秘義務を課している。
そして前払いとして200万円を渡される。
友哉は無言で受け取りながら、身売りのようだと屈辱を感じるが、妹が風俗に売られそうになったことを思えばこのくらい何でもないと言い聞かせる。
「奈保は何も知らない。
純粋に恋愛関係にあるように振る舞ってくれ」
士郎の言葉に続いて、正彦が言う。
「約束を破ったら弟妹がどうなるか。
こちらには荒仕事に慣れた連中もいるからな」
「はい、金を貰えば約束は守りますよ」
(コイツラはいつもこうだ。金と暴力でなんとでもなると思っていやがる)
友哉は内心の嫌悪感を隠し、笑みを浮かべながら頷いた。