2話 彼の立場
「友哉、お前に河村産業の運転手にならないかって話が来てるぞ」
深夜、今日の業務を終えて会社に戻った北郷友哉に社長が話しかけた。
「はあ?」
友哉は間抜けな声を上げる。
河村産業といえば、この小さな運送会社の仕事相手の何段階か上の親会社。
手広い業務を急成長させた大企業である。
「なんでそんなところから話が?
おやっさん、働きすぎで寝惚けたんでしょう。
それより明日も早いし、帰って寝ますわ」
友哉は相手にせず、なおも言いかける社長を置いて日誌を付けてとっとと家に帰る。
「お兄ちゃん、お帰りなさい」
ボロい2kのアパートでは、妹の恵がご飯を作って待っていた。
もう時刻は日が変わる頃である。
「恵、ご飯はありがたいが待ってなくていいぞ。早く寝ろ」
「どうせ勉強してたから。拓哉は先に寝てるわ」
恵は高校3年生、拓哉は1年生。
今の友哉の願いはこの二人を大学に進学させてやることだった。
(くそっ、あのクソババアが金を洗いざらい持ち出した上に借金までしなければ進学資金くらい親父が残しておいてくれたのに)
「お兄ちゃんもこんな深夜まで働かなくていいのよ。
あたしは奨学金貰うか、学費のかからない防衛大学校を目指しているから、学費のことは心配しないで。
本当は高校出たら働いて一緒に借金返せれば良かったんだけど…」
「それは言わない約束だろう。
オレはお前達を大学にやることが生き甲斐だ」
母親は借金の挙げ句、男と夜逃げし行方知らずだ。
親の借金とはいえ、親戚や知人からの借金を返さない訳にはいかないし、サラ金はヤクザが借金の取り立てに来て、恵を風俗で働かそうと攫っていくことまでした。
友哉は建築士という夢も諦めて、身を粉にして弟妹のために働いていた。
(それにしても河村産業の運転手か。本当なら今より実入りは良くなるかな)
友哉は河村産業にはいい思いがないが、収入の為なら大抵のことには我慢する覚悟はある。
なにかの間違いとは思うが、少し期待した友哉は次の日に何もなかったかのように仕事を言いつける社長にがっかりするが、ここは出来高払いの職場だ、友哉はそんなことは忘れて遮二無二に働いた。
しかし、そんな彼にアクシデントが続く。
最初は高校生らしいヤンキーが友哉の停車中の車に自転車を当てて、金払えと因縁をつけてきた。
友哉は「停車してる車に当てたので謝罪に金を払うと言うのか。ありがたいが未成年から金を取らねえよ。今後は気をつけろ」と睨みつける。
大きなガタイに鋭い目つきの友哉に立ちはだかれて、ヤンキーは震え上がった。
これまで母親の愛人のチンピラと殴り合い、サラ金絡みのヤクザに連れ去られた妹を取り返すために暴力団事務所に乗り込んだこともある友哉にとって不良高校生など屁でもない。
仲間の手前逃げるわけにもいかずヤケクソのように掛かってきた相手を加減しながら蹴り飛ばし、倒れた相手の急所に片足を乗せる。
「このままタマと竿を潰してやろうか。一生、女は抱けなくなるがな」
ニヤリと笑う友哉にヤンキーは泣いて許しを請う。
友哉はその様をスマホに撮り、小指をへし折ると、二度とツラを見せるなと脅して解放してやる。
次は二日後に、荷主先で荷物を乗せているときだった。
向こうからスマホを見ながら歩いてきた派手な服を着た水商売風の女が友哉にぶつかり、転んだことに文句を言ってきた。
転んだ先には水溜りがあり、服がドロドロになっていた。
(勝手に当たって転んだだけ。オレの知ったことか)
と無視して作業を続ける友哉に女は喚き、掴み掛かってくる。
通行人が振り返る中、流石に作業を止めた友哉に、女は「アンタ、なかなかいい男じゃないの。この弁償はいいからあたしといいことしない」と囁いてきた。
友哉が相手にせず、「これ以上言うなら警察を呼びますか。そちらが当たってきたことは一緒に荷物を運んでいたこちらの社員の方に証言してもらいますよ」と大声で突き放すと、女は悪態をつきながら去っていく。
夜、帰社したときに社長に愚痴を言うと、「そりゃ不運だったな。でもいいこともあるぞ。前に言っていた河村産業の運転手の件、やらないかと聞いてきた。
他を当たったら断られたようだ」
友哉が社長の手書きで書かれたその条件を見ると、会長や役員の送迎が仕事で勤務日・時間は不定、給与は月収50万とあった。
今より楽な仕事で報酬は増える。
友哉はこの好条件に疑念を抱くが、駄目ならまた運送業に戻れば良いと話に乗ることにした。
彼の承諾を聞き、士郎と正彦は安堵する。
「まずは第一段階はOKだな。
ガキの脅しも色仕掛けにも動じず、なかなかの腹の座り具合だ」
士郎の言葉に正彦も頷く。
彼らはヤンキーや女を雇い、友哉の行動を隠しカメラで撮らせて彼を試験していた。
「弟妹という弱点があることもいいですね。
こちらで上手くコントロールできそうだ」
そして同席する秘書室長に言う。
「早速、彼を雇ってお前がその上司となり、テストして行動を観察しろ。
特に夜の精力を調べる必要がある。
私や父も機会あるごとにその車に乗って人となりをみる」
河村産業で面接があり、友哉は採用となった。
運転に与えられた車はこれまで乗ったことのない高級車。
運転には慣れているが、万が一にでも当てたりする訳にはいかないと友哉は少し緊張した。
最初は上司となる秘書室長を乗せて、あちこちと行かされた。
中谷というその男は車中で色々と話しかけてきた。
フランクに友哉の緊張を解そうとする中谷に友哉は好感を持った。
言われたところを数時間かけて巡ると帰社する。
「ご苦労さま。流石に運転は上手いな。
ただ、今までの癖だろうが、スピードを出しすぎる。
もう運送業じゃないぞ。会長や社長というVIPを乗せるんだ。安全第一でやってくれ」
中谷は友哉に注意した後、声を和らげて言う。
「今日は君の歓迎会だ。
ちょっと付き合ってくれ」
友哉はこれまでひたすらに働き、家に帰り泥のように寝るだけで、飲み会など行ったこともなく、酒もほとんど飲んだことがない。
しかし、その雰囲気では断るわけにも行かず、妹にメールして、飲み会に同行する。
高級店らしい店に集まった秘書室の面々は高級スーツを着た優秀そうな若手社員や着飾った美人秘書ばかり。
一人、格安スーツにはち切れそうな筋肉を包んだ友哉は疎外感を感じざるを得なかったが、中谷が上手くフォローし、友哉も話の輪に入ることができた。
しかし若手社員からはいかにも見下された物言いをされ、秘書達からはその筋肉を珍しがられて、触られたりしていた。
(珍獣だな)
友哉はその扱いにそう思うが、ここは我慢と話を合わせる。
ようやくお開きになり、やっと開放されたかと思うが、中谷は友哉だけに声をかけて二次会だと連れて行く。
「おい、北郷。いいところに連れて行ってやるよ」
その先はソープランドの赤いネオンがあった。
「今日は奢りだ。
お前には若い者向きのお姉さんを頼んでおいたぞ」
そういう中谷に友哉はガッカリした。
「オレはそういうのは結構です。家で弟妹が待っているので帰ります」
そういう友哉に中谷は「そんなことで仲間とやっていけるか!お前は協調性を持て!」と怒鳴りつけて店に引きずり込む。
(金の為だ。我慢だ)
友哉は給与を思い浮かべて、中谷に従い、言われるがままに店の女と部屋に入る。
そして事が終わると、友哉は中谷を確認せずにさっさと帰宅した。
「どうだった?」
「最高よ。刺激してやったら4回も出したわ。
もう今日は他の客は取れない。その分も出してよ」
店の女の返事に中谷はほくそ笑む。
これなら合格だ。
ストレスのせいか奈保は一晩で2回、3回と求める。
それに応えられる男でなければならない。
「合格ですね」
中谷は早速会長に結果を報告した。