1 彼女の事情
「ああ、いい!いく!」
白い豊かな胸を揺らし、男の上に跨った奈保は、美しい顔を歪ませて叫ぶ。
「もっともっと!」
やがて男が果てるのと同時に絶頂に達した奈保は、暫く放心状態となるが、やがて目が覚めたように「出て行け!」と男に怒鳴りつける。
豹変した彼女に怯えるかのように男が部屋から出ていくと、部屋の中からは大きな泣き声が聞こえてきた。
「こんなことがいつまで続くの!
もう死にたい!」
その様子をビデオで見ていた精神科医はため息をつきながら、暫くじっと考え、おもむろに外に呼びかける。
「入ってきてください」の声に応じて、見るからに高価な衣服を纏った精悍そうな初老の男が部屋に入ってくる。
「先生、奈保はどうですか。良くなってますか?」
「いや、改善していません。むしろ悪化しているかもしれません。
根本の麻薬中毒の治療は順調ですが、そこでの抑圧が性行為の快楽を求めているようでセックス依存症となり、更に事後の自己嫌悪が激しい。
このままでは、行為後に発作的に自傷する恐れがあります」
医者の淡々とした口調と対象的に男は興奮したように言葉を発する。
「くそっ。
なんであの娘がこんな目に合わなきゃならんのだ!
あの井藤という男に騙されなければ」
ひとしきり嘆き怒った後、男は疲れたように、黙って聞いていた医者に言う。
「起こったことを悔いても仕方ない。
それで先生、少しでも奈保が良くなる方法を教えて下さい」
医者は難しい顔をしながらも、自分の考えを男に話した。
初老の男が部屋を出ると、若い男が寄ってきた。
若い男が心配げに聞く。
「父さん、奈保はどうだった?
良くなりそうかな」
初老の男は黙って歩き、車に乗ってから重い口を開いた。
「医者の話では麻薬中毒はかなり良くなっているようだが、強い治療をしたための副作用で性依存症になり、気が昂ぶると性行為を激しく求めるそうだ。
世間体は問題あるが、本人がそれを気にしなければ身体的には問題なく、徐々に収まるのではないかと言っていたが、それまでが問題だ。奈保は元が真面目な子だ。不特定な男との性行為を事が終わると悔やみ、自責して止まない。
このままでは精神がやられて、自傷や自殺もあり得ると言われた」
「じゃあどうする。
このまま放って置くわけにはいかないよ。
奈保が可哀想で、見ていられない」
若い男は呻くように言う。
そこで車から降りると、二人は河村産業という看板のある大きなビルの中に入り、受付嬢に「士郎会長、正彦社長お帰りなさい」と迎えられ、会長室と書かれた部屋に入る。
「医者からは提案として、愛する男と結婚しての性行為ができれば一番治るのも早いだろうと言われた。
それは一理あるが、相手が問題だ。
我が社の財産狙いや経営陣に入ってこようとする奴では困る」
父士郎の言葉に正彦が顔を歪めて言う。
「確かに。
しかし、あの井藤という男は利益狙いを超えた異常者、サイコパスでした。
あんな奴に捕まった奈保が哀れでならないです」
その言葉に士郎は当時のことを思い出す。
一代で始めた事業が拡大したため、海外進出も視野に入れ、優秀な娘の奈保を留学に出した。
当初、順調に学業に人脈作りにと頑張っている様子をよく伝えてきた奈保だったが、一年半を過ぎた頃に井藤咲也という男と付き合い始め、いずれは結婚したいと言ってきた頃からおかしくなってきた。
それから数ヶ月経つ頃には、何千万円という金が引き出されて、連絡も取れなくなっていた。
急いで現地に駆けつけ、金に糸目をつけずに探させたところ、麻薬漬けにされ、見知らぬ多くの男に抱かれて喘いでいる無惨な姿の娘を見つけた。
調べると井藤という男は、生まれも容姿も良く高学歴で文句のつけようのない経歴であったが、良家の子女を貶めて喜ぶ異常者であり、他にも何人もの女性を悲惨な目にあわせてきていた。
奈保を発見したときに井藤を捕まえた士郎は、嬲り殺しにしようとしたが、拷問にかけて右足を切り落としたところで奴の仲間に助け出されてしまった。
その時に井藤は士郎と奈保を睨みつけ、「この恨みは必ず返すからな」と言い捨てて姿をくらませた。
士郎はそれから彼のことを調べさせているが、闇の世界に消えたまま出てこない。
それから士郎は奈保を病院に入れて治療させ、身体は治り、あとは精神科医に通いながら自宅療養させようとしたが、彼女が何もしないと悪い思い出ばかりが蘇り、おかしくなりそうだというのを受けて、自分の会社に入れて秘書として働かせている。
彼女は優秀でその働きぶりは素晴らしく、仕事については士郎も兄の正彦も頼りにしているが、何らかのスイッチが入ると発作のように男を求めて我慢できなくなる。
腹心の秘書室長にだけ事情を話し、発作が起きると、男娼を買わせてホテルに送り込んで処理している。
しかし、奈保は事が終わると当時の記憶が蘇り、男娼を怒鳴りつけて追い出し、酷く後悔し自分を責めるのが常であった。
精神科医も特別な処方はなく、気にしなければ問題ないと言うばかり。
どうしたらいいかと思い悩むところに今回の医者の提案であった。
士郎と正彦は、奈保の結婚相手の条件を話し合い、次の条件を考えだした。
①身体壮健にして奈保の求めに十分に応えられること
②真面目で真っ当な倫理観を有すること
③奈保を本心から愛しているか、さもなければ金銭に困っていること
「最低この3つの条件は満たす必要があるだろう。
①②は当然だが、③が問題だ。
一応とはいえ奈保と籍を入れれば河村家の一員となる。
なまじ頭のいい奴でこの会社の経営に口を出す恐れがあるなら、金で縛れる奴がよかろう。
いっそ遊び人で金だけ渡せば満足するような奴がいいかもな」
士郎の言葉に正彦が反論する。
「大前提として奈保が気に入ってくれなければなりません。
真面目ですから遊び人を好きになるとは思えませんが」
「なるほどな。
いずれにしてもこの条件で探してみよう。
話はそれからだ」
そして士郎は秘書室長に内密に、身体が丈夫で真面目で金に困っている奴が居ないかグループ会社などで調べるように指示を出した。
一見すぐに見つかりそうだが、真面目で金に困っているというのはなかなかおらず、居ても深く調べると問題があった。
もっと範囲を広げて調べさせるが、その間にも奈保の精神が危なくなり、自傷の未遂行為が起きたことに士郎達は焦りを募らせた。
「会長、いました!
ちょうど良さそうなのを見つけました!」
ある日、秘書室長が紙を持って会長室に駆け込んできた。
士郎と正彦はまたかという顔でそれを迎える。
「今度こそは大丈夫ですよ。
これを見て下さい」
持ってきた写真には、角刈りの作業服を着た、頑健そうで目付きの鋭い男が写っており、書類には彼の経歴や家庭事情が記されていた。
「肉体労働者か。奈保が気に入ればいいが」と不安げに言う正彦をよそに士郎は熱心に書類を読む。
「北郷友哉、22歳か。身長185体重90。奈保の4歳下だな。
高校中退だが、この高校は県内トップの進学校じゃないか。
中退後は工務店で働きながら大検を受けて夜学の大学に入学か。
立派な勤労青年だ」
感心してように言う士郎に向かい、秘書室長が話をする。
「中退の理由ですが、大工だった父が事故で亡くなり、その後母親が悪い男に騙されて家の金をすべて貢いだため、弟妹を養うために働きに出たとのことです。
いずれは父と同じ建築の仕事をと建築士を目指していたものの、母親が親戚や知人、サラ金に借金を重ねたため、稼ぎのいい運送業に入り、うちの孫会社から請け負ってトラックで走り回っているそうです。
そのため大学も諦めたと。」
「それは都合がいい。
借金はどのくらいだ。」
「三千万はくだらないかと」
「それじゃあいくら運送業で運んでも埒が明かないだろう。
我々にとってはいい情報だ。
その男、運転はお手のものだろう。うちの運転手に雇え。
そして奈保に近づけていいか、人となりを見て判断する」
士郎は決断し、秘書室長は早速動き出した。
3,4話で終わらせる予定です。