後編
「さて、最初に話を戻そう。これから、君が選べる2つの選択肢にいてだ」
「私を想像妊娠にするってこと?そうしたとして、その想像上の子供はどうなるの?」
「その想像上の子供は『影』として引き取るよ」
ベスロティは、そう言ってチラリと横に立つ侍従に目を向けた。
「もし、想像上の子供を引き取ったとして…お前ならどうする?」
「そうですね…」
話を振られた侍従は、少し躊躇いがちに目を伏せて思案顔になった。眼鏡を取り上げられたその顔は、伏し目がちになるとますますベスロティに瓜二つだった。
「金色の瞳を有する者は、豊かな才を持つと言われています。そんな希少な価値のある者でしたら、通常の『影』よりも大切に育てる…と思います」
そう言って侍従は「想像上ですが」と最後に小さく付け加えた。
「…じゃあもう一つの選択肢は?」
「本来の国同士の誓約通り、子供は『死産』扱いになる。その上で君の不貞を理由に離縁して皇国に帰って貰う」
「順当…なのでしょうね」
「まあ皇国で何らかの罰を受けるかもしれないけどね。僕はそこまで関与はしない。罰を受ける覚悟あるならこちらを選んでも構わないよ」
「『死産』にはさせないわ。だって想像妊娠なんでしょう?」
「ああ、決まりだな」
「そうね」
クリスティアは少し沈黙する。ベスロティは特に急かすでもなく、ゆっくりと濃過ぎる紅茶を飲みながら彼女が口を開くのを待った。
「子供を…大切に育てて貰えるのよね?…想像上だけど」
「そこは保証しよう」
「その、バレないのかしら?」
「バレてるよ」
「ちょっと!?」
「そこはまあ、国同士のちょっとした裏取引ってことで」
表向きはお互いの合意の上で一晩過ごしたことにはなっているが、彼女が媚薬を使用して既成事実に持ち込んだのはさすがに両国の陛下にはバレている。たとえ媚薬とは言え他国の王族に毒を盛ったも同然だ。そしてベスロティの婚約が白紙になったことで元婚約者への少なくはない慰謝料も発生している。それを全て呑み込んだ上でクリスティアを娶ることを承諾したのだ。
「オルティア皇国には稀代の悪辣皇女を引き取ったという貸しがあるからね。子供一人を想像上にしてもらうことで手を打ったのさ」
「稀代の悪辣皇女って…」
あまりな言われように、クリスティナは不満げに唇を尖らせた。その表情を見て、ベスロティは思わず吹き出した。その態度に彼女はますます膨れっ面になったのだった。
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おそらくは生まれて来る子供は、血の濃さから金色の瞳を持っているだろう。その子供を「影」として育てるとはいえ、いつ発現するか分からない「黄金の呪い」を国内で生かす危険性は計り知れない。
今後その子供が成長し誰かと家庭を築いた場合、更に警戒する人物が増えて行く。それを長らく監視下に置かなければならないだろう。
それでも、ベスロティは全力で国王と皇帝らを説得した。それこそ数百年に渡る血統を見守る為の計画書も書き上げた。無理のない予算と、臨機応変に対応する為にあらゆる手を尽くした。そしてようやく、一人の子供を「想像上」の存在にする選択肢が生まれた。
「どうしてそこまでしてくれるの?愚かでどうしようない悪辣皇女なのに」
「そうだね…それでも僕は君に感謝してるから、かな」
「感謝?」
「そう。君が僕を巻き込んで利用しようとしたのと同じように、僕も君の思惑に乗って利用したんだ。そのお陰で…まあ、多少運任せだったけど、それでも望んだ結果に辿り着けた」
「君のお陰で、彼女……元婚約者殿を無事に、綺麗なまま手放すことが出来た」
「元婚約者とは不仲だったと聞いてたけど」
「それは正しいよ。そうなるように仕向けた。そうしてもらった…でも、大切だったんだ。だから、幸せに、自由になってもらいたかった。君のお陰だ」
もし自分の病のことを全て打ち明けていたら、きっと元婚約者は全て承知した上で進んでベスロティと人生を共にすることを選んだだろう。人生の半分以上を共に歩んで来たからこそ、この先自分がいなくなった後は縛り付けたくなかった。
「君とは出会ったばかりだし、この先そう長く仲を深めることもないだろう?それに君は、僕を皇帝を見返してやる為の手段の一つとしてしか見てなかった。だから利用することに罪悪感を感じなくてちょうど良かったんだ」
「それにしたって…私に分が良過ぎだわ」
「そうでもないさ。もし分が良すぎるとしたら、それは元婚約者へ時間を無駄にさせたお詫びと感謝の大きさ分ってとこかな」
「……全部隠して、黙って手放す程大事な宝物だったのに…」
クリスティアはシュンとした表情になって俯く。その表情をしばらく黙ってベスロティは見つめていたが、やがて悪戯っぽい笑みを浮かべてわざと恭しい仕草で彼女の髪を一房すくいあげると、そこに唇を寄せた。唐突な行動に、彼女はギョッとした様子で顔を上げた。
「君は一番の武功を上げた騎士のように、不遜に笑っている顔が一番似合うよ」
「そんなことないわよ!」
とうとう怒り出したクリスティアに、ベスロティは珍しく声を上げて笑った。笑いすぎて、彼の目尻にはほんの少しだけ涙が浮かんでいた。
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クリスティナは、机に向かって手紙を書いていた。何度も書き直して、屑篭には丸めた便箋が溢れそうになっていた。
「ま、これでいいでしょ」
何枚にも渡る大作を添削してあれこれ削除しているうちに、結果的に便箋一枚に収まってしまった。
「屑篭に入ってる方が多い気がするんだが」
「気のせいじゃないわよ」
いつの間にか部屋に入って来たベスロティが、屑篭の惨状を見て笑った。
「後で送るように頼んでくれる?」
「分かった」
彼女は大きくせり出したお腹を撫でて、ふう、と息をついた。予定日はまだ先の筈だったが、思っていたよりも体が重く感じる。
「皇帝殿宛はないんだ」
「今更何を書いたらいいか分からないし、書いた内容は母から伝わるでしょ」
「そういうことじゃないと思うんだけど」
「いいのよ。こうして嫌いだった母に手紙を書くだけでもすごい進歩よ」
「だったら皇帝殿にも書けるんじゃないのか」
「皇帝は大嫌いだったの」
皇帝の甘い言葉に騙されて愚かにも自分を身ごもり、そして他の妃に遠慮して卑屈にへりくだる母。若い令嬢を弄んで子供までもうけておきながら、発覚してから仕方なく側妃に迎えた上に、その後放置した無責任な父。
事実を知らなかった頃は、そう思い込んで二人を軽蔑していた。いや、憎んでさえいた。
そして復讐として、子供の存在すら利用して、国外のとびきり上等な相手の元に嫁ぐことで故国を見返すことを目標とした。
しかし思わぬところで事実を知った今となっては、感情が行き場がないまま霧散してしまったようだった。
「ねえ、私の本当の父親って人はどうしてるのか知ってる?」
「さあ?君が生まれた後に、更に厳重な場所に移されたんじゃないか?ウチの国が誇る『影』でも行方が掴めなかったって話だし」
「そう…」
ベスロティは内心、既に彼は「処分」されているかもしれないと思いつつ、客観的に分かっている事実だけを告げた。
「会いたい?」
「殴りたい」
思いがけない回答が返って来たことに、彼は柔らかな笑みを浮かべる。そしてあまり力を入れすぎないように注意しながら、背後から彼女を抱きしめたのだった。
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第二王子妃のクリスティアが婚姻後すぐに懐妊したというニュースが流れたが、残念ながらそれは想像妊娠であったという報があり、国民達は残念がった。
だが、その半年後に第一王子妃が男子を出産したという吉報に国中が沸き、それと同時に第一王子の立太子が確定した。国を上げてのお祭騒ぎの中、あれだけ独身時代は騒がれていた第二王子と第二王子妃は静かに暮らし、人々の口には上らないようになって行った。
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「ねえロティ。クロヴァス辺境伯のところに、次男が生まれたそうよ」
「そうか。祝いの品は王太子殿下の名で贈るから、予算を出しておいて」
「分かってるわ」
この離宮に二人が暮らし始めて3年が過ぎた。
いつもより寒かった冬がすっかり終わり、暖かい日々が続いていた。天気が良かったので、二人は庭に散策に出ていた。高い塀に囲まれて隔絶された離宮の庭はそれほど手を入れている訳ではないが、春になればそれなりに華やかになる。
今の時期は、背の高い木に薄桃色の綿毛のような花が満開になっている。僅かな風が、その柔らかな花を揺らし、フワフワとした花弁が時折舞い降りて来る。
最近のベスロティは手足の末端が固まるようになって来て、車椅子から降りられなくなっていた。書類を捲ることも難しくなっているので、彼に届く手紙はクリスティアが代読している。
クロヴァス辺境伯の元に、かつてのベスロティの婚約者であった令嬢が嫁いでいた。遠く離れた辺境でも、ここまで噂が届く程に仲睦まじく暮らしているらしい。
「羨ましい?」
「いや。彼女が幸せなら嬉しいだけだよ」
彼女との間には家族か戦友のような気持ちしかなかった、とベスロティは呟いた。
彼が病から回復して、後遺症で子を成せないと判明したとき、本当はその時点で婚約は解消される筈だった。だが、彼女が優秀だった為に既に王子妃教育が修了してしまっていたことと、少女から大人の女性に変貌して行く過渡期で美しさにますます磨きがかかっていたことが問題になった。ここで婚約を白紙にしてしまえば、彼女に求婚が殺到するだろう。王子妃教育で王族のみが知る知識の一部を得てしまっている彼女を、王家に叛意を持つ貴族や、まして国外に嫁がせるわけにはいかない。更にその頃の国際情勢が、強引に既成事実を作ってでも攫おうとする輩が出る可能性が非常に高い時期であった。
彼女の身の安全を確保するまで、婚約は結んだままにされた。それと同時に、彼は自分が有責で婚約解消をすべくわざと浮名を流して彼女から距離を置いた。そして彼女をより幸せに出来る相手との婚約を結び直せるように奔走し、全てが調うまでに約5年を要した。
そしてちょうどそのタイミングで、クリスティアとの出会いがあったのだ。彼はクリスティアの思惑に便乗して、彼女に一切の瑕疵はなく同情が集まるような形で婚約を解消することに成功したのだった。
ただ、その直後に家柄も人柄も素晴らしいと評判の高位貴族の令息との縁談を王家から秘密裏に斡旋する筈だったのだが、その思惑など一切合切蹴り飛ばして、彼女自身がクロヴァス辺境伯を選んで思い切り良く嫁いで行った。いっそ清々しい程であったと、今も彼は思っている。
「それに僕にはクリスがいるからね。きっと向こうが羨ましがってるんじゃないかな」
「それはあり得ませんわ」
「そうだね」
「ひどい!」
「自分で言ったくせに」
お互い軽口を言い合いながら笑った。こんなやり取りを日々繰り返し、思えば3年はあっという間だった。
「ただ今戻りました」
「おかえりベスロ」
「おかえりなさい」
かつてベスロティの侍従を務めていた「影」が帰って来た。今の彼は、侍従のものではない上質で趣味の良い服を纏い、眼鏡も掛けていない。彼は、動くことに支障が出始めたベスロティの身代わりとして公の場に出るようになっていた。幼い頃から侍従として、そして時に影武者として仕えて来た彼は、完璧にベスロティ役をこなしていた。
一日中ベスロティとして公務を済ませて離宮に帰って来ると、役がすっかり板に付いてしまった弊害で、時折「ベスロティ」と呼ぶと二人が振り返るようになってしまった。紛らわしいというクリスティアの主張により、本物の方が元からの愛称「ロティ」、元侍従の方が「ベスロ」と分けて呼ぶことになった。
「ベスロ、報告を」
「はい」
半年前に、王太子に二番目の息子が誕生した。長男とともに健やかに成長していることから、王太子の後継は安泰であると判断され、第二王子と第三王子は臣籍降下が確定した。
当人達の希望が反映され、第二王子のベスロティは現在暮らしている離宮をそのまま賜り、領地を持たない公爵となる。弟の第三王子は、婚約者の実家の伯爵家が侯爵に陞爵となると同時に婿入りすることが決まった。
「あと2年。あと2年で僕は隠居を決め込む。それまでの後始末を任せる」
「かしこまりました」
「ベスロがもっと公爵として働きたいというなら、頑張ってもいいぞ」
「…私ではずっとロティ様の代理を務めるのは無理があります。それに、後始末が終わりましたらまた侍従に戻していただけるのでしょう?」
「はははっ、お前がそんなに侍従の仕事が好きだったとは初耳だ」
笑った後、ケホリとベスロティが軽く咳き込む。その背中を手慣れた様子でクリスティアがさすった。
「ありがとう」
「手が冷たいわ。ショールを持って来ましょうか」
「そうか?あまり寒さは感じないんだけどな」
ふと触れたベスロティの手が冷えきっているのに気付いて、クリスティアが声を掛ける。彼の答えに一瞬だけ彼女の顔に翳りが宿ったが、すぐにそれを消し去ると、自分の肩に掛けていたショールを外して彼を包み込んだ。
「クリスが寒いんじゃないか?」
「平気よ。ベスロも帰って来たし、部屋で温かいお茶でも飲みましょう」
「すぐご用意します」
「ああ、頼むよ」
フワリと風が吹いて、綿毛のような花弁がベスロティの髪の上に落ちた。
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それから数年後。
以前は華やかな噂の絶えないことで有名だった公爵夫妻は、若くして表舞台から一線を引くことを決め、公式の場でも社交界でもその姿を見ることは殆どなくなった。
「ベスロティ兄上、お久しぶりです。義姉上もお元気そうで何よりです」
「ああ、久しいな、ギュスタフ」
「ごきげんよう、ファブリス侯爵。夫人の体調はいかがかしら?」
「今は悪阻も治まって食欲も戻っております。本日は大事を取って参加は見送りましたが、お二人にはよろしくと申しておりました」
「まあ、それは良かったですわ」
本日は王太后の生誕祝いのパーティーに王宮を訪れていた。高齢の為に華やかな場は設けず、直系の王族とその家族のみが参加していた。
「いつか侯爵領にもお越し下さい。風光明媚な場所が多いことが自慢の領ですから、きっと兄上と義姉上にもご満足いただけるかと思います」
「素敵ね。ベスロ、いつか行ってみたいですわ」
「そうだな。いつか」
「お待ちしております」
一線を引いた公爵夫妻も、このような身内の集まりにはごく稀に出席することはあった。が、自ら特定の誰かに声を掛けることはなく、身分差から大半の人々は近寄ることも出来ないまま変わらぬ美貌の夫妻を溜息混じりに遠巻きに見つめるだけであった。
その姿は、常に仲睦まじそうに寄り添って、穏やかな微笑みをたたえていたと言われている。
そして、公爵の幼い頃から仕えていた侍従の姿がいつの間にか見えなくなっていたことに気付いた者は、ほんの僅かしかいなかったという。
考えていた作品から派生した婚約破棄ものを書こうとしていたら、何故か更に派生した方が先に完成しました。
こちらは婚約破棄ものの「裏」にあたります。「表」はもう少し明るい話になる…予定です。
補足
クリスティアの産んだ子供は女の子で、奇跡的にベスロの目を受け継ぎました。「英雄」も「狂人」も発現はしなかったので、本格的な「影」として働くことはなく、事情を知る元「影」の養父母の元で普通の娘として大切に育てられました。その後は自分の意志で修道院に入り、多くの孤児に囲まれて慕われながら神に仕える生涯を送りました。