中編
「そんなに皇帝を見返してやりたかった?」
ベスロティはソファのすぐ脇に立って、顔色をすっかり失って言葉を接げないクリスティアを見下ろす。
「馬鹿みたいに単純で、夢みたいな御伽噺なのに、中途半端に賢しい者が権力を持つと怖いという見本だな」
「そもそも、皇国は君にも『黄金の呪い』について教えるべきだったね。そうすれば君の母君のように身の程を知るくらいの賢さは得られただろうに」
「黄金の…呪い…?」
目を瞬かせるクリスティアの様子を見て、ベスロティは少し優し気な表情になって彼女の髪を軽く撫でた。彼の目の奥には、同情のような感情が宿る。
「少し、昔話をしようか。君の知らない君の国の、『黄金の呪い』という、言い伝え」
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オルティア皇国は、遙か昔からまるで神が采配しているかのように、ただ良くもならず、滅びもせず、奇妙な安定を保ったまま存続している国なのだ。
オルティア皇国は領土もそれほど広くなく、資源もそこそこ。特産品もあるにはあるが、他国を探せばもっと量も質も良い物はすぐに見つかる。とりわけ貧しいという訳ではないが、そこまで豊かでもない。他国から侵略してまで欲する価値を見出されない故に、平和な治世が続いている凡庸さだけが取り柄の国、というのが今の評価だ。
かつて国の境が定かではなく、ただ領土を欲する者達が跋扈する時代があった。オルティアも今のような皇国ではなく、小規模な土地の長同士が互いに合議しながらやり取りをしているような地方の一つであり、国としての力も体裁も持たなかったことから幾度となく侵略を仕掛けられた。
だが、その地方には特有の金色の瞳を持つ一族がおり、戦闘力や魔力、戦略、知力に長けた才を有する「英雄」と呼ばれる者が多数存在していた。文献では、金の目をした青年が一人で一個師団を撃退したという逸話も残されている。
やがて各長達は優秀なリーダーを皇帝に据え、その地方を一つの国としてより強い力を得ようとした。英雄を多数輩出する一族を有している限り、侵略者達を退けることも、逆に領土を奪うことも簡単なことだと思われた。
しかし数年経ってもその目算は思うように進まず、ただ今の領土を守るだけで一定以上の成果を出せずに計画は頓挫した。そして、人々は奇妙なことに気付く。
今までは各地でそれぞれの長が治めていた為に表面化されなかったが、幾つもの地方の情報が中央に集約、可視化されるようになって初めて、周期的に各地で大量の人口減少が起こっていることに気付いたのだ。あまりにもそれが頻繁に発生するため人口が増えず、思うような国力を付けられなかったのだ。
原因は事故や流行病、天災など様々だったが、その中に混じる人災に共通点があることに気が付いた人物がいた。その人災を引き起こした者、その規模が大きければ大きい程、金色の瞳を持つ者が起こしていた。
何か思うところがあったのだろう。その人物は、私財を投じてまで人員と時間をかけて、大量の人口減少を引き起こした大半の原因が、金色の瞳を持つ「英雄」の一族が起こしていたことを突き止めたのだ。
その金色の瞳に、あるいはその血筋に、いつからか、それとも最初からか、呪いが含まれているという事実に。
後に「黄金の呪い」と呼ばれるそれは、金色の瞳を持つ者は人並み外れた才能を有して生まれて来ることが多いが、それと同時に恐るべき大量殺人を起こす狂人が生まれる確率も異様に高かったのだ。
狂人の傾向も様々で、自我が芽生えた幼い頃からその片鱗を見せる者もいれば、成人後に唐突に目覚める者もいた。通り魔的な連続殺人犯や、流行病に見せかけて井戸に毒を入れて集落一つを一晩で壊滅させた医師、土砂崩れに見せかけて魔法で山を崩した魔法士など手段もそれぞれだった。ただ共通点は、強い殺人衝動に駆られ、女子供に限らず、親類縁者でさえも躊躇いなく手に掛けるという一点のみだった。
その事実は、国を治める人々に苦悩と葛藤をもたらした。
一族郎党全て根絶やしにという案もなくはなかったが、やっと他国からの侵略行為も少なくなりつつあり、防衛にも、抑止力にも「英雄」である彼らは必要だった。
金色の瞳を持つ一族も、狂人の存在は許していなかった。しかし、何故狂人が生まれるのか、どのような条件で目覚めるのか全く分かっていなかった。そして特に知略に長けた狂人は、普通の人間のように振る舞って市井に紛れるので全く見抜けない。同じ一族の彼らでも見分けるのは困難だった。更に金色の瞳の発現率は高く、記録しか残っていない何世代も前の婚姻で、既に血が薄くなっていた家系でさえ時折発現した。今や国中に狂人の芽は潜んでいると言っても過言ではなかった。
膠着した話し合いの中、当時の皇帝が手を挙げた。
現在発現している金色の瞳を持つ一族は全て皇帝の監視下に置き、婚姻も出産も皇帝の許可の下行われる。今後金色の瞳を持って生まれた者がいた場合、血族と共に皇帝が引き取りやはり監視下に置き、市井に一族の血を拡散しないことから始めた。一族の血は決して絶やすことはないが、管理の出来る範囲で必要以上に増やすこともない。もし狂人が発現した場合、皇帝と一族の力を持ってして処分すると誓いを立てた。
そしてその時の一族の長の娘を自ら娶ることで、この時から皇帝と金色の瞳の一族は一つの血脈に連なった。
このような取り決めと皇帝一族の地道な努力により、今では貴族は勿論、市井の中にも金色の瞳を持つ者は見られなくなった。時が流れ、「黄金の呪い」は金の瞳を持つ皇族と配偶者のみに伝えられ、国内では金色の瞳はオルティア皇族の高貴な血筋の証として尊ばれるようになっていた。
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「その瞳がある限り、オルティアの皇子は後継以外はある一定以上の年齢になったら断種を、皇女はごく限られた一部の親族とか、既に後継のいる家の後妻とか、そういう縁談しかないことを幼い頃から教え込まれて育つんだよ。本来はね。政略上どうしても他国に嫁ぐ場合は、あらゆる理由をつけて出来た子は必ず『死産』扱いにしなければならないと国同士で誓約が結ばれることになってる」
クリスティアは、自分に用意されている降嫁予定先は、一代限りの爵位の者や、歳の離れた相手ばかりだという事実は知っていた。
クリスティアはそれが酷く理不尽で、納得が行かなかった。国中から尊ばれている皇族なのに、何故わざわざ見窄らしい格下の相手の元に嫁がねばならないのか。自分には異母姉達よりも国内外から良い縁談が降るように来ていたのに。異母姉達はそれなりに家格の高い正皇妃の親類に嫁いでいるのに。
それは自分が母のせいで軽んじられ、父のせいで適当に扱っていい存在だと周囲に思われているからと思っていた。
「迂闊に血を広めて『黄金の呪い』を他国で発動させたら大問題になるからね。『死産』扱いになった子も万一取り違えが起こっていないか、徹底して調べ上げられる。それなりに歴史のある王族の間じゃ呪いは暗黙の了解ってことで知れ渡ってるから、最初から婚姻の打診はしないけどね。ウチの国もそうだけど、優秀な『影』を抱えているところはまず避けるよね」
「…どう、して」
「どうしてそれを自分には教えなかったのか、って?君は…特別だったんだよ、悪い意味でね」
ベスロティは空になったカップに、侍従から新たな紅茶を注いでもらうと軽く口を湿らせるだけ口に含んだ。色だけ見れば随分と渋そうだったが、味が分からないという彼は全く気に留めていないようだった。
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ある男爵令嬢が、第二側妃付きの女官になるために皇宮に上がった。
下位貴族ながら賢く美しいと評価が高い令嬢だった為、寄親の高位貴族からの推薦での仕官だった。第二側妃とはいえ現皇太子の生母であったので、権勢は正皇妃に負けずとも劣らない。そこで働きが認められれば将来を保証されたも同然だった。
だが、自身の美貌と聡明さを自覚していた彼女は、男爵家の生まれに昔から不満を抱いていた。同じ女官として仕官している高位貴族の令嬢よりもずっと自分の方が優秀であるのに、身分のせいで下働きのような仕事をさせられていることを内心燻らせていたのだ。
そんなある日、運の良さが幾つも重なって、彼女は本来なら絶対見つけることが出来ない離宮に続く道を見つけてしまった。好奇心に突き動かされて、離宮の中にまで足を踏み入れてしまった時点で、彼女の命運は尽きたのかもしれない。その時の彼女は、運命の出会いを果たしたのだと思っていたのだが。
離宮には、一人の男がいた。
幾重にも魔法で封じられて、普通の人間は近付けない場所。そこにいた男は、着ている服こそ質素であったが、肌は白く透き通り、長い灰色の髪は艶やかで手入れが行き届いていた。手も、並の女性よりはるかに美しく、おそらく力仕事や水仕事とは無縁なのだろう。それはこの男が、紛れもなく高貴な身分であることが伺えた。
そして憂いを含んだ表情はこの世の者とは思えぬくらいに美しい。その切れ長の瞳はそれ自体が光を帯びた黄金色をしていた。
その瞳がこちらを見つめた時、彼女は全身が痺れたような感覚に陥った。
男は彼女に、常に人の目がある為に時折抜け出してこの離宮の中でも外れにある場所で一人休んでいるのだと答えた。誰かに見つかって騒ぎになるといけないので誰にも言わないで欲しい、とも。
そして、彼女は男に乞われるまま、離宮の最奥にまで簡単に足を踏み入れた。
彼女は男の言うことを信じた。その目に見つめられるだけで、その手に触れられるだけで、心が幸福で満ち溢れた。だから彼女は気付かなかったのだ。時折休んでいる筈なのに、訪ねて行けば必ずこの場所で待っていることも。ここに来る途中も、来てからも男以外の誰にも会ったことがないことも。
男が、離宮の敷地内から一歩も外に出ないことも。
それから彼女は、人目を盗んで離宮に通っては男との逢瀬を重ねた。
しばらくして、彼女の体つきに妊娠の兆候が現れたのを多くの女官達が気付いた。未婚の貴族令嬢ならば秘匿すべきことだったろう。だが、彼女は敢えてそれを隠さず、ただ「高貴な方に関わりがあることですから」とだけ周囲に告げていた。下位貴族であった彼女は高位貴族の家系まで詳しく把握していなかったが、金色の瞳を持つ者は紛れもなく皇族であることは知っていた。
時が来れば、自分が誰よりも尊い血筋の相手に寵愛されていたことが判明するだろう。そうすれば、今の女官として誰かに仕える身分から、多くの者にかしずかれる存在になるのだ。
彼女は、実家に帰されて有耶無耶にされてしまうことを避ける為、女官長から里帰りを指示された直後、産気づいた振りをして思惑通り皇宮の医務室に運び込まれることに成功した。
相手の名前は頑として言わないものの、高貴な相手であると言い張る彼女と、さすがに無理に動かして万一のことがあってはならないと人道的な措置によりそのまま医務室で経過を見ることを許され、程なくして彼女は皇宮内で娘を出産した。
その娘が金色の瞳を有していたことが判明し、皇宮内がひっくり返ったような騒ぎになった。
これほど目立つ行動をした彼女に皇宮内では注目が集まっており、その事実は上層部でも隠し切れず、半時程で皇帝や正皇妃の耳にも届いた頃には新たな皇族が誕生したことは揺るぎない周知の事実となっていたのだった。
混乱を極めた状況の中、彼女とその娘は皇族しか入れない奥宮に運ばれ、養生という名の軟禁状態にあった。とは言え、十分な診察や世話を受けて、その時の彼女は自分の将来について希望しか抱いていなかった。
やがて、彼女の体調が回復の兆しをみせた頃、彼女の元に皇帝と正皇妃、三名の側妃が訪れると先触れがあった。
正式な婚姻を結ばずに出産したのだから多少は責められるかもしれないが、尊い皇族の血筋が誕生したのである。最終的に歓迎されるのではないかと彼女は考えていたのだが、やって来たのは見覚えのない短い茶色の髪を撫で付けた冴えない風貌の男と、年の頃はバラバラだがいずれも見目麗しい貴人と分かる四人の女性。女性のうち一人だけは顔に憶えがあって、仕えていた第二側妃だと分かった。
全員が一様に沈痛な面持ちで、案内をして来た女官が出て行ってしばらく経つのに、誰も口を開こうとしなかった。
「あの…皇帝陛下はいついらっしゃるのでしょう…?」
「いつ、とは」
「灰色の髪の…その、離宮でお会いしていた…」
ガンッ!
恐る恐る口を開いた彼女に、全く温度を感じさせない口調で第二側妃が聞き返す。それに答えかけると、突然大きな音が響いて彼女はビクッと首をすくめた。見ると、茶髪の男が近くの壁を殴りつけていた。余程手加減なく殴りつけたのか、白くなるまで握りしめた拳から血が流れた。
「愚かな…いや、愚かなのは我か…」
「陛下…」
彼の近くにいた一番年上に見える女性が手巾を取り出して、血の流れる手に巻き付けた。
「すまぬ…」
そう呟いた茶髪の男の目は、ハッキリとした金色だった。
それを見た瞬間、さすがの彼女も血の気が引いてガタガタと震え始めた。そしてこの後、彼女に残酷な事実が告げられた時、もう彼女は震えることが出来ない程に憔悴しきり、まるで死人のようになっていた。
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「君の父親は皇帝ではない。処刑された筈の皇帝の弟である第三皇子、今の皇帝以外の皇族を殺し尽くした『黄金の呪い』の発現者だっだんだよ」
現在の皇帝が皇太子だった頃。
両親である皇帝と正皇妃、側妃、七人の弟妹と叔父夫妻と従兄弟三人が皇宮に暮らしていた。そして離宮にも縁戚の皇家がいて、当時は20名を越える金色の瞳を持つ者がいた。
最初は縁戚の一家の事故死だった。しかし、気が付くと一人、また一人と不審死が続き、長年発現していなかった「黄金の呪い」を持つ狂人が現れたのではないかと思い当たった時には既に遅く、皇族の血を引く者は皇太子と第三皇子しか残っていなかった。
正確には、皇太子も毒殺されかかったが、仮死状態から辛うじて息を吹き返して一命を取り留めていたのだ。もしこのことが第三皇子に知られていたら再び命を狙われただろうが、皇宮内が混乱状態にあった為に皇太子の生存の報が周知されなかったことが幸いした。
その後皇宮に火を放ち、多くの人間を命を容赦なく奪う狂人と化した第三皇子は、何人もの魔法士の命と引き換えにようやく捕らえられた。誰よりも強い魔法を扱う優秀な魔法士でもあった第三皇子を止めるには、それしか方法がなかった。
厳重に拘束されて地下牢に幽閉された彼は、どうにか体を起こすことが出来る程度に回復した兄と接見した際に、楽しそうに金色の瞳を輝かせながら「なぁんだ、全部殺せたと思ったのに」と無邪気に笑っていたと言う。
「さすがに第三皇子が大量殺人を犯したことは隠し切れず、国民感情のことも考慮して処刑された…というのは建前。彼がいなくなってしまったら、金色の瞳を有しているのは皇太子たった一人になってしまう。その上毒殺されかかって、無事に子を残せるかも分からない。だから、幸か不幸かまだ断種の処置を施してなかった彼を、苦渋の決断で血を繋ぐ為の保険として秘密裏に生かして離宮に封じた」
「それを…お母様が見つけてしまった…」
「さあ、それはどうだろう。彼は魔法の才に長けていたという噂だから、封印の隙間から魔力を流しておびき寄せることくらい出来たかもね」
「でも!」
「君が生まれた時には、既に皇太子に皇女二人が誕生していた。それなのに彼に毒杯を渡さなかったのは皇帝の甘さだよ」
「でも…でも…!」
「君が生まれたのは、君のせいじゃない」
想像もしなかった事実を突き付けられ、混乱しながらハラハラとその金色の目から涙を流すクリスティアに、ベスロティはそっとハンカチを手渡した。
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クリスティアが生まれた当時皇太子は8歳で、表向き父親になれるのは皇帝しかいなかった。
クリスティアの母親は、下位貴族だった故に皇帝の姿を直接見ることは許されていなかった。だからこそ、金色の瞳を持つ者を皇帝だと思い込んでも無理はなかったのだ。そう告げられたものの、気付こうと思えばいつでも気付けた状況だったのに自分の欲と浅慮がもたらした重大な罪に怯え、娘と共に処刑してくれるよう申し出た。
第二側妃は、監督不行き届きとして母娘と共に自分にも毒杯を賜るよう主張した。しかし第二側妃は皇太子の生母である為、子のいない第一側妃が嫉妬のあまり二人を手に掛け自害したことにすればいいと言い出し、更に第三側妃が自分が最も位が低いのだから自分がするべきだと言い始めて、その場は大混乱になった。
結果として、正皇妃が爵位の足りないクリスティアの母親を自分の縁戚の伯爵家の養女にし、彼女を第四側妃、生まれた娘を第三皇女として迎えることで落ち着いたのだった。
この出来事で第四側妃となった彼女は深く感謝し、皇族に生涯尽くそうと決めた。その後は側妃の立場に関係なく率先して正皇妃、側妃達に仕え、表立った公務には立たずに裏側から皇族を支え続けていた。
しかし、第四側妃の罪の意識は強く、また皇帝も自らの判断に責任を感じ、クリスティアには本当のことが言えなかった。
「黄金の呪い」は金色の瞳の者に発現するというだけで、狂人の血筋に必ず狂人が生まれる訳ではないと言い伝えられてはいたが、過去の資料に呪いを発現してから子を残したと言う者が見当たらなかった。そのこともあり、真実を知るもの達はクリスティアを腫れ物のように扱い、皇女としての責任を何処まで背負わせるか判断が付かないまま成人まで放置してしまったのだった。
本編の中では出て来ないのでちょっと補足的な設定。
金色の瞳を持つ一族の始祖は、調和を司る神が世界を存続する為に配置した眷属です。
過去に神がうっかり目を離した隙に世界が崩壊しかけてしまったので、ちょっとくらい目を離しても大丈夫なように自動修復してくれるシステムを世界に設置した感じで。
役目は間引きとか摘果みたいなもの。世界にモノが溢れすぎないように、適切にバランスを取っていました。
その為、「狂人」は人間目線だと恐ろしい殺人鬼ですが、神目線だと正しいシステム稼働に過ぎないということです。この時間軸ではかなり人間と混じり血も薄れているので、「狂人」は本能だけが先祖帰りした人間なのです。