アル
怖さに思わず目を瞑った私は、前から何かが飛んできた衝撃で後ろに倒れてしまった。
ざらついた分厚い舌が私の頬を舐める。
顔にかかる生暖かい息に死を覚悟した。
みんなごめんなさい、こっそり出ていかなければ!フィンと一緒に来ていればっ!
食べられる…っ。
………。
………。
………。
あれっ?痛くない。
いつまで経っても身体が切り裂かれる感覚がないことに疑問を感じ、目を開ける。
「わん!」
「…えっ?」
目の前には、大きく全身ふわふわの毛をまとった生き物が私を覗き込むようにして顔を近づけてきていた。
今まで見たことがない生き物だったが、私は何故か知っているような気がした。
垂れ下がった大きな耳にふわふわな毛、前に突き出た鼻、どこかで見たことがあるような。
「んー、あ!」
思い出した。
図書館の資料に書かれてあった犬の特徴と同じだ。絵も描かれてあったから間違いないわ。
今まで想像でしかなかったけど、生で見ると本当にもふもふしているのね。可愛い。こんなに可愛い生き物がこの国で絶滅危機にあるなんて…。
ペロッ
「きゃあっ」
「わふっ!」
「あははっ!可愛い!」
「くぅ~ん」
犬は可愛い声で甘えるようにして私に擦りついてくる。
「柔らかくて綺麗な毛並みね」
今は暗くてはっきりとは見えないが、それでも黄金色で美しい毛並みであることは分かった。朝になれば太陽の光に照らされて光輝く様が見られるだろう。
「明るくなったら一緒に遊びたい。でも…」
犬との急な出会いに気を取られていたが、自分が今帰れなくなっている状況であるということをふと思い出す。
「はぁ…」
何気なく辺りを見回すと十数メートル先に洞穴があることに気が付く。
(あそこなら朝まで休めるかも)
*******
洞穴に辿り着いた私たちは身を寄せ合って座る。
「寒い」
夏でもここは避暑地。夜になると寒くなる。
すると、犬は私が寒くないように私を覆うようにして座り直してくれた。
「お前は優しいね」
「そうだ!ずっと犬やお前って呼ぶのは可哀想だよね。名前を付けてあげる!」
「んー、アル!アルはどう?」
アルは私の問いかけに、一瞬優しく目を細めた気がした。
犬は兎などの動物と同じように人間の言葉を理解できないと記されていたため、見間違えたかと目をこすってもう一度アルの方を見た。しかし、愛らしい顔をして私を見ているだけだった。
やっぱり見間違いね。
そう思ったのも束の間、私はある重大なことに気が付く。
(あれ⁉私、お父様やお母様、フィンにあげるお花を持っていない!)
森に来てからの記憶を遡る。アルと出会う前までは持っていたはず。ということは、アルに出会って押し倒された時に落としたのだろう。
せっかくプレゼントしようと集めたのが台無しである。自分の不甲斐のなさに落ち込む。
「アル、お花落としちゃった…。お父様とお母様、フィンにあげるお花なのに。なんでちゃんと持ってること確認しなかったんだろう」
泣きそうになりながらアルに話すと、アルは急に立ち上がって洞穴を出て行ってしまった。
「アル!待って!」
しかし、アルはそのまま一瞬のスピードで出て行ってしまった。
(どうしよう、アルを怒らせちゃったかな。また私1人になっちゃう)
*******
アルが出て行って、暫く呆然としてしまった。1人は寂しい。特に夜の森の中。寂しさは一際だ。今になって、さっきまでそばにいたアルの存在の大きさを感じた。
「アル……」
アルの名前を呟く。すると、洞穴の入り口から音が聞こえると思って顔を向けるとそこには先程出ていったアルが立っていた。
「えっ、アル…戻ってきてくれたの?」
私は、アルのそばまで駆け寄って抱きついた。
「怒って出て行っちゃったんだよね。ごめんね」
アルは私の肩に顎を乗せてきた。
「ん?どうしたの?…えっ?もしかして、お花探しに行ってくれてたの?怒ってたんじゃないの?…これ……」
戻ってきたアルが口に咥えていたのは、なんと私が落としたお花たちだった。
「嬉しい。ありがとう。アル大好き」
アルはすごい。やっぱりどうも私の言葉を理解しているように感じる。
人間の言葉を理解できないって記されてあったけどそんなことないじゃない。
アルは頭がいいのね。
*******
そうしてまた寄り添って座っているうちに、私はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
次に気づいて起きた時には、もう夜明けも近く、お父様とフィンが洞穴にいた私を見つけてくれていた。
私の隣にいたはずのアルも既にいなくなっていた。
あとでアルのことを2人に聞いたけどいなかったとのことだ。
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