図書室のカゲコに恋をした
帰りのホームルームが終わり、さっきまで椅子に張り付いていたクラスメートは、みんな一斉に教室を飛び出して部活に向かう。
途端に校舎の中は静かになり、そしてもうじき賑やかな金管楽器の音や掛け声がそこら中からするだろう。
ただ、そんなものお構いなしと、僕は図書室へと向かう。
本が好きかと言われればそこそこだと答えるレベル、勉強が好きかと言われれば全くと答えるレベル、そんな僕には読書でも勉強でもない図書室に行く理由があった。
すでに図書室には先客がいた。
先客と言っても、先にいなければならない役割を担っているに過ぎないのだが。
カウンターの中で厚めの本に目を落とし、ずり落ちそうなメガネを気にすることはない。
今日の図書係のマグネットは全く動かされた形跡はなく、僕もしばらくそれが変わったところを見たことがない。
そのマグネットには、薄く掠れた文字で“戸村影子”と書かれていた。
だけれども、みんなは影で“図書室のカゲコ”と呼んでいた。
昼休みでも放課後でも時間があれば図書室に来て、こうしてカウンターに座って本を読んでいたせいだ。
同級生の間ではその噂を知らない人間はおらず、同時に他学年にもその話が広まっていたようで、4月には1年生が噂を確かめにきたことがあったほどだった。
しかし、“図書室のカゲコ”と言われる理由はそれだけではなかった。
黒縁メガネに三編みで、眼鏡の奥から鋭い眼光を飛ばしていると評されるほどの切れ長の目、表情筋が失われてしまったのではないかと錯覚するほどの表情の無さ、それら全てが伝え聞いた学校の怪談などにリンクするものがあり、結果的にまるで座敷童子かのように扱われてしまっているのだ。
恐らく、その噂は耳にしたことくらいあるだろうが、それでも自分の行動や見た目を変えるといったことがない所は、やはり影子の神秘さをより引き立てているようだった。
でも、僕は知っている。
戸村影子の可愛いところを。
黒縁メガネを取った姿は、どこかの人形かと思うほどの美形だ。
好きな本を読んでいるときに、若干緩んだ表情は、幼さを感じさせる。
少し鼻にかかった声は、そこいらの声優にだって負けない。
一見冷たそうに見えて、本が見つけられなくて困っている人に声をかけ一緒に探してくれる優しさを持っている。
だから僕は、“図書室のカゲコ”に恋をしたんだ。
だから僕は、こうして毎日図書室に通っている。
「あの、なにか御用ですか?」
「え?」
僕が椅子に座って本を読むふりをして影子を見ていたら、影子はカウンターから声を掛けてきた。
2人しかいないということもあってか、珍しく影子は少し大きめに、しかし常識の範囲内で声を出した。
影子はそんなに話すタイプではない事は言わないでもわかるだろうが、さすがに毎日図書館にいる僕に対しては、こうして2人の時などは喋ってくれるため、僕も早く図書館に行くのが楽しみだった。
「あ、いや、なんでもないです!ただ、何読んでるのかなって。」
「『白夜行』です。」
「あ、それ読んだことあります!面白いですよね!」
「えぇ。私も以前読んだことはあったのですが、色んな本と向き合ってから手に取ると、より人間の愚かさと純粋さが見えて面白いです。」
僕が言葉を返そうとしたら、他の学年の人たちが何人か入ってきてしまい、僕は続きの言葉を呑み込むしかなかった。そして特に読みたいわけでもない、影子からオススメされた本を目でなぞるふりを繰り返した。
暫くすると、図書室の奥が騒がしくなってきた。
さっき入ってきた人たちが何やら騒いでいるようだ。
僕は少し耳障りだな、と感じながらもそれをどうするわけにもいかずに本に目を落とした。
しかし、影子は違った。
カウンターから出ると、ツカツカとその集団の方に向かっていったのだ。
「すいません。図書室での大声はやめてください。」
「え〜?別に人居ないし良くね?だって俺らと君と、入り口んとこにもう一人でしょ?たったそれだけなんだしさ。俺らふざけてる訳じゃないし。」
「だとしてもです。図書室とは静寂とともにある場所です。それがルールでありモラルです。」
影子はズバッと言い切った。全く声色は変わっていない。ただ淡々と説き伏せた。
しかも相手は胸バッジから3年生であることがわかった。
3年生4人に対して影子はたった独りなのだ。
「おい、コイツさ、影子じゃね?“図書室のカゲコ”」
4人のうち1人がそう言った。
やはり3年生の中でもその謂れは広がっているらしい。
「そっか、君が。たしかに噂通りめちゃ暗そうだし、友達いなさそうだねぇ!本が友達ってかぁ?」
「たしかお化けって噂だろぉ?カゲコちゃんさぁ!」
「図書室は君の家じゃないんでちゅよぉ?おい、図書室前に盛り塩しとかねぇとなぁ!」
彼らは口々に影子の悪口を言った。
それは挑発か、あるいは“図書室のカゲコ”という呼び名が生んだヘイトか、あるいはそのどちらもか。
僕にはそのどれであっても関係のないことだった。
「あの!すいません!」
「ぁあ?」
「そういうの、良くない・・と思います。この子は“図書室のカゲコ”なんかじゃないです。僕は知ってます。それに、彼女の言っていることは正論です。僕も正直うるさいと思ってました。図書室はみんなで使うところですから、ルール守るのは当然だと思います。」
正直、口の中は乾ききっていた。
手汗が滴るほど湧き出ているのを、握りこぶしを握ってなんとか誤魔化していた。
心臓はバクバクだったし、多分顔も多少赤かっただろう。
ただ、動かなければいけないと思った。
「は〜、ダルっ。帰ろうぜ。」
4人のうちの一人がそう言うと、それに同調してみんな図書室から出ていった。
出ていくときに思いっきり肩を当てられたが、よろめいた程度でなんとか踏みとどまることができた。
「良かった・・・。あ、良くはないか!ちゃんとカゲコって言ったこと謝ってもらってないや・・・。ま、まあ、とりあえず一件落着だね!ね!」
僕は精一杯のから元気で影子に話しかけた。
影子はしばらく固まっていたが、まるで何もなかったように翻すと、スタスタとカウンターへと戻っていった。
僕もその後を追って自分の席に戻った。
そして再び影子は本に目を落とした。
僕は影子の様子を見たいような見たくないような、そんな中途半端なところを行ったり来たりしていた。
すると、影子はパタッという音を立てて本を閉じた。
「・・・ありがとうございます。」
「あ、う、うん。」
唐突にそう言ってカウンターにぶつけるんじゃないかというくらい頭を下げたので、僕も慌てて返事をした。
そして、少し間を取ってから影子は話しかけてきた。
「あの、質問を1つ宜しいでしょうか。」
「あ、うん。もちろん。」
「では、遠慮なく。 私は“図書室のカゲコ”と呼ばれていることは認知しています。恐らく悪い意味でしょう。私は本が好きで、この静かな図書館が好きです。好きな場所で好きなことをする、ただそれだけの話なのです。しかし、どうやら私は嘲笑の的にされているようなのです。私はこれからどうしていくべきなのでしょうか?私は気にならないのですが、今日のようなことが続けば、大好きな場所がどんどん淀んでしまいます。」
「じゃあ、先生に言ってみるとかは?」
「先生方はお忙しいですし、私の噂も耳に挟んでいるでしょう。それでいて対応がなされていないのですから、私がいくら言ったところで改善されるとは思えません。」
僕はそんなストレートなダメ出しに思わず面食らってしまった。
影子の本気度は伝わっているのだが、有効な手段が何かと言われると、正直思い浮かばなかった。
すると影子は不意に言った。
「やはり、本は家で読むべきなのでしょうか・・・。」
「そ、それはダメ!」
「ダメ・・・?」
「あ、い、いや!それもいい方法だけど、結局解決はしないじゃん!それよりもっといい方法・・・いい方法・・・、あっ、そうだ!愛想!愛想つける練習しよう!」
「愛想・・・ですか?」
「そうそう!もっとさ、ニッコリ笑ってさ!そうしたら、もっと明るく見えて“図書室のカゲコ”なんて言われなくなるって!」
影子は「愛想・・・。」と少し首を傾げながら呟くと、じっとこちら見つめてきた。
そして、無理やりに口角を上げ、その反動で眉間にシワが寄った変な表情になった。
「ん?な、なにそれ・・・?」
「失礼ですね、笑顔です。」
「いや、それは笑顔には見えないかなぁ・・・。」
「そうですか・・・。」
「もっとさ、自然な感じでニコってできない?」
「しているつもりなんですが・・・。」
あまりに不器用な笑顔に、逆にこっちが笑顔になってしまった。
影子は口をとがらせて、頬を膨らませて納得いかないような表情をとった。僕はそんな新しい一面が見れて更に嬉しくなり。笑顔が止まらなかった。
影子はそんな僕の姿を見て、少し考えたのちに頭を下げてきた。
「あの、唐突なお願いで申し訳ないのですが、私に愛想を教えていただけないでしょうか。」
「え?僕が愛想を?」
「はい。私はやはりこの図書室が好きなので、出来るのであればこの図書室で過ごしたいのです。そのために愛想が必要であるならば、私はどんな苦労でも厭いません。どうか、私に愛想を教えて下さい。」
影子はそう言うと、カウンターの机ギリギリまで頭を下げた。
語気は極めて単調であったが、その節々に強い思いが感じられた言葉を聞き、僕はそれを断るなんて無粋な事をできるはずが無かった。
「分かった。じゃあ、僕がなんとかしてうまく笑顔を作れるようにするから、一緒に頑張ろう!」
「はい、頑張りましょう、師匠。」
「ん?師匠?」
「はい。愛想を教えていただく師匠です。これから私は弟子として鍛錬を積む心意気です。どうかよろしくお願いします。」
「そういうのは心意気だけでいいよ!?」
影子は頑として“師匠”呼びを譲らなかった。
心意気だけにしてくれれば良かったものを、とは思いつつも、僕はそれをすべて拒絶するわけでもなかった。
かくして、僕と影子は愛想の師匠と弟子という関係になってしまったのだった。
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