必ず13階層で隠れるおじさん 後編
ハロルドは岩陰からワーウルフを見つめていた。
銀糸のような体毛、丸太のような腕、すっかり鋭くなった爪。
金色の瞳には、まだ、あの時の面影が残っている。
「ハヤテ……」
ハロルドがハヤテと出会ったのは、カイデナの森の中だった。
いつものように薬草を採取していたハロルドは、大木の虚で眠る小さなワーウルフの赤ん坊を見つけた。
なぜこんなところに……、と伸ばしかけた手をハロルドは止めた。
下手に触って匂いが付けば、後々大変な事になる……。
もし、近場に親がいるなら、この赤ん坊は一時的に隠されている可能性が高いはずだ。
そう思ったハロルドは、しばらく辺りを探してみたが、親らしき姿はどこにも見当たらなかった。
日が落ち始め、森は宵闇に包まれた。
ハロルドは、どうしても気になってしまい、ワーウルフの赤ん坊を風下の少し離れた茂みから見守っていた。
親さえ確認できれば安心して帰れるのだが、肝心の親が一向に現れない。
「俺は何をしてるんだ……まったく」
その時、三体のワイルドイーターが現れ、大木の周りを周回し始めた。
「まずいな……」
ワイルドイーターは犬に似た、比較的弱い部類の肉食獣だが、三体同時となるとハロルドの手には余る。
だが、このまま親が戻らなければ、あの赤ん坊は食べられてしまうだろう。
ワーウルフに、何か特別な恩義や思い入れがあるわけではない。
むしろ成体のワーウルフには、何度か襲われたこともある……。
ハロルドが悩んでいるうちに、ワイルドイーターは大木のすぐそばまで近づいていた。
「……くそっ!」
一か八か、ハロルドは持っていた護身用の火薬玉を、大木から離れた場所に投げた。
刹那、乾いた破裂音が森中にこだまする。
ワイルドイーター達が一斉に身を隠した。
「今だっ!」
ハロルドは茂みから飛び出し、虚の中からワーウルフの赤ん坊を取り出すと、持っていたバッグに入れ全速力で走った。
それに気付いた、一体のワイルドイーターが追いかけてくる。
「はぁ、はぁ……」
必死に藪の中を走り抜ける。途中、小枝で頬や首筋を切るが、構わずに走り続けた。
抱きしめるバッグから温かい感触が伝わってくる。
――ワーウルフを助けてどうする⁉
――見つかってしまったら、村から追い出されるだけじゃ済まないんだぞ⁉
頭の中で色々な考えが錯綜するが、今はただ、この小さな命の灯を守りたいとハロルドは思った。
『ゴガァーッ!!!』
振り返ると、鋭い牙をむき出しにしたワイルドイーターが、ハロルドに飛び掛かってきた。
「あっ⁉」
避けようとして足を引っかけ、地面に転がる。
バッグは抱えていたので、赤ん坊は無事のようだった。
中でモゾモゾと動いているのがわかる。
ほっとして起き上がろうとすると、ワイルドイーターが唸りながらゆっくりと近づいてきた。
「くっ……来るな!」
片手で短剣を構え、どうにか切り抜けようと考えを巡らせるが、ハロルドの頭には何も浮かばない。
ただ、目の前のワイルドイーターから、目を逸らさぬ事だけしかできなかった。
『――ガァッ!』
ワイルドイーターが飛びかかってきた瞬間、右側の茂みから巨大な蛇が飛び出し、獲物に喰らい付いた。
悲鳴を上げる間もなく、大蛇に呑み込まれていく。
くぐもった骨が砕ける音が聞こえ、大蛇の腹が不自然に歪む。
ワイルドイーターが中でもがいているのがわかった。
「エ、エッジヴァイパーか……」
ハロルドは目の前の捕食者に感謝した。
獲物を喰らったエッジヴァイパーは、これから消化期間に入るので狩りをしない。
起き上がり、ハロルドは再び森の中を走り出した。
*
それから数年が経った。
無事に逃げ延びたハロルドは、ワーウルフの赤ん坊を村の皆には内緒で育てていた。
独り身であったハロルドにとって、初めての家族。
ワーウルフにハヤテと名付け、我が子のように可愛がっていた。
だが、幸せな日々は長く続かないのが世の常。
ハヤテは大きくなりすぎた。
日に日に食べる量も増え、鳴き声も大きくなった。
このままでは、村の皆にバレるのも時間の問題である。
悩んだ末、ハロルドはハヤテを森にかえそうと思い立つ。
しかし、何度森に置いてきても、ハヤテはすぐに戻ってきてしまう。
時には、たくさんの果物を持って帰って来たこともあった。
嬉しくもあったが、このままでは本当に大変な事になると考えたハロルドは、ハヤテをダンジョンへ連れていくことにした。
――ダンジョンなら、ハヤテも暮らしていけるはず。
ワーウルフの生息階層を調べ、自分でも連れて行けそうな13階層を選んだ。
去り際、足下に纏わり付くハヤテを振りほどき、ハロルドは心を鬼にして、逃げるようにして村へ帰った。
数日、一週間、一ヶ月、ダンジョンで別れ、数年が過ぎてもハヤテは戻らなかった……。
いつしか、ハヤテの帰りを待っている自分に気付く。
だが、どうしようもない……。
人と魔物は、同じ場所で暮らすことはできないのだ。
数年が過ぎ、今度はハヤテが生きているかどうかが心配になってしまった。
少しだけ……、一目、その姿を見ることができれば、それで満足だと思っていたはずなのに、ハロルドはいつの間にか、ダンジョンへ通うようになってしまっていた。
その日も、ハヤテを岩陰から眺めていると、ふいに肩を誰かに掴まれた。
「おい、お前……ここで何してんだ? あぁ?」
ハロルドが驚き振り返ると、山のような大男が自分を見下ろしていた。
「え……、その……」
「アキモッさん、絶対こいつっすよ! こんなとこに隠れてるなんて怪しすぎっす!」
大男の隣で小柄な男が甲高い声で喚いた。
「今、湖を見てただろ? お前がストーカーだな?」
顔を近づけ、凄んでくる大男。
ハロルドはすっかり震え上がってしまった。
「わ、私は、その……」
「よし、こいつを連れて行く」
ハロルドの襟首を鷲づかみにして、大男は大股歩きで湖に向かった。
「覚悟しろよ! このストーカーが!」
*
湖の前に座らされたハロルドは、状況が理解できずにいた。
周りはぐるっと、人魚のファン達に囲まれている。
「だーかーらー、お前がメローナの事をストーキングしてたのはわかってんだ! 白状しろ!」
「い、いえ、私はそんなことはしていません!」
ハロルドが反論すると、湖の中の岩上から人魚達が野次を飛ばす。
「嘘吐かないで、わかってんだから!」
「メローナは怖くて外に出られなくなってんのよ!」
その野次を受け、人魚ファン達の温度感も上がっていく。
「許せねぇ!」
「そうだそうだ、やっちまえ!」
「制裁だ!」
「さっさと白状しろや!」
小柄な男がハロルドに詰め寄る。
「ちょ、ま、待って、誤解ですって……」
雪崩のように人魚ファンが押し寄せる。
「やっちまえー!」
「懲らしめろ!」
「た、助けてくれー! わ、私は何もしていないんだー!」
――その時、フロアにサイレンのような遠吠えが響いた。
皆の動きが止まり、しん……と張り詰めた空気が満ちる中、アキモトが口を開いた。
「な、何だ⁉ 今のは……ワーウルフか? おいシバ、どうなってる?」
「アキモトさん! ワーウルフの群れっす! まずいっすよ!」
「ちっ、何でワーウルフが湖に来やがんだよ……」
「い、一旦、戻るっす、武装してねぇ奴らを逃がさないと」
「仕方ねぇ、おい、お前もこれに懲りたらストーカーなんてすんなよ! わかったな!」
アキモトは、ハロルドを突き飛ばして捨て台詞を吐くと、仲間と逃げていった。
「くそっ、いてて……」
尻餅を付いたハロルドが、土を払いながら起き上がる。
湖に背を向けると、目の前に数十体のワーウルフが並んでいた。
「ワーウルフ……」
群れの中から、一体のワーウルフが歩み出た。
「ハ、ハヤテ……⁉ ハヤテなのか⁉」
見間違えようも無い。
それは確かにハヤテであった。
『ワウラウワ、ウウッワウワアウ……』
(久しぶりですね、ハロルドさん……)
「ハ、ハヤテか? 俺だ、ハロルドだ、わかるか?」
ハロルドが困惑していると、後ろから人魚の声が聞こえた。
「久しぶりと言っているわ」
「あ、あんたは……」
「私はメローナ、なぜ……ファングが貴方を助けるの?」
そう言って、怪訝そうな顔でハロルドを見る。
「ファング?」
「ワーウルフのことよ」
『ワウウアウヌ、ウウアウウアウウウアウウウアウウアウ』
(メローナ、ハロルドさんは僕の命の恩人なんだ)
「……え⁉ そ、そんな……ストーカーじゃなかったの……?」
「そ、そうだ、私はストーカーじゃない! ハヤ……いや、ファングを見に来ていただけなんだ」
『ワウワウウ、ウワウウワウウアウウアウウアウウワウウ』
(頼む、この人を許してあげて欲しい)
「……わかったわ」
「どうした? ファングは何て言ってる?」
メローナはキラキラと輝く金色の髪を後ろに払った。
「……う、疑いは晴れたわ。で、でも、貴方だって悪いんだからねっ⁉」
それだけ言うと、顔を真っ赤にしてポチャンと湖に潜ってしまった。
「あ、ちょ……」
『ワウワウ、ウウワウアウウ……』
(やれやれ、メローナは相変わらずだな……)
ファングはハロルドをじっと見つめた。
『ウウアウウ。アウウアウウウアウワウ。ワウワ、ワウワウウウウワウ……』
(ハロルドさん、あなたには返しきれない恩がある。あの頃の暮らしは本当に楽しかった……)
「何て言ってるんだ……。あぁ、人魚がいないから……、えっと、ファ、ファングって呼べば良いのかな? げ、元気だったのか? 身体はどうだ? 毛艶は良いみたいだが、ちゃんと食べてるのか?』
ハロルドは必死に身振り手振りで訴えかける。
ファングは静かに目を閉じ、次の瞬間、大きな遠吠えを上げた。
『アウォーーーーーーーーーーーーーーーーン!』
すると、後ろで待つワーウルフ達も遠吠えを上げる。
『『アウォーーーーーーーーーーーーーーーーン!』』
「ファング……」
『アウア、ワアウアウ、ワウワウウウ。……ワウワウ、ウウアウウ。ワウアアウア』
(僕にはもう、守るべき家族と仲間がいます。……ありがとう、ハロルドさん。どうかお元気で)
ファングは背を向け、群れに戻っていく。
群れの中から、小さなワーウルフが飛び出してファングの肩に飛び乗った。
「そうか、守る者ができたのか……」
ハロルドはその背中を、じっと見つめていた。
ファングが何を言ったのかはわからなかったが、これが最後なのだとハロルドにはわかった。
* * *
「ただいまー、今日は良い魚が取れたよ~」
マーゴが大っきな魚を抱えて戻ってきた。
「うわ、凄いね! どうやって捕まえたの?」
「へへへ、内緒だよ」
得意顔でマーゴはキッチンへ向かう。
ちらっとモノリスに目を向けると、ちょうどハロルドさんが外に出て行くところだった。
何となく、その足取りは軽そうに見えた。
「ハロルドさん、頑張ってね……」
モノリスに向かって呟くと、僕はマーゴのいるキッチンへ向かった。
「ねぇねぇ、マーゴー、人魚がむかつくんだけどー」
「どうしたの急に?」
「あのね、今日さぁ……」
「……でね」
「……」