スライムを狩り続ける男 後編
* * *
「はぁ、はぁ……」
ロータスは、かれこれ三日以上戦い続けていた。
いくら相手がスライムとはいえ、体力の消耗は激しく視界もかすみ始めてきた。
「ふんっ!」
斧を振り下ろすと、赤いスライムが破裂した。
――今ので8320体。
「くそっ! まだだ! まだ、足りねぇ……」
病床に伏せるエレーナを思えば、休んでなどいられなかった。
こうしている間にも、病魔は娘の身体を蝕んでいく……。
街医者も、呪術師も、魔術師も、頼れる者にはすべて頼った。
だが、口を揃えたように、皆、手に負えないと頭を振った。
ロータスはわかっていた。
自分がどれだけ愚かな事をしているのかを。
病床の娘の手を握り、静かに見送ってやる方が、エレーナも喜ぶんじゃないかと、何度も考えた。
だが、万が一でも、例え可能性が限りなくゼロに近くとも、こんな自分にできることがあるのなら……。
ロータスは歯を食いしばる。
「おらぁっ!!」
鉛のようになった腕を、気力で動かしながら白いスライムを倒す。
「ぬあぁっ!」
目に映るスライムが滲む。
頬に涙が伝った。
「ちきしょう! 俺には倒すしか……倒すしかないんだ!」
――数時間後。
ダンジョンに入ってきた冒険者パーティーの一人が、ロータスを指さした。
「おいおい、ロータスのやつ、本気でやってるぜ」
「気持ちはわかるが……スライムを一万匹倒したからって、あの娘さんは無理だろ?」
「赤と白……だっけ? んなもん途中で順番間違えちまうぜ、なぁ?」
「「わははは!」」
「やめろ、そっとしといてやれよ……」
他人の声が耳に入るほど、ロータスに余裕はなかった。
身体が動く限りスライムを倒し続け、疲労はピークに達していた。
ロータスは、朦朧とする意識の中で、何かに取り憑かれたようにスライムを探す。
スライムは次々と湧いて出る魔物ではあるが、流石に倒しすぎたのか、目当ての赤いスライムと白いスライムが、ここに来て見つからなくなってしまった。
9997体……。
目に見える範囲には、緑と黒のスライムしかいない。
仕方なくロータスは場所を変え、赤と白のスライムを探して回った。
「どこだ! くそっ!」
あと3体、たった3体なんだ……。
家を出る前、ついにエレーナは喋れなくなってしまった。
顔色は日に日に悪くなっていく。
もう、スープを飲むことさえ……。
あと少し、ほんの少しだというのに!
ロータスの脳裏に、無邪気に笑う幼き日のエレーナの姿が浮かんだ。
エレーナの母は美しい女だったが、生まれつき身体が弱く、彼女を産んですぐに死んでしまった。
だが、ロータスは誰にも落ち込む姿を見せることなく、男手一つで立派にエレーナを育てあげた。
二人はいつも明るく、食卓には笑顔が溢れていた。
エレーナも次第に大きくなり、逆にロータスの世話を焼くようになった。
ダンジョンで深手を負った時は寝ずに看病をし、遠征から帰れば、いつもエレーナは温かいごはんを作って待っていた。
「エレーナ……」
ロータスは必死にスライムを探す。
その時――、岩陰に赤いスライムが見えた。
「よし! これで……⁉」
一歩踏み出したロータスの動きが止まる。
「あ、ああ、あ……う、嘘だ……ああああああああああああ!!!」
ロータスがその場に膝から崩れ落ちた。
頭を両手で抱え、慟哭する。
その足下には、ロータスが誤って踏み潰した、黒いスライムの残留物があった。
ロータスは絶叫しながら、地面を殴り続けた。
拳は痛々しく潰れ、血が流れている。
痛みだけが、ロータスの正気を繋ぎ止めていた。
「くそぉ……!」
ロータスの内から怒りがこみ上げてくる。
無力な自分への怒り、理不尽な神への怒り、誰に向けるわけでもない、行き場の無い怒り。
ロータスは斧を握り締め、集まって合体しようとするスライムを見た。
「くそがぁああ……あ⁉」
斧を振り上げ、スライムを潰そうとするロータス。
が、その時、足下に小さな黒い小瓶が落ちているのに気付いた。
「これは……さっきのスライムの?」
ロータスは首を傾げた。
スライムからドロップアイテムが落ちるなんて、長い間冒険者をしているが聞いたことも無かったのだ。
小瓶を手に取ると、ロータスの瞳の奥に輝きが戻った。
「こ、これは、エ、エリクサーじゃねぇか!!」
ロータスの心臓が躍るように跳ねた。
以前、大討伐の際、階層主から落ちたエリクサーを見せて貰ったことがある。
間違いない、これはエリクサーだ!
歓喜に打ち震える。
怒りは消え、神への感謝に変わった。
「おっと、こうしちゃいられねぇ!」
疲労困憊であったはずのロータスは颯爽と斧を担ぎ、光射すダンジョンの出口に向かって走って行った。
* * *
モノリスに映るロータスさんの後ろ姿を見て、僕は目尻の涙を拭った。
マーゴが淹れなおしてくれたコーヒーを飲みながら、ほぅーっと温かい息を吐く。
「よかった……これできっと娘さんも助かるよね」
その日の夜、僕はマーゴに貰った本とペンで初めてのレポートを書いた。
マーゴに聞いたところ、スライムからエリクサーがドロップする確率は百万分の一だと言う。
ゼロに近い確率、まさに奇跡といっても過言では無い。
もしかして、至高の存在が何か手心を加えたのかな?
いや、それはないか……。
何にせよ、きっと今頃、二人は笑って美味しいごはんでも食べているはずだ、うん。
「家族って憧れるなぁ……」
ペンを置くと、キッチンからマーゴの声が聞こえてきた。
「おーい、ピオ―、できたよー」
「はーい!」
香ばしい匂いが漂ってくる。
今日の晩ご飯は何だろう?
こうして、ダンジョンマスターとして記念すべき初仕事が終わった。