至高の存在とその眷属⁉
そこは真っ白な世界だった。
目を開けても、閉じても変わらない――、どこまでも白く、何も無い世界。
頭の中で、パチッと何かが破裂するような音が響く。
次の瞬間、僕は大きな革椅子に座っていた。
「ここは……」
目の前の壁には、つるつるした黒い石板が何枚も並んでいる。
隣にも同じような椅子があり、僕の座る椅子との間には小洒落たサイドテーブルがあった。
「何だろうここ? ていうか、僕は……」
周りの壁は岩肌、床には紅い絨毯が敷かれ、右奥には丸みを帯びた小さな人型の石像が置かれている。その向かい側に小さな祭壇があり、羽根を広げた鳥型の魔石彫像が、鈍い赤光を放っていた。
『ピオ・マホロニア、君に質問がある』
――鳥の彫像から聞こえる。
声の発声に合わせて、眼がチカチカと輝いた。
「だ、誰ですか?」
『私に名は無い、この世界にある全てのダンジョンを所有する者である』
「へ? ダンジョンを?」
『君は死んでいる、だが、私なら再び生を与えることが可能だ』
「え⁉ ちょ……」
『このまま無を望むのであれば君の意思を尊重しよう。だが、生を望むのであれば、君の桁外れな魔力を見込んで、ひとつ頼みたい事があるのだ』
これは夢なのだろうか?
それにしては、肌に感じる空気も、少し土の湿った匂いも、全てがリアルに感じられた。
僕は――まだ死にたくない。
だって、まだ、僕は何も知らない、ダンジョンに入ったのだって、あれが初めてで……これから、世界中のダンジョンを冒険するんだって思ってたのに!
もっと魔法も勉強したい、剣術も覚えたい、色んなものを見たいし、美味しいものを食べたい。
か、彼女だって欲しい……もっとたくさん、やりたいことが、もっと、もっと……。
考え込んでいると、彫像の眼が明滅した。
『どうする? 無理強いはしない。このダンジョンで、私の手伝いをする気はないか?』
「え? ここってダンジョンの中……?」
『そう、ここはダンジョンの最下層にあるマスタールーム。君にはここでダンジョンマスター、そう、ダンマスとして働いてもらいたいのだ!』
「だ、だんます……?」
――その時、背後にかなりの魔力を感じた。
咄嗟に身構えて振り返る。
「やだなぁ、そんなに驚かないでください、まぁお茶でもどうぞ~」
そこには、トレイの上にお茶を乗せた猫が立っていた。
「ね、こ……?」
正確に言えば、二足歩行の猫。
エメラルドのような瞳、毛色は濃いグレー、耳先だけほんのり黒い。
そしてなぜか、薄茶色のエプロンを付けている……。
背丈は僕より少し小さいくらいだが、それでも地上にいる猫とは、比べものにならないほど大きかった。
『紹介しよう、彼は賢猫のマーゴ。私の生み出した眷属であり、君の助手でもある』
「マーゴです、よろしく」
「ど、どうも、ピオです、よろしく……」
『では、挨拶も済んだ。早速、業務についての説明をマーゴから……』
僕は慌てて言葉を遮った。
「ちょ! ちょっと待ってください! まだやるとは言ってません!」
『……なら、死ぬのか? そうは思っていないようだが?』
彫像の眼がチカチカチカ……と激しく点滅する。
うっ、うぅ……圧が凄い。
「そ、それは……確かに、生きたいとは思っていますけど!」
『やれやれ……何を悩むことがある? お前は生を望む、ならばマスターとして働く以外に道はないだろう?』
今度は彫像の眼が、ボワ~ンボワ~ンとゆっくり明滅した。
僕は言葉に詰まり、ふとマーゴを見た。
マーゴは小首を傾げながら、俺をまっすぐに見つめている。
そういえば、猫って格下には目を逸らさないと聞いたことがあったな……。
ていうか、そもそも猫なのかな?
眷属とか言ってたから精霊とか、もしかして魔獣……いや、どう見ても猫だし、それはないか。
じっと、僕を見続けるマーゴ。
もしかして、もう格付けが始まっているのだろうか?
僕とマーゴは、瞬きもせず見つめ合った。
賢猫とやらは、一向に目を逸らす気配がない。
ぬぐぐ……やる気だな。
――戦いの鐘が鳴った。
マーゴの口が徐々に開いていく。
内心ドキドキしながらも、僕は少し目に力を入れてみた。
だが、マーゴは一切表情を変えない。
丸い瞳孔の奥にはベンタブラックみたいな闇が広がっている。
おのれ……、中々に強情な猫だ。
『あ、あの、二人とも、この至高の存在たる私の話をだね……』
ぬぁ〜! 逸らしたら負けだ、集中! 集中しろっ!
マーゴの首が段々と曲がってきた。
もう、ほぼ90度横に向いている。
何でこんなに曲がるんだ⁉
『オホン、あー、いいかね、二人とも……』
負けるもんか! うぅ、でも目が乾く。
僅かに開いたマーゴの口から、舌先がちょこっと覗いていた。
か、かわいい……くっ!
わざとか! 卑怯だそ、マーゴ!
『やれやれ、仕方ない…』
突然、彫像から稲妻が迸った。
「あがががががががっ!!!!」
「にゃががががががっ!!!!」
全身が痙攣し、僕とマーゴはプスプスと煙を上げて倒れた。
『自分達の立場がわかっているのか?』
「いてて……オホッ、オホッ! す、すみません……」
「うにゅぅ……」
まだ身体が痺れているのか、マーゴはフラフラしている。
僕は立ち上がって、至高の存在に尋ねた。
「その……、仕事というのは、どのような事をするんでしょう?」
『前向きな質問でよろしい。君がするべき仕事は、たった2つだけだ。後ろを見たまえ』
言われた通りに後ろを向く。
壁一面に並ぶ黒い石板に文字が映し出された。
―――――――――――――――――――――――
■ダンジョンマスター作業概要■
①マスターはダンジョンコアに魔力を供給してください。
供給方法:コアに直接注ぎ込む(二人作業)
チェック者はちゃんと魔力が注がれているか、コアの色を確認すること。
②フロアを点検してください。
モノリスビジョンによる全フロア目視確認をおこなう。(一人作業)
毎日報告レポートを提出してください。
そして、最後に一番大事な『不介入の掟』があります。
ダンジョンマスターは、いかなる理由があろうとも冒険者を助けてはなりません。
ルールを守って、安全、快適なマスターライフを送りましょう。
―――――――――――――――――――――――
『見ての通りだ、君にはここでダンジョンマスターとして活躍してもらいたい!』
「本当にこれだけで良いんですか?」
『もちろんだとも! 外には出られないが……あとは、風呂もトイレもシャワーもある、キッチンもあるし、マーゴは料理が得意だ、きっと気に入るだろう』
「魚介系がメインになっちゃいますけどね」
マーゴが照れくさそうに舌を出した。
「「わははは」」
彫像の眼がチカチカ点滅し、それに合わせてマーゴも笑っている。
――そ、外にでられない⁉
どうする? だが、ここで断れば、僕は無に帰ってしまう。
もう一度、生きられるチャンスがあるのなら、例え幽閉の身になるとしても……。
そうだ、何を迷うことがある!
生きてさえいれば、きっと良いことがあるはずだ!
「……わかりました、マスターをやらせていただきます!」
『よろしい、契約成立だ。わからないことはマーゴに聞くといい。では、ピオ・マホロニアよ、励むが良い――』
彫像の眼から、ふっと明かりが消えた。
「え? もう始まってる? んーっと……どうすればいいのかな?」
するとマーゴは、熟れた感じで説明を始めた。
「じゃあ、早速コアに魔力を供給してください、ついでにマスタールームを案内しますので」
「あ、うん、よろしく」
マーゴがエプロンを外し、部屋の奥へ向かう。
後ろに続いて真っ直ぐ進むと、横穴があった。
その横穴にスッとマーゴが入り、
「ここがお風呂です、温度はここで調節ができます」と、銀色のダイヤルをつんつんと突く。
「へぇ~、結構広いんだね?」
「はい、たまに魔獣を解体してますけど全然」
「そ、そうなんだ……」
浴室を出ると、すぐ隣に広いキッチンがあった。
「うわっ凄いねぇ、冷蔵庫があるじゃん!」
冷蔵庫は、最近タチカワの市場でも売り出されたばかりの希少な道具で、食材などを冷やして保管することが出来る。
その仕組みは単純で、内壁にフロストドラゴンの鱗を貼り付けてあるだけ。
ただ、その鱗が中々の希少品で、かなり値が張ることから、一般の家庭には普及していない。
「そうでしょう、そうでしょう。これは至高の存在に用意していただいたのです!」
マーゴは嬉しそうに、ピカピカの冷蔵庫を布巾で拭く。
ガチャッと扉を開けると、中には食材がぎっしりと詰まっていた。
「うわぁ、すごい! これは何の肉?」
「お目が高い、それはナッツベアの肉です」
「ナッツベア……?」
モンスターに関しては図鑑や書物で勉強していたけど、ナッツベアなんて聞いた事がなかった。
「ご存じないですか? 229階層の森にいるモンスターで、とても香ばしくて美味しいですよ」
「へぇ、それは美味し……に、229階層⁉」
「何か?」
マーゴは不思議そうな顔で僕を見た。
そうか、最下層って言ってたもんな……。
てことは100階層を越えても、まだ半分にも満たないんだ……。
「ちなみに、ここは最下層だよね?」
「はい、今は365階層です」
「365……そんなに……」
うーん、これはスタンピードが無かったとしても、無理だったかなぁ。
「ピオ様が魔力を供給すれば、もっと広がるでしょうね、楽しみです」
マーゴは布巾を流しで洗い、布巾掛けに掛けた。
「え?」
「ダンジョンは魔力供給によって成長したり、自己修復もしますよ。あ、そうそう、マスタールームは常に最下層に存在するようになってますから、ご安心を」
「そうなんだ……」
もう、僕はあまり驚かなかった。
何にせよ、僕の理解を超えた存在が創ったものなのだから。
僕達はキッチンを離れ、一番奥にある小部屋に入った。
部屋の中央には、煌々と輝く巨大な玉が台座に置かれている。
「こちらが、このダンジョンの心臓ともいうべき『ダンジョン・コア』です」
マーゴはいつの間にか持っていた、ちょっと高そうな紫色の布でコアの埃を払った。
ていうか、触って平気なんだ……。
「えっと、この玉に魔力を注げばいいの?」
「はい、私はチェックしてますので、お願いします」
「わかった。じゃ、じゃあ……」
僕はコアに手を触れ、魔力を流し込むイメージを浮かべた。
「お? ん? これは……」
グングンと魔力が吸い込まれていく!
不思議な感覚……、不快な感じはしない。
何というか、まるで身体の奥底から、春風が吹き抜けるような感じがした。
段々、コアが輝きを増していく。
眩しくて、目を開けていられないくらいになった時、マーゴが声を上げた。
「ピオ様! そこまでで!」
「あ、うん」
シュゥン……と、コアの光が収まっていく。
「おどろきました、本当に凄い魔力をお持ちなんですね」
「そ、そう? えへへ」
「これで供給は終わりです、しばらくすれば、ピオ様の魔力が行き渡り、ダンジョンが成長を始めるでしょう」
「ふーん、ダンジョンってそういう仕組みだったのか……」
「これで正真正銘、このダンジョンのマスターはピオ様になったわけです。モンスターもピオ様には襲ってきません」
「そうなの⁉」
「ええ、もちろんです。モンスターからすれば、ダンジョンは家。家と同じ波長の魔力を宿すピオ様を襲わないのは当然ですよ」
そう言って、マーゴは常識だろ? といった感じで肩を竦めた。
理屈はわからないけど、襲われないってのはいいかも。
僕達はコアルームを出て、黒い板の並ぶ部屋に戻った。
ここはモニタールームと言うらしい。
「じゃあ、ダンジョン内なら、自由に散歩できるのかな?」
「そうですねぇ……至高の存在がお許しになれば可能だと思いますけど……」
マーゴがチラリと鳥型の彫像を見る。
「そっか、じゃあ今度聞いてみようかな」
僕はちょっと緊張しながら、
「ねぇ、その……ピオ様っていうのはやめない?」と、言ってみた。
マーゴが不思議そうな顔で僕を見る。
「ほ、ほら、何か他人行儀っていうか……」
「……別に構いませんけど、それでいいんですか?」
「うん! もちろんだよ!」
「では、何とお呼びすれば?」
「ピオでいいよ、それに敬語もいらないし……、その、僕と友達になってくれない?」
「あの、私、眷属なんですが……」
マーゴが不安そうに髭を下げる。
「そんなの関係ない、僕はマーゴと友達になりたいんだ!」
照れくさくて顔が真っ赤になった。
マーゴは少し戸惑った感じだったけど、
「わ、わかった、じゃあよろしく……」と、丸っこい手を差し出してくれた。
「やったぁ! ありがとうマーゴ!」
握った手はふわふわで柔らかかった。
――僕は死んだ。
だけどもう一度、このダンジョンでマスターとして生きるチャンスを得た。
これからどんな生活が待っているのか想像も付かない。
このまま、もう、地上にも戻れないのかも……。
でも、生まれて初めて出来た友達と一緒に、僕はこのダンジョンから世界を見ようと思う。
うん、多分、それはきっと楽しくて――、悪くないはずだ。