螺旋の向こう
コアに魔力を供給し、今日のルーティンを終える。
僕はマーゴに「いってくるね」と声を掛け、フードマントを被ってダンジョンに出た。
一人ダンジョンの中を歩きながら、バベルで読んだ本のことを考える。
深淵システム……そういうものでダンジョンは管理されているそうだ。
そして、あの本によれば、僕はダンジョンを出る事ができるらしい……。
ただ、マスターである僕が外に出れば、僕はそれ相応の『何か』を失うと書かれていた。
マスターが外に出るには二つの条件があった。
『外に出る日は、黄道十二宮上で4つの惑星が十字型に並ぶ日を選ばなくてはならない』
これが第一の条件だ。
それは三年後の今日――。
それを逃せば、次は永遠とも思えるような時間を待つ事になる。
僕は自分の気持ちがわからなかった。
100年も経ってしまったというのに、今更外に出てどうする?
たった一人の友人であるマーゴを置いていくのも嫌だ。
もしかすると、失う『何か』は、命かも知れない。
でも、外に出られるって事は、レイナと共に生きていけるという事でもある。
三年……。
何かを決断するには長いようで、余りにも短かった。
* * *
一年目、僕は勇気を出して、レイナに素顔を見せた。
見せる前は怖かったけど、レイナは思いのほか喜んでくれた。
僕のフードマントを気に入ったようで、しばらく被ったまま、はしゃぎ回っていた。その姿が何だか可笑しくて、僕たちはしばらく笑い転げた。
二年目、僕とレイナは色々な場所を巡った。
一緒に人魚のライブを見たり、ダンジョンの森でキャンプをしたり、地底湖で釣りもした。僕が助ける事にならないように、事前に近場の魔物を寄せ付けないように結界を張ったりもした。
三年目、僕は決断を迫られていた。
このまま、マスターとしてダンジョンで暮らすのか、それとも、全てを失う覚悟でダンジョンから出るのか?
答えを出せないまま、刻一刻とその時は迫っていた。
「ピオ、貴方が何を悩んでるのかはわからないけど……何かあるなら言って? 相談乗るわよ?」
「……」
レイナはにっこりと微笑み、僕を元気づける。
ああ、この笑顔さえ知らなければ……。
「きゃははは! 見てみてー! 凄いの釣れたー!」
ダメだ、ダメだってわかってるのに……。
「ほーらー、怖くないわよ、あれ? 変ねぇ……魔物がいないわ……」
もし、レイナに出会っていなければ、僕はどうしてただろう?
ダンジョンに入ってくる冒険者の姿に一喜一憂し、バベルで終わりの無い勉強に励み、マーゴと一緒にこの命が尽きるまでマスターとして最後を迎えたのだろうか……。
それはそれで、楽しそうだと思える。
でも、今、目の前にある、この笑顔を見てしまうと……、全てが色褪せて見えた。
「レイナ……お願いがあるんだ……」
ダンジョンから出る条件はもうひとつ――、誰かに……誰かに外から手を引いてもらうこと。そして、その手を引く誰かは、自分を愛してくれる人でなくてはならない。
その日、僕はダンジョンから出ることを決めた。
* * *
ダンジョンの入り口が見える。
境界線、外と中、このたった一歩にも満たない距離が世界を分けている。
越えられない境界線――。
その向こうで、レイナが、僕を見て微笑む。
黄道十二宮上で4つの惑星が十字を描く。
今日という日、これが最初で最後のチャンス……。
マーゴ……。
僕は……ごめん……。
レイナの差し出した手を握り、ダンジョンから出ようとした――、その時。
『――ピオ・マホロニア、本当に良いのかね?』
頭の中に至高の存在の声が響いた。
『もし、足を一歩でも踏み出せば、君がダンジョンで得た知識、力、何もかも全てを失う事になるぞ?』
わかってる、今も……、決意したはずの今も……。
気持ちが揺らぐ。
でも、ダンジョンの外から僕を見るレイナの笑顔を見ると、迷いはどこかに消えてしまう。
「ピオ……、大丈夫?」
――レイナ、ありがとう。
僕は至高の存在に心の中で訴えかけた。
「僕は……感謝しています。貴方は一度死んだ僕にチャンスをくれた。でも、僕は、僕はどうしても彼女と生きたい! もし、魔力が必要なら、僕の魔力を全て使ってください! だから……」
と、その時、突然辺りが灰色に染まり、マーゴが姿を見せた。
「やれやれ……。ピオ、どうしても行くのかい?」
マーゴはそう言って、短くため息をついた。
「マ、マーゴ? どうしてここに……」
何かの空間魔術?
レイナも動きを止めて……まるで時間が止まっているようだ。
「ふふふ……、もう一度、ピオの顔を見たくてね」
「マーゴ……」
「決意は固いようだ……。君のような優秀なマスターを失うのは辛いよ」
「マ、マーゴ、だよね?」
何だか様子が変だ。
いつものマーゴらしくない。
「そう、マーゴ、至高の存在、至高の御方、呼び方は色々さ」
「マ、マーゴが至高の存在……⁉」
「うふふ、驚くよねぇ? 別に、隠すつもりはなかったんだよ?」
マーゴは、サコッシュからフンゴ・オンゴを取り出して、僕に向かって投げた。
フンゴ・オンゴは放物線を描き、ポスッと僕の腕の中に収まった。
「それは君にあげる」
「え……? いいの?」
「うん、それは君のだから」
「あ、ありがとう……」
僕とマーゴは少しの間、黙ってお互いに見つめ合った。
「マー……」
「ピオ、君に料理を作るのは嫌じゃなかったよ」
僕が口を開きかけた瞬間、マーゴが僕の胸をポフッと押した。
「あ――」
僕はダンジョンの境界線を越え、外に一歩踏み出した。
瞬間、バベルで得た叡智、魔術の全てが僕の記憶の神殿から、黄金の鳥となって飛び立っていく。
灰色の世界で、鳥たちだけが美しく輝いている。
幾千の群れは、在るべき場所へと還っていく。
……螺旋がどこまでも続いている。
鳥たちが描いたように、僕の意識も螺旋を描きながら暗闇に落ちていく。
――果てしない闇が拡がる。
闇の中、ダンジョンで会った人達の顔や出来事が、泡のように浮かんでは消えていった。
僕は全てを忘れてしまうのだろうか?
このまま、何もかも。
マーゴ……僕の初めての友達。
レイナ……僕が初めて愛した人。
僕は……。
* * *
「ピオ! ピオったら!」
「ん……んん?」
「あ! 良かったぁ! ピオ、心配したのよ⁉」
レイナが僕に抱きついてくる。
身体が小さく震えていた。
「レイナ……?」
ここは……。
辺りを見回すと、真後ろにタチカワダンジョンの入り口が見えた。
そうか、僕はダンジョンの入口で倒れていたらしい。
「もう、急に動かなくなっちゃうんだから!」
涙目で怒るレイナに謝りながら、僕はゆっくり起き上がった。
「僕は……ここで、何をしてたんだろう?」
「何を馬鹿なこと言ってるのよ? 今日こそ家に来るってピオが言ったんじゃない!」
「そ、そっか、あはは、そうだよね」
僕は話を合わせ、笑って誤魔化した。
わからない、記憶が混乱してるだけなのかな……。
レイナと一緒に、街に向かって歩く。
途中、楽しそうにレイナが話しかけてくるけど……、全然頭に入ってこない。
何か、何かすごく大事な事を忘れてるような……。
考えようとすると、何を思い出そうとしていたか忘れてしまう。
「買い物しようって言ってたよね? ちょっと覗いていこうか?」
「うん」
僕たちはタチカワの街で、武器屋や、道具屋、ハイブランドのポーションや、串焼きのお店など、色々と見て回った。
「やっぱり二人だと楽しいね?」
にっこり笑うレイナの言葉に一瞬戸惑う。
「う、うん、楽しいね」
僕はレイナに、外へ出たくないと言っていたのだろうか?
ていうか、僕はどこに住んでいたんだろう?
思い出せない……。
レイナの事はわかる――、でも、自分が今まで何をしていたのかがわからない……。
「あ! 見てみてー、可愛い猫ちゃん」
「え……」
見ると、小さな黒猫がどこかで盗んできた魚を咥えて、路地裏に走って行った。
「猫……」
「あ……残念、猫ちゃん行っちゃったねぇー。ピ、ピオ⁉ どうしたの?」
「へ?」
気付くと、僕は大粒の涙をこぼしていた。
「あ、あれ? 何でだろう?」
理由がわからない。
でも、止めようと思えば思うほど、胸が苦しくなった。
*
レイナの家に着いた頃、辺りはすっかり暗くなっていた。
一緒に夕飯を食べた後、レイナが当たり前のように訊いてきた。
「ねぇ、ピオ、泊まってくよね?」
「えっ⁉ そ、それは……」
「あー! 変なこと考えてたでしょ? 今日は特別なんだからね!」
「ほんとに……いいの?」
レイナは少しだけ顔を赤くして、
「もう! 良いって言ってるんだから良いのっ!」と言った。
「あ、ありがとう……」
*
僕はベッドの横にあるソファで横になった。
レイナはベッドで一緒に寝ればいいじゃんと言っていたけど……、流石に眠れなくなってしまうので断った。
疲れていたのか、レイナは毛布にくるまると、すぐに寝息を立て始める。
ソファでも、僕は何だか緊張して眠れなかった。
真っ暗な中、ふと、目を開けると、僕の革袋から光が漏れているのに気付いた。
「なんだろう……?」
中を見てみると、一本の茸が入っていた。
なぜか茸は輝いている。
そして、次の瞬間、茸の傘から目映い光が照射され、部屋一面に星空が映し出された。
「わあ……」
なんて美しい……。
「ねぇ、マー……?」
……え?
いま、僕は誰を呼ぼうとしたんだ?
「うーん……ピオ? 眠れないの?」
レイナが目を擦りながら上半身を起こした。
「マーゴ……」
「ピオ?」
「マーゴ! そうだよ、マーゴだよ! 僕は何故、こんな大事な事を忘れていたんだ!」
涙が止まらない――。
胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
「ピオ、落ち着いて、大丈夫だから……えっ⁉ な、何⁉ お星様?」
レイナは映し出された星空を見て、呆気に取られている。
僕はベッドに戻り、レイナの隣に座った。
「ごめんね……レイナ。思い出したよ、これはねフンゴ・オンゴっていう茸で、星空を見せてくれる茸なんだ」
「そ、そうなの、驚いたわ……。でも、とっても綺麗ね」
「うん、綺麗だね……」
「でも、こんな茸、どこで手に入れたの?」
「うん? これは……友達にもらったんだ」
「友達?」
「そ、僕に初めて出来た、大切な友達なんだ……」
* * *
窓際に置いてあるお気に入りの椅子に座り、僕は庭で洗濯物を干すレイナに目を細めた。
コーヒーに口を付け、手元に目線を戻す。
春の強い風が、ページをめくった。
僕は慌てて本を手で押さえ、乱れた髪を直した。
コーヒーの表面に浮かんだ小さな葉っぱがくるくると回る。
それを見つめながら僕は思った。
あの時、至高の存在は言った。
フンゴ・オンゴに魔力水を注げば良いことがあると――。
もしかして、マーゴはいつかこうなることを知っていたのかも知れないな……。
「ピオ―、ちょっと手伝ってくれるー?」
「うん、今行くー」
魔力のなくなった僕に、最下層まで行く術はない。
魔術の知識もすっかり消え失せてしまった。
でも、僕にはわかる――。
ダンジョンに入れば、マーゴはきっと僕を見てくれている。
あの、最下層のマスタールームで、温かいコーヒーでも飲みながら。
END
最後までお付き合いくださって、本当にありがとうございます!
少しでも楽しんでもらえていたら幸いです(*´∀`*)
応援してくださった皆様、ありがとうございました!