夜のバベル
あの日から、僕はいけないと思いながらも、レイナと会うようになっていた。
なるべく踏み込まないように、踏み込ませないように。
距離を取りながらのぎこちない会話だったが、レイナは気にしていないようだった。むしろ、冒険者の友人として、とても好意的に接してくれている。
岩に座り、足をぶらぶらさせながら、レイナが言った。
「でも、不思議。ずっと、冒険者の友達ができなくて悩んでたのが嘘みたい」
「へぇ、そうなんだ」
「ピオはどうなの? いつもソロみたいだけど、やっぱり仲間がいるの?」
そう尋ねられて、真っ先に僕はマーゴの事が頭に浮かんだ。
「だ、大事な友達なら、一人だけ……」
「うわぁ、会ってみたいなぁ! ピオのお友達ならきっと良い人よね!」
「う、うん……、機会があればね、ははは」
「……ほんとありがとね、ピオ」
急にレイナが照れくさそうに目線を逸らした。
「え? どうしたの突然?」
「ピオのお蔭で、五階層までは来られるようになったんだもん、お礼を言うのは当然でしょ?」
「い、いや、僕は独り言を言っただけだから」
レイナの言葉を慌てて否定する。
どこで助けたという判断が下されるかわからないからだ。
「そういう謙虚なところも……好きかな」
「ふぁ⁉」
僕はフードをさらに目深に被った。
ど、どうしよう……。
心臓が爆発しそうだ!
「あ、そうだ! 今度ウチに遊びに来ない? 大したおもてなしはできないけど……、ピオに美味しいタルトを焼いてあげる!」
満面の笑みで目をキラキラと輝かせながら僕を見るレイナ。
「わぁ、タル……」
僕は天にも昇るような気持ちになりかけたが、それは一瞬で消えてしまう。
「……」
僕の中に知らず知らずに溜まっていた何かが、感情の波に押し出される。
気付いた――。気付かされてしまった。
頭ではわかったつもりだったけど、たった今、心で理解してしまった。
僕は、君とタルトを食べることさえできないんだ……。
「どうしたの? ピオ?」
「ご、ごめん、レイナ、また!」
僕はレイナに背を向けて走った。
「ピオーっ!」
レイナの呼ぶ声が聞こえなくなるまで、僕は走り続けた。
涙が、自然と涙が溢れてくる。
仕方ない、仕方ないんだ。
マスターになっていなければ、レイナと会うことも、話をすることもできなかった。
十分すぎるくらいの見返りじゃないか!
それに、マーゴっていう友達もできた。
そうだ、僕もマーゴから料理を習おう。
毎日、美味しいものを作って、マーゴに食べてもらうのはどうだろう。
マスタールームの近くに畑も作ろう。
池も作って、魚を育ててもいいかな。
今度、眠れない夜は、バベルに行ってみようか。
あ、夜のバベルって星は見えるのかな。
それに……、それに……。
あれ、何で?
何で涙が止まらないの?
何で……、何で、こんなに胸が苦しいんだよぉーーーっ!
僕は472階層の岩壁に両手を付き、声をあげて泣いた。
*
地底湖で顔を洗った後、僕は最下層のマスタールームに戻った。
「……ただいまー」
「おかえり、遅かったね?」
「あ、うん……ちょっと寄り道してた」
そう答えて、目線を外す。
何となく、マーゴの顔を直視できなかった。
マーゴは不思議そうに顔を傾けた後、
「……食べる?」と訊いてきた。
「うん、ありがと」
テーブルの椅子に座ると、気まずさを感じる暇もないまま、料理が運ばれてきた。
「今日はね、お肉だよ」
マーゴが銀色のクロッシュを被せたトレイをテーブルに置いた。
「え……すごい!」
何だろう、ワクワクする。
「ジャーン! 三頭牛の柔らかフィレステーキ~!」
マーゴがクロッシュを外した。
「おお~っ!」
表面は香ばしく焼き上げられ、肉の中心部はほんのり赤い。
見ただけでしっとりしているのがわかる。
掛かっているソースからも食欲をそそる香りが漂い、今にも齧りつきたくなるようなステーキだった。
「さ、冷めないうちに食べて」
「うん! いただきまーす!」
逸る気持ちを抑えながら、ステーキを一口大に切り、口に入れた。
「⁉」
げ、激ウマなんですけど……⁉
こ、これは……柔らかいというよりは、口の中で勝手に解けていく……。
「どう?」
マーゴは両手で頬杖をついて、僕に訊ねた。
「美味しい! こんな美味しいもの食べたことないよ!」
「はは、ピオは大袈裟だなぁ」
「いや、ほんとだよ? このソースが絶妙というか……」
「ふふ、ありがとう」
*
部屋に戻り、僕はベッドに横になった。
天井を見つめていると、レイナの顔とマーゴの顔が交互に浮かんでくる。
「はあ……」
今の生活が嫌なわけじゃない。
むしろ、今までにない経験をさせてもらっている。
それに、生き返らせてもらった至高の存在には感謝しかない。
たぶん、これは僕のわがままなんだ。
これ以上、何かを望むのは……。
ふと、壁に掛けてあった革袋に目が行く。
夜のバベルか……。
ちょっと行ってみようかな。
僕はマーゴから借りていた古びた鍵を革袋から取り出す。
ベッドに戻り、鍵を握りしめて静かに目を閉じた――。
* * *
夜のバベルは、静謐な空気で満ちていた。
塔内の中央からは、青白い月明かりが差し込んでいる。
その月明かりの光柱の中に、小さな泡のような光の粒子が煌めいていた。
僕は階段を上りながら、置かれた本の背表紙を眺める。
そうだ、今の僕ならてっぺんまで上れるかも知れない。
僕は飛空術を使い、宙に舞い上がった。
光の柱に沿って、上へ、上へ飛び続けた。
凄い、まだ終わりが見えない。
その間にも、当然本は存在する。
本当に、いったいどれだけの蔵書があるのか……見当も付かない。
「あっ⁉」
飛び始めて、数十分が経った頃、ついにバベルの終わりが見えた。
速度を落とし、ゆっくりと一つ下の階に降り立つ。
上を見ると、天井はドーム型で、美しいステンドガラスが嵌められていた。
中央には、光を入れるための透明な円形状の窓がある。
僕は少し緊張しながら階段を上り、ついに頂上階に辿り着いた。
「空が……広がってる……」
360度壁も無く、ただそこには空が広がっていた。
だが、風は入ってこない。
何かしらの魔術が施されているのかも知れないと僕は思った。
いくつかの本棚が置かれているが、その中にぽつんとある書斎机が気になった。
誰かが、ここで作業をしているんだろうか?
もしかして、至高の存在が……?
恐る恐る近づき、机の上を見ると、そこには一冊の本が置かれていた。
――『深淵システムの手引き』――、本にはそう書かれている。
僕は机に座り、本を開いた。
そこには、ダンジョンコアを造る方法、ダンジョンの管理方法、マスターの選定など、目を疑うような情報が書かれていた。僕は夢中でページをめくっていると、ハッと息を飲んだ。
そこには、『マスターが外に出るには?』と書かれていた。
この後18時に最終話更新します、よろしくお願いします!