フードマン
マーゴと朝食を済ませ、全階層のチェックを行う。
365階層から999階層にダンジョンが拡がったわけだけど、作業量的につらく感じることはなかった。
まあ、大抵のフロアは岩しかないし……。
それから、コアにぶちゅっと魔力を供給して、フンゴ・オンゴに魔力水シャワーをかける。
最近は飛び跳ねるときに、くるっと回転を加えてくるのが可愛い。
これも一応、イラスト付きでマスターノートに書いておいた。
僕はテキパキと日々の業務をこなし、お昼ごはんを食べてからバベルに向かう。
このルーティンを続けて二ヶ月が経った。
今、僕がバベルで勉強しているのは、透明化の魔術についてだ。
目というものは、普段僕たちが日常的に使う光を受信する機能の他に、精神的な光を受容する三番目の目、すなわち■■■の目がある。
そして、生物は知らず知らずのうちに、その第三の目で見た、内面的ビジョンに大きく影響を受けているという。
ここで僕は閃いた。
自分の姿を相手に認識させないようにすれば、それは透明化する事と同義であると!
透明化すれば、低層に赴き、レイナの頑張っている姿を生で見られると考えたのは秘密である……。
*
マーゴに獣の皮で、フードマントを作ってもらった。
僕は頭からすっぽりと被り、
「どう? 似合ってる?」とマーゴに尋ねた。
「似合ってるというか、顔は殆ど見えないからね」
「あ、そっか……へへへ」
軽くて動きやすいし、ダークパンサーの黒くて艶のある毛皮は耐久・耐火性も高い。
簡単なファイアボールなど弾いてしまうだろう。
フードには耳も付いていて、マーゴのネコ科に対するこだわりを感じる。
「うん、我ながら、良い仕事をしたと思うよ」
「ありがとう、マーゴ!」
「でも、そんなマントどうするの? 探検でもする気?」
「ふふふ……ちょっと見てて」
マントを媒体として、透明化の魔術を使ってみた。
「■■■の目……開眼!」
僕の透明化に対する答えがこれだ。
自分を発信源として、周囲数十メートルに対し、僕が作った内面的ビジョンを放つ。
考えが正しければ、範囲内に入った生物から僕の姿は見えなくなる、というよりは、そう錯覚する。
「へぇ! ピオ、君は本当に面白いことを考えるね!」
マーゴが感心し、うんうんと深く頷いた。
「へへへ、良いでしょ? これなら目立たずに行動できるかなって」
「はは~ん、なるほどねぇ……」
ニヤニヤと笑うマーゴ。
「な、何? 別に変なことはしないよ?」
「まあ、止めはしないけど……、後で後悔だけはしないようにね」
「え、あ……、うん」
後悔か……。
確かに来たばかりの頃なら、後悔したかも知れないな。
でも、今はマーゴもいるし、ちゃんと帰る場所もある。
きっと大丈夫だと僕は思った。
* * *
タチカワの街、こぢんまりとした武器屋の二階から、少女が駆け下りてくる。
「いただきまーす!」
テーブルに置かれていたパンを一切れ掴むと、慌ただしく外へ走って行く。
「レイナー、今日も行くのかい? あら、もういない……まったく、誰に似たんだかねぇ?」
棚の上に飾られた写真の中で笑う、体躯の良い男を見て、武器屋の女主人イザベラは短く息を吐いた。
レイナはタチカワの街を駆け抜ける。
「レイナちゃーん! 今日もダンジョンかーい?」
果物屋のおばちゃんがレイナに手を振った。
「そ! 行ってくるー!」
レイナは走りながら手を大きく振りかえした。
蜂蜜色の美しい髪を弾ませながら、道一杯に張られたロープに干された洗濯物をひょいと飛び越え、石畳の狭い路地裏を器用に走り抜ける。
小さい子供たちがボール遊びをしている中を、「ごめんねー!」と身軽に躱しながら通り抜けた。
高い建物に囲まれた路地を抜けると、パッと視界が開けて青空が広がった。
目の前には、タチカワダンジョンの入り口が見えた。
レイナは迷わずダンジョンの中に入ると、短剣を抜き、息を整えながら奥へ進む。
冒険者を目指すレイナは、自分にノルマを課していた。
一日に魔物を三体、必ず倒すこと、それがレイナのルーティンだった。
「ふぅ……」
最初の頃は、スライム一体を倒すだけでも、自分が成長している手応えがあった。
事実レベルも上がり、体力も上がったように感じている。
だが、今はまったく変化を感じない。
武器屋に来る冒険者のおじさん達に尋ねても、最初はみんなそうだとしか教えてくれなかった。
そんなことはレイナにもわかっている。
自分が知りたいのは、このままのやり方で強くなれるのかということだった。
不安はもう一つ。
レイナはいつもソロで行動している。
だが、冒険者としてやっていくには仲間が必要だ。
互いの欠点を補い、共に助け合えるような仲間が……。
ただ、自分のレベルと実力を鑑みると、好き好んで仲間になってくれる冒険者がいるとは思えなかった。
「やあっ!」
「はっ!」
「とおっ!」
レッドアントを二体、仕留めた。
運良く、一体のレッドアントからは魔石がドロップした。
「今日はツイてるわね、ふふ」
腰に付けた革袋に魔石をしまい、岩陰で一休みする。
携帯食用に持って来たリンゴを囓った。
そろそろ、もう一つ下の階層にチャレンジしても良いかも知れない。
そんな事を考えながら、レイナはリンゴを味わっていた。
その時、レイナはダンジョンの中をキョロキョロしながら歩く、異質な者を見た。
咄嗟に身を低くして隠れた。
黒いフードマントを身に纏った得体の知れない男。
いや、男か、それとも人間なのかさえわからない。
マントは艶々で、遠くからでも上等な毛皮だとわかった。
自分の店でも扱ってるのを見たことがない、街の中心街の高級店で飾ってそうなマントだ。
もしかすると、深層から帰って来た名のある冒険者かも知れない……。
ただ、それにしては小柄で、フードに付いた可愛らしい耳も相まって、どこか親近感が湧く。
警戒するに越したことはないが、レイナは興味の方が勝っていた。
フードマンは何かを探しているようだった。
もし、高レベル冒険者なら、何かヒントが聞けるかも知れない。
そう思ったレイナは、思い切って岩陰から出て、フードマンの視界に入ってみた。
不思議なことに、フードマンはレイナを見ると、一瞬ビクッと身体を震わせたが、何事もなかったように近くの岩に座った。
まるで見学に来た生徒のように、じっとレイナを見つめている。
恐る恐る、レイナはフードマンに声を掛けてみた。
「あの……、何か?」
すると、フードマンは「え⁉」と声を上げ飛び上がった。
狼狽し、オロオロと周りを見ている。
「具合でも悪いんですか……?」
フードマンは「あ」とか「え」とか「うぅ……」と声を漏らした後、
「い、いえ、元気です」と返事をした。
どうやら、この目の前にいるフードマンは、人間のようだった。