漆ノ巻──千古不易の怨み
「……あの子の、カグラの悲しい思いに自分を重ねて、身を任せてしまった。それが、私の罪です。
どんなに言い訳をしようとも、人を殺めた事に変わりはありません。この場で首を斬ってもらって構わない。
でも、どうか、カグラだけは、成仏させてあげて……」
ヨシノは一通り話し終えた後、ハルアキに頭を下げた。
結局、一同はヨミの御堂に来ていた。ハルアキの様子を見せて、クズハを心配させないよう、あやめが判断したのだ。
ハルアキとヨシノが部屋の中央で向き合う。それを、メイレンと桜骸丸は壁にもたれて眺めていた。ヨミとセン、そしてあやめは、少し離れたところで妖刀を見張っている。
闇は薄れ、暁光が淡く空を染めだしていた。
ヨシノは取り乱す事なく、毅然と背筋を伸ばして顔を上げた。
センの手当てで、包帯でぐるぐる巻きにされて動かない手を眺めて、ハルアキは首を振った。
「あなたが死ねば、妖刀の悪鬼は、余計に怨みを増すだろう。あなただけが同調している訳ではなく、悪鬼もまた、あなたに同調しているのだから。
──それよりも、私には気掛かりがある」
ハルアキはメイレンに顔を向けた。
「ヨシノが家族を皆殺しにしたという話は、誰に聞いたんだ?」
メイレンは熱した鋼のような瞳でハルアキを見返した。
「依頼主、つまり、その娘の親族だ」
「……なるほど……」
ハルアキは細めた目をヨシノに戻した。
「その親族は、あなたの家族が盗賊に殺された事を隠したかった」
「もしや……」
あやめが声を上げた。
「その親族が、盗賊の黒幕である可能性が高い」
「………」
ハルアキの言葉に、ヨシノもさすがに狼狽えて、両手で顔を覆った。
「自分の悪行を、生き残りであるあなたに暴かれる事を恐れ、辻斬りの噂を流し、メイレンたちに始末するよう依頼した……」
「しかし、その娘の話が真実だという証拠はあるのか?」
メイレンは刀を抱えて、立てた膝に肘を乗せた。
「残された死体の数を調べれば、真偽はすぐに分かる」
「………」
メイレンは無言で立ち上がり、スッと刀を抜いた。
「───!」
止める間もなくヨシノに歩み寄る。そして、目にも止まらぬ所作で刀を振った。
一同は固唾を呑んだ。
──だが、血は流れず、代わりに黒絹のような髪が一束、ヨシノの手に落ちていた。
ヨシノは驚いた眼差しでメイレンを見上げる。サラリと童子のように前髪を下ろした瞳は、いつしか黒いものになっていた。
「これを証拠に、おまえを殺した事にして、報酬をぶん取ってやる」
メイレンはヨシノの手から髪束を取り上げた。
「おまえは死んだんだ。これから生き直せ」
刀の処遇に興味はないと言い残し、メイレンと桜骸丸は去って行った。
「──しかし、謎は全て解けた訳ではない。一番分からないのが……」
「何故、ハルアキを殺そうとしたのじゃ?」
ハルアキの言葉をあやめが継いだ。ヨシノは顔を上げて答えた。
「……女の子に、言われたんです」
──夜の街を彷徨うヨシノは、ある時、街角で泣く童女を見付けた。
歳の頃は十程だろうか。菊の文様のある袖で顔を隠し、嗚咽を漏らしている。傍らに、灯の消えた燈籠が置かれていた。
見過ごせずに、ヨシノは声を掛けた。
「悪いお兄さんに、燈籠の灯を消されて、暗くて家に帰れないの」
泣いている理由を問うと、童女は涙を拭いながらヨシノに訴えた。
「路頭に迷って死ねばいいと言われたの。怖かった……」
死──という言葉にヨシノの心は揺さぶられた。心から同情したヨシノは、町屋の軒先の灯りを借りて燈籠を点けた。そして、童女を家へ送ろうと、手を取り歩きだした。
その途中──。
「……あの人」
童女は立ち止まり、前方を指した。──そこには、こちらに向かって歩いて来る狩衣姿の若い男の姿があった。
「間違いないか、見てくる」
童女は先に歩き出した。物陰に身を隠し、様子を伺うヨシノに、すれ違いざま、童女は合図を送った……。
「……体が、勝手に動いていました」
項垂れるヨシノに送る目を、ハルアキは細めた。
「あの後、女の子とは別れましたが、昨夜、また会ったんです。そして、あなたの元へ導かれて……」
「その童女の住まいは?」
「家の近くだからと、途中で別れたので……」
「つまり、素性は知らないと」
ヨシノは頷いた。
「………」
腕組みをするハルアキに、あやめが声を掛けた。
「その童女、もしや……」
「確証はない。しかし、都合が良すぎる」
「……夜行の、手下かもしれぬ」
一同は静まり返った。朝の最初の光が部屋に差し込み、雀の声が響く。
「──五悪というのを、ご存知ですか?」
沈黙を破ったのはヨミだった。
「仏の教えでは、五つの戒めを守らなければ、浄土へは参れぬと言われています。──それを守らず、逝き場を無くした魂の成れの果てが、百鬼夜行とも」
「………」
「妖怪共の首領と言われる夜行が、なぜ、生きている人間をあなたへの刺客としたのか。なぜ、妖魔の類では無かったのか……」
「式神で対抗できないように、か?」
ハルアキの返答に、ヨミは首を振った。
「それも一理はあるかもしれません。しかし、あなたの扱う式神と渡り合えない程に、夜行に力がないとは思えません」
「………」
「ならば、夜行は何をしたいのか……。
──何かを、あなたに伝えようとしている。そんな気がしてなりません」
ハルアキは眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「千里眼とて万能ではありません。ここで議論をするよりも、あなた自身が夜行に近付けば、何かが見えてくるでしょう」
そしてヨミは、妖刀へと盲た目を向けた。
「それから、この刀ですが、どうするつもりですか?」
「悪鬼を祓う」
「あなたにできますか?」
ズバリと言われて、ハルアキは返答が出来なかった。
「では、私に任せてくださいませんか?」
「……どうするんだ?」
ヨミは妖刀を手に立ち上がった。
「この刀の持つ怨念は、千古不易のもの。容易に祓えるものではありません。呪いを消すには、ここまでに恐ろしいものと育ってしまった、それと同等、いや、それよりも長い時間が必要でしょう。
あなたには、その時間は足りません」
「………」
「私が残りの人生をかければ、不可能ではないでしょう。しかし、私よりも、この刀の悪鬼を改心するに相応しい人がいます」
ヨミは、両手に持った妖刀を、そっとヨシノの手に預けた。ヨシノは驚いた顔でヨミを見上げた。
「師匠!正気か!?」
驚くハルアキを振り返って、ヨミはフッと微笑んだ。
「悪鬼と心を通じ合わせられるこの方なら、怨念を清められます」
「大丈夫なのか?」
「私の千里眼は、大丈夫だと言っています」
「もし、万一の事があれば、私がヨミ様をお護りしますので」
傍らのセンが、カチャッと刀の柄を鳴らした。
「ヨシノ殿の身は、こちらでお預かりします。心配する事はありません」
「あの……」
ヨシノが不安げな表情を見せる。
「こんな私に、何かできるんでしょうか?」
ヨミはヨシノに柔らかい微笑みを落とした。
「カグラと共に過ごしなさい。そして、あなたの優しさ、純粋さを、カグラに伝えるのです。そうすれば、カグラの中の人間らしさが戻り、どうあるべきかに気付くはずです」
ヨシノは刀を握り締めた。
「それは、あなたの仕事です。あなたにしか成し遂げられはい、大切な仕事です」
「ありがとう……ございます」
ヨシノの目に涙が光った。
ヨミはハルアキに顔を戻した。
「こちらは任せて。
あなたには、まだしなければならない事があるでしょう。お行きなさい」
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式神というのは、召喚者と契約した八百万神や妖魔の類が、式札と呼ばれる紙人形を介して、召喚した者に力を貸す使い魔だ。
しかし、力を貸すだけであって、存在自体がその場に移動する訳ではない。本体は別にあり、召喚という形を取って、仮の姿で現われるのだ。だから、その場で斬られようが、本体に影響はない。
だが、意識は本体に通じている。召喚先で機嫌を損なうと、その先、召喚に応じてくれなくなる事も多々ある。
「……自業自得じゃな」
ご機嫌取りの団子を頬張りながら、あやめは冷めた目をハルアキに向けた。
「………」
全く呼び掛けに応じない、九天玄女の式札を前に、ハルアキはため息を吐いた。
「先程、迦楼羅と乱天丸にも話を聞いた。あのように式神を扱えば、おぬしは陰陽師として信用を無くすぞ」
縁側で煙管を燻らす廻魏羅が、天狗の仮面の下からジロリとハルアキを睨んだ。老獪な天狗の里の長である。
「天狗族として、おぬしに力を貸すとは言ってある。しかし、我らの武を否定されては、それもできぬ」
「……申し訳ありませんでした!」
ハルアキは絡繰りのように頭を下げた。
「やれやれ、式神に土下座する陰陽師がどこにおる……」
あやめが呆れ顔で団子の最後の一つを食べ切った。
屋敷に戻ったハルアキは自室に籠り、様々な式神と接触を図っていた。昨夜、機嫌を損ねた詫びと、この先相対する事になる敵を伝える為だ。
式神となるよう契約をしたきっかけは、討伐対象としてハルアキが力を封印した者や、代々の関わりから協力を得ている者など、様々だ。
廻魏羅は後者であり、彼の持つ力はハルアキが抑えられるようなものではない。他の式神とは一線を画す存在であり、彼から見捨てられるのは、陰陽師として絶対に避けたいところであった。
「……だが、百鬼夜行を敵に回すとは、おぬしの父以来の惚け者よの」
「──その時の事を、知っているのか?」
廻魏羅は空に顔を向けたまま悠然と煙を吐いた。
「……我の力をしても、適わなかった相手だ」
「どんな奴なのじゃ?」
あやめが食いつく。
「──姿なき災厄、とでも言おうか」
「………」
「刃では勝てぬ。奴の本性を暴くには、奴の策略に乗る必要がある。命が幾つあっても足りぬぞ。
おぬしに、その覚悟はあるのか?」
ハルアキは返答出来なかった。
「悪い事は言わぬ、手を引け。──いや、その時は逸したか……」
不意に廻魏羅の姿が消えた。それと同時に、玄関先で声がした。
「御免下さい。高名な陰陽師様のお屋敷はこちらでしょうか?」
座敷へ通された客人たちは、余りのみすぼらしさに目を泳がせていた。
かく言う客人たちも、小綺麗とは到底言えぬ、農夫の格好をしている。埃色のボロを纏った三人の男たちは、あやめに差し出された湯呑みに、恐る恐る手をつけた。
「……あなたが、ハルアキ様で?」
こんな若造、信用に足りるのか?と、言葉に出さずとも、心の内は読み取れた。しかし、そんな事には慣れていた。
「私がハルアキです。ご用向きは?」
すると、代表格と思われる、初老の男が切り出した。
「我々の村には、守り神として、巫女様が居られるのです。その巫女様の事なんですが……」
豊かな土壌に恵まれたその村は、同時に、勢力拡大を図る荘園の領地として、狙われる事も多かった。村人たちは、田畑を守るため、用心棒を雇おうと話し合いを持った。
そこへ現れたのが、コノエという名の巫女だった。彼女は類稀なる神通力で、侵略者や盗賊を撃退した。
村人たちは彼女を守り神と崇めた。村を治める礼として、村の実り、村の宝を、彼女に捧げる事を惜しまなかった。
ところが──。
「……だんだんと、捧げ物の要求が厳しくなってきて……」
「村人たちは、食うにも困る程なんじゃ」
「このままでは、村は食い尽くされてしまうだ!」
三人の迫真の訴えに、だがハルアキは目を細めた。
「……それは、その巫女と話し合えば良いのでは?」
すると、三人は顔を見合わせた。
「言って聞いてくださるようなお方なら、あなた様にお願いに来たりなどしません」
「とにかく、自分の言う事を聞けの一点張りじゃ」
「力で訴えようとしても、あの神通力だ。全く歯が立たない」
「なら、私にどうしろと?」
三つの視線は、ハルアキを真っ直ぐに見据えた。
「陰陽師の力を持ってして、あの巫女を、退治して頂きたい」
「……また易々と引き受けおって」
あやめは呆れた顔をハルアキに向けた。
「夜行討伐はどうなったのじゃ?」
「この時期にこの依頼。無関係とは思えないんだ」
「……どういう事じゃ?」
ハルアキは床に五枚の紙人形を並べた。
「師匠の話を覚えているか?
夜行とは、五戒を守らなかった者の成れの果てという」
ハルアキの指が、一葉の人形を指す。
「ヨシノは、人殺しを行った。よって、殺生の戒」
「………」
「そして、今回は村人の財産を奪う、偸盗の戒と取れる」
ハルアキは二枚目の紙人形を手にした。
「……偶然であろう」
「絶対にそうだと言い切れるか?」
「まぁ、保証はないがな。しかし、それを言えば、そなたの説にも確証はあるまい」
「確かに。だが、気になるんだ。万一、私の説が真なら、この依頼の黒幕は──」