表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宵の陰陽師 ~百鬼絵巻~  作者: 山岸マロニィ
6/13

陸ノ巻──鬼神楽

「愚か者め!」

 唐突に耳の中を突かれた。

「痛っ!」

 耳を押さえてふらついたすぐ横を、刃が通過した。ドンと、地面に硬いものが打ち当たる音がした。

「たわけにも程がある!」

 ハルアキの目の前に、紙人形が浮かんでいる。──まさか。

「な、何であやめがここに?」

「そなたの背中にずっと張り付いておったに、それにすら気付かぬとは、呆れて言葉も出ぬわ」

 紙人形はひらりと舞い、ハルアキの肩に乗った。

「どうして烏天狗を止めた?己を危険に晒してまで、なぜあの娘を助ける?」

「もし、殺しでもしたら、私が伽弥乃に殺される」

 はぁ……と、あやめは溜息を吐いた。

「で、これからどうするつもりじゃ」

「結界さえ破られなければ、何とかなる」

「信じられぬな」

 そう言ってあやめはハルアキを蹴った。紙人形ながらも、勢いをつけた反動に押されて、ハルアキはよろめいた。次の瞬間、あやめとハルアキの間を、鋭い斬撃が通り過ぎた。

「気を抜いている暇などないぞ!」

「分かってる」

 額に浮かぶ冷や汗を拭う間もなく、ハルアキは式札を投げた。

「乱天丸!」

 式札は旋風に巻かれて粉々に千切れ、代わりに隻眼の天狗が現れた。

 手に持つ八手の団扇を振る。すると、結界内を猛風が吹き荒れた。ヨシノは吹き飛ばされて転がる。──その拍子に、刀が手から離れた。

「今だ!」

 ハルアキは飛んだ。しかし、指先が届くより先に、ヨシノが取り上げた。

「まずいぞ!」

 身をかわした鼻先を刃が奔る。なびいた前髪が一束、宙に散った。

「うわっ!」

 ハルアキは体勢を崩して転がった。そこに、すぐさま次撃が振り下ろされる。

 それを、八手の団扇が受け止めた。しかし、一撃で両断される。

「ここまでか……」

 乱天丸は煙となって消えた。

「九天玄女!」

 咄嗟に投げた式札から現れた仙女が、手にした剣でヨシノを防ぐ。

「いきなり修羅場かい?嫌いじゃないよ」

 九天玄女は、背後に浮く四本の剣をヨシノに向けた。

「殺すんじゃない!刀を奪うんだ!」

 体勢を整えながら、ハルアキは叫んだ。

「無理難題を言うもんじゃないよ」

 四本の剣は宙を滑った。切先はヨシノに集まる。しかし、九天玄女を跳ね除けたヨシノは、刀を薙いで全ての剣を弾き飛ばした。剣は、四方の地面に突き立った。

「やるじゃないか」

 そう言う間に、九天玄女は跳んだ。そして、手にした剣で真っ直ぐに首元を狙う。剣を振り払ったばかりのヨシノは、体勢を整えられず、防御が間に合わない。

「───!」

 ハルアキは走った。ヨシノに体当たりをして一撃を避ける。

「………」

 倒れ込むヨシノの手を捕え、妖刀に手をかける。あらん限りの力でそれを奪おうとするが、ヨシノの手は張り付いたように離れない。

「何だい、呼び出しといて敵を庇うとか、意味が分からないよ。茶番は御免だね。私は帰るよ」

 九天玄女は煙となり消えた。

 しかし、それに構っている余裕はない。ハルアキはヨシノにのしかかり、必死で刀を握る手を押さえる。

 そんな中、ヨシノが不意に脚を振り上げた。痛烈な膝蹴りが腹に入る。

「くっ……」

 一瞬、目の前が暗くなった。その隙に、ヨシノはハルアキを押し退け立ち上がった。

「赤い、花……」

 刃が、動けずにいるハルアキの頭上に刃を振り下ろされる。

「………」

 他に為す術がなく、ハルアキは手を伸ばして頭を庇い、目を閉じた。

 ……しかし、その手に冷たい感触が触れる事はなかった。恐る恐る目を開く。

 するとそこには、両手に当たる部分で刃を挟んで受け止めている紙人形があった。

「……あやめ……」

「は、早く、次を出すのじゃ!早く!」

 紙人形は刃に押されてズルリと後退した。その背を、ハルアキは左の掌で支えた。

「残念ながら、用意した式札は使い切った。獏はいるが、腹を膨らして寝ているから使えない」

「………」

 掌に感じる圧が増す。このままでは、あやめもろとも、ハルアキの手は真っ二つだ。

「そなた、己の立場を分かっているのか?なぜ、こうもこの娘を庇う?」

 あやめの渾身の防御が、ブルブルと震えで伝わってくる。ハルアキは掌に力を込めた。

「──一方的な価値観で善悪を決めるのが、どうしても嫌なんだ」


 ──ハルアキは幼い頃から、差別と迫害を身近に感じてきた。

 人々は、ハルアキ、そしてクズハを「悪」とし、蔑み痛ぶる事で己を「善」としていた。

 しかし、ハルアキにはなぜ自分が、母が、「悪」とされるのか、理解できなかった。むしろ、理由もなく自分たちに悪意を向ける人々こそ、「悪」であると信じていた。

 ──その経験から、ハルアキは気付いていた。

 善も悪も、見る立場が違うだけで、表裏一体、同じものである、と。

 だから、この娘を一概に「悪」と捉えて良いとは思えなかった。

 この世のものでないものならば、善悪に関わらず、消し去らねばならない。しかし、相手の主観から見た価値観を見ずして悪と決め付け、人ひとりの命を奪う事はできない──。


「……見せてくれないか?なぜ、死を求める?何が、おまえの欲望を動かしている?」

 紙一重の向こうの刃が、じりじりと掌を押す。あやめが悲鳴を上げるが、ヨシノの瞳は揺れる事なく、虚空を見つめている。

「あたいを召喚するのじゃ。早く!」

「無理だ。召喚した途端に真っ二つだ」

「構わぬ!その隙に逃げるのじゃ!」

「………」

 ハルアキは驚いた。いつも厳しい事を言うあやめが、真剣にハルアキを庇っている。

「式神は死なぬ。だが、そなたはそうはいかぬ!──クズハ殿を、悲しませるでない」

「………」

 ハルアキの脳裏に母の姿が浮かんだ。喧嘩をする事も度々あるが、常にハルアキを心配している苦労人。

 昨晩の話を思い出す。夫の死後、ハルアキに人生の全てを捧げたと言う言葉は過言ではないだろう。重荷だと反論はしたものの、万が一、ハルアキが死ぬような事があれば、クズハは生きる意味を失うだろう。それを何とも思わない程、ハルアキは親不孝ではない。

「そなた一人の命だと思うな。どんな人も、必ず誰かの支えがあって生きているものじゃ。気安く捨てるでない!」

 刃が圧を増した。指に痛みが走り、赤い雫が滴る。


 その時、ハルアキの中に強烈な感情が入り込んで来た。

 ──恐怖。生への執着。

 じわじわと迫り来る、圧倒的な破壊の前の無力感のような、絶望の中の叫び。

 ハルアキは疑問に思った。──死を求める者が、なぜ、死への恐怖に怯える?この者の、この刀の、真実とは何なんだ?


 ハルアキは右手を刃に添えた。

「……な、何をしておる!気でも違えたか!」

 あやめが叫ぶ。しかし構わず、ハルアキは刀身を握り締めた。

「聞かせてくれ。何がおまえを駆り立てるのだ?」

 ヨシノの満月のような瞳が揺れた。

「赤い、花……」


 ──ハルアキの目の前に、赤い花が咲き乱れる光景が広がった。……彼岸花だ。細い花弁を風になびかせ、数百、数千の花々が、野を赤く染め上げている。

 しかし、花々は武装をした男たちに踏み荒らされた。

 野の向こうの村から炎が上がり、人々の悲鳴が逃げ惑う。

 荘園間の争いに巻き込まれ、男たちを戦に出し留守を守る家々が、対立する荘園の兵に襲われたのだ。

 刃が、女たちを、童子たちを、手当り次第に斬り捨て、家に火を放つ。

 納屋に逃げ込んだ童女が、藁の中に身を隠した。母の、兄弟たちの絶鳴を、耳を覆って聞き流し、たった一人、恐怖に震えている。

 ──助けて……、どうか、神様……。

 しかし、現実は無情だった。炎が納屋に移り、焼け出された童女は、表で待ち受けていた男に、無惨に斬殺された。

 ──最後に見た光景は、頭上に落ちる冷たい刃だった。童女の魂は、その刃に吸われ、怨念となる。

 その刀は、数々の戦場で多くの血を吸い、主もまた露と消え、戦利品として奪われ、そしてまた、戦場で命を奪う。

 その刀に吸われた数々の魂は、童女の怨念と共に染み付き、混ざり合い、やがて悪鬼と化した。

 幾人もの持ち主を操り、数多くの死を作り出す。戦場へ持ち主を導き、持つ者をも死に至らしめる。

 それは妖刀と恐れられ、最後は捨てられるように、古物商に売られた。

 ──その店が、ある夜、盗賊に襲われた。

 家族を次々と殺される中、納屋に逃げ込んだヨシノの目に、古びた刀が飛び込んだ。

 私を使え──刀が、そう語り掛けている気がした。


「……気が付いたら、盗賊はみんな死んでいた」

 ヨシノは、ぼんやりとした目をハルアキに向けている。

「自分のした事が怖くなって、逃げたの。だけど、京の夜は、魔物がいっぱいだった。──人間という名の、魔物が」


 うら若い娘に向けられる邪な手から己を護るため、刀に導かれるままに、ヨシノは刀を振った。

 しかし、その行為が更にヨシノの罪悪感を募らせ、次第に心を閉ざし、刀に操られるままになっていく……。


「誰かが、止めてくれるのを待っていた。でも、この刀は、それを求めていない……」

 ヨシノは剣を振り上げた。強い痛みが奔り、ハルアキは手を離した。──流れ出る血が、手を赤く染め上げる。

「赤い、花。──この子、カグラの求めるのは、赤い花の咲き乱れる、平和だった、あの時……」

 頭上に刀が落ちる。

「早く!あたいを召喚して!」

 赤く染まった紙人形が指を引っ張る。その痛みで反射的に手を振った瞬間、あやめが飛び出した。

 赤い袖が揺れる。小柄な躰がハルアキの前に立ちはだかった。

 ──その鼻先で切っ先が止まる。

「そなたは童は斬れまい。

 弱い者を悪意から護るために、命を奪うそなたに、あたいを斬る事はできないはずじゃ」

「………」

「そなたの思いはしかと受け取った。だがな、因果は絶たねばならぬ。この娘を解放してやれ。そして、成仏するのじゃ」

 あやめはその切っ先に語りかけた。ヨシノの頬を、涙が伝った。


 ──その時。

「キャッ!」

 悲鳴が聞こえた。呉葉の姿が闇に溶ける。すると、結界を形作っていた呪符が崩れ、はらはらと舞った。

 ……ハルアキの目の前に、真っ二つに斬られた式札が落ちる。

「………」

 何が起きた?

 混乱するハルアキの前に、暗闇から人影が現れた。──鬼の面が施された、白い着物。幅の広い太刀を引き摺りながら、その人影──桜骸丸はハルアキを見下ろした。

「手を出すなと言っただろう?」

 後からやって来たメイレンが、笠の下から厳しい目をハルアキに向けた。

「な、何故、外側から結界を破れた?」

「自分で言ったろ?商売仇だと。つまり、そういう事だ。

 私たちの斬るものは、人間だけじゃない」

 メイレンが刀を抜いた。

「あんたが陰陽師なら、私たちは剣客。道具が違うだけで、やる事は同じさ」

「待て、違う!斬るな!」

 ハルアキは二人を遮るように手を出した。その傷を見て、メイレンは目を細めた。

「話は聞いた。斬りゃしないよ」

 メイレンの刀が動いた。峰打ちの衝撃で、ヨシノ手から刀が離れる。宙を飛び、地面に突き立った妖刀を、桜骸丸が引き抜いた。

 ヨシノが、膝から崩れ落ちる。

「──しかし、こちらは稼ぎが懸かってるんだ。納得できる話をしっかり聞きたいね」

 メイレンはヨシノの腕を支えた。

「行くぞ」

「……え?何処に?」

「ゆっくり話を聞ける場所だよ。──それに、その傷だ。早く手当てをしないと、死ぬよ」

 ハルアキはハッと立ち上がろうとして、酷い目眩に襲われる。その躰を桜骸丸が担ぎ上げた。

「そこの座敷童、こいつの家へ案内してくれ」




「………」

 一同が去る様子を、物陰から見送る視線があった。

 両手に暗い燈籠を持ち、あどけない顔立ちの童女は、だがそれに似つかわない表情で、チッと舌打ちした。

「使えない奴」

 童女は燈籠を見た。すると、途端に灯りが点いた。──ゆらゆらと揺れ蠢くそれは、ただの火ではない。鬼火だ。

「夜行様に報告しなきゃ」

 童女は片手に乗せた、六角形の燈籠を軽く持ち上げた。燈籠が手から離れ浮き上がる。

「次はこうはいかないわよ」

 童女は、闇の向こうへ消える後ろ姿に鋭い視線を投げ、燈籠を従えて、夜の都へ消えて行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ