伍の巻──妖刀の主
「………」
伽弥乃の絡繰り人形・傀王丸は、庭石にぶつかって倒れ、痙攣したような動きを見せている。
ハルアキの護衛にしようと、伽弥乃が傀王丸に刀を持たせて試してみたのだ。しかし始動してすぐに、傀王丸は当たり構わず刀を振り回しだした。運良く、庭石がその動きを止めたのだが──。
「……し、死ぬところだったぞ……!」
ハルアキは腰を抜かして、カタカタと小刻みに震える傀王丸を見つめた。
「ごめんごめん、ちょっと暴走しちゃった」
「ごめんで済むか!」
恨めしい目を伽弥乃に向けるが、ペロリと舌を出しただけで、悪びれる様子もない。ハルアキは諦めて、ゆっくりと立ち上がった。
「もう少し調整が必要なようね。
──ところで、その辻斬りの話なんだけど……」
伽弥乃は顎に手を当てた。
「あんた、誰かに操られてるみたいだったって言ってたよね?」
「あぁ、確かにそう言った」
「なら、その人を相手にするより、操ってる何者かを突き止めた方がいいんじゃない?」
──ハルアキは感心した。迷惑に思う事の方が多いが、たまには役に立つ事も言うものだ。
「もしかしたら、夜行と繋がってるかもしれない」
「それは私も思った。屋敷を出て直ぐ、都合よく現れたのは不自然だ」
「なら決まりね」
伽弥乃は興味津々に目を光らせた。
「情報収集に行きましょう」
──だが、街に出たは良いが、人々の視線がハルアキに集まり、聞き込みどころではない。
やっと茶店の奥に座り、ハルアキは溜息を吐いた。
「夜行退治の話が、なんでこんなに広まってるんだ……?」
「だって、あの保名様の子息が仇を討つって話でしょ?こんなお芝居みたいな話、面白くない訳ないじゃない」
……確かに、人々の興味を唆るものではあるだろう。噂の出元は、玉藻前しか考えられない。これも、玉藻前の意図するところなのだろうか?
「とにかく、これじゃまともに話を聞けそうにないわ。何とかしなきゃ……」
「──おまえたちも、辻斬りを追っているのか?」
唐突に声を掛けられ、二人は隣の席に顔を向けた。
黒い笠を被り、腰に刀を差した武芸者の出で立ちをした人物と、肩に鬼の面を付けた、白い着物を羽織った人物が、向かい合って団子を食べている。
「街で見掛けて、ずっと後を追けて来たのに、気付いてないのかい?」
笠を少し上げて顔を見せる。──女だ。
「そんなんじゃ、命を失くすよ。やめときな」
「あんたら、誰なんだ?」
ハルアキは尖った口調で言い返した。
「私はメイレン。こっちは桜骸丸。剣客稼業をしている」
「仕事を邪魔されるのは厄介だ。ガキは帰れ」
白い着物の男が鋭い目を向けた。──どう見ても、堅気ではない。
迫力に気圧されて、伽弥乃が愛想笑いを返す。しかし、ハルアキは目を細めて見返した。
「ならば、商売敵という事か」
「ほう……、坊やも覚悟は出来ているのかい」
メイレンはすっと立ち上がった。柄に手を置いた次の瞬間、切先がハルアキの顎の下に置かれていた。
「仁義の為なら、腕や脚の一本二本、捨てても構わないとという覚悟が任侠だ。
おまえもその覚悟はできているのか?」
周囲の客がざわつく。ハルアキの背を冷たい汗が伝う。
「命を粗末にするな。親を悲しませるんじゃない」
──しかし、その言葉はハルアキには逆効果だった。昨夜のクズハとの言い合いを思い出し、ハルアキの頭に血が上った。
剣先を指で挟み、横に払う。
「私は私の道を歩むだけだ。他人に口出しをされる筋合いはない!」
メイレンを睨み上げる。
しばらくメイレンはハルアキを見下ろしていたが、やがてフッと笑って刀を納めた。
「度胸があるのか、とんでもない阿呆なのか知らんが、気に入った。
ついて来い。あの辻斬りについて教えてやろう」
──メイレンと桜骸丸の向かった先は、遊廓の片隅にある小さな宿だった。
時刻が早いため、人影がまばらとはいえ、独特の艶やかな雰囲気は、ハルアキと伽弥乃には、少々刺激が強い。意識せずとも早足になる。
細い路地を抜けた先の宿は、更に品性のない彩りを施されていた。
真っ赤な暖簾を潜り、二階の奥の部屋に入る。メイレンは笠を脱ぎ捨て、窓の桟に腰を下ろした。桜骸丸は壁を向いてゴロンと横になる。
「あの辻斬りの娘、名はヨシノ。刀に操られている」
刻々と移ろう夕焼け空を、メイレンは見上げた。
「刀に……?」
「あの刀は、戦で何百人もの血を吸ってきたものだ」
メイレンは腰まで届く長い三つ編みを指で払った。──宋の人のような格好だ。
「それを、古物商だったあの娘の父親が手に入た。そして、娘が魅入られ、──家族を皆殺しにしている」
「………」
「それからというもの、夜な夜な街に現れ、血を求めるようになった。
我々は、あの娘の親族から依頼を受け、行方を追っているのだ」
「……見つけたら、どうするんだ?」
メイレンは空から目を離さず即答した。
「斬る」
「………」
「ちょ、ちょっと待ってよ……」
伽弥乃がメイレンににじり寄った。
「今の話だと、その娘さんも被害者じゃないの?殺してしまうのはあんまりだわ」
「ではどうする?」
メイレンが、熱した鋼のような目を伽弥乃に向けた。
「殺さねば、次に死ぬのはおまえかも知れない。それでもいいのか?」
「祓えばいい」
ハルアキは真っ直ぐにメイレンを見上げた。
「刀の因果を、祓い浄めればいい」
メイレンは目を細めた。
「殺気立つ相手から、どうやって刀を奪う?それだけ強い因果を、どうやって消すのだ?」
「やってみなければ分からない」
メイレンは呆れたように空に顔を戻した。
「子供の遊びに付き合う暇はない。だが、忠告はした。
──命が惜しければ、手を出すな」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
──その夜。
憤慨した伽弥乃は、さすがに夜はまずいと断るハルアキを、強引に自分の部屋に引き入れ、鬱憤をぶつけてきた。
「確かに、家族や無関係な人を殺したり、ハルアキを襲ったり、それは悪い事よ。でも、彼女のせいじゃない。それなのに、なんで命まで取られなきゃいけないの?」
「まぁ、あの人たちの言う事も……」
「私が彼女の立場だったらどう?死ねばいいと思う?」
「いや、それは……」
「ね、助けるべきよ。あの人たちに見つかる前に、私たちで、ね!」
──感情的になると、全く聞く耳を持たない。伽弥乃の昔からの悪いところだ。
しかし、ハルアキは反論をしつつも、伽弥乃の意見に反対している訳ではなかった。だが、感情論で同意している訳では無い。
──例え、妖刀の主を殺したとて、宿主が変わるだけで、解決にはならない。刀に宿る妖を浄化せねば、また同じ事が起こる。
その点で、宿主が移る前に、メイレンたちよりも早く辻斬りを見つけたかった。
「今晩、街に出てみましょ」
「……いや、夜行も出るかもしれないし、それは危険だ」
「じゃあどうするの?」
伽弥乃は苛立った様子で立ち上がり、中庭へ続く戸に手を掛けた。
「あんたが行かなきゃ、傀王丸と行くわ」
「行かないとは言ってない」
ハルアキは指の式札を投げた。
煙と共に、鼻先の長い奇妙な動物が現れた。──獏だ。
それは靄に乗り、伽弥乃の背後に回ると、大きく息を吸った。
すると、伽弥乃の躰がグラリと揺れた。意識を吸い取られたのだ。
ハルアキは眠りについた伽弥乃を支え、そっと寝かせる。
「……おまえを危険な目に遭わせたくない」
式札に獏を戻し、ハルアキは部屋を後にした。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
京の夜は静かだった。
闇の中には、虫の音ひとつしない。神経を逆撫でる静寂の中を、ハルアキは歩く。
ハルアキは考えていた。
これまで、様々な怪異を目にして来た。物に取り憑いた悪霊がそれを持つ者に災いする事は、珍しくはない。
しかし、直接的に人を操り、他者に殺意を向ける、これ程までに凶悪な怨念に対するのは初めてだった。
式神も、どこまで使えるかが分からない。相手がこの世のものでない場合には、この世のものでない同士、対等に扱えるのだが、今回は刀という現実の物質だ。現実の物質である紙人形では、太刀打ちが出来よう筈がない。
このような場合、それを持つ人間を怪異の元凶から遠ざけられれば、可能性はある。しかし、武術の心得が全くないハルアキに残された手段は、ごく限られている。上手くいく保証はどこにもないが、試してみるしかない、か……。
腕組みをしながら歩くハルアキの横を、灯りが通り過ぎた。ハッとしてハルアキは足を止めた。
生温い風が首筋を撫でる。──昨晩も、同じ光景を見た気がする。ぞわりと悪寒で固まった首を、ゆっくりと振り向かせる。──しかし、不審な影は見当たらない。
──燈籠を持った童女。はっきりとは見なかったが、昨晩見た印象が脳裏に焼き付いている。
「………」
腑に落ちないまま、ハルアキは顔を前に戻した。
──そこには、「死」が居た。
抜き放たれた刀身が妖しく光る。衿元をはだけた白い肩を、黒絹のような長い髪が覆う。月に似た冷たい眼光が、ハルアキを真っ直ぐに見ていた。
「赤い花を……、もっと、赤い花を……」
刃が揺れた。
ハルアキは動いた。
昨晩と違い、今宵は想定している。この瞬間を迎えるために、動き方は考え、準備をしていた。
刀の動きを見極め、腰を落とす。頭上を鋭い風が奔る。その勢いに釣られて、その娘──ヨシノの体がふらついた。
──やはり。
刀に操られているだけで、ヨシノ自身に剣術の心得がある訳ではない。これならば、いけるかもしれない。
ハルアキは袖から呪符の束を取り出し、妖剣に投げた。
呪符は闇に舞う。そして、刀身を包み込むように貼り付いた。
「………」
ヨシノは刀を振り、呪符を振り解こうとするが、呪印の力がそれを許さない。
ハルアキは式札を構えた。
「呉葉!」
指から離れた式札は、宙を漂う呪符を集めるように闇を舞った。ハルアキとヨシノを囲う円を描いて虚空を滑り、やがて、壁を作るように整列して止まった。
「符呪・朱の式!」
ハルアキの声と同時に、呪符の壁が朱く光った。──結界が完成したのだ。
結界の内部は、この世とあの世を繋ぐ異界空間。この内部に居る者は、この世のものであると同時に、あの世のものともなる。──つまり、式神が有効になる。
ハルアキの頭上に、赤い扇子を持つ美しい鬼姫が、ふわりと浮いている。
「大丈夫。私が居るから」
この式神・呉葉が存在する限り、この結界が破られる事はない。
「さあ、始めようか」
ハルアキの手に、二枚目の式札があった。
「烏天狗!」
式札が闇に溶ける。すると、鳥の翼と嘴を持つ、漆黒の装束の男が現れた。
「滅して良いのだな」
烏天狗は揺らめく焔を帯びた太刀を抜き放った。
「いや、滅するのは刀に宿る怨霊のみだ。娘ではない」
「面倒だな」
烏天狗は翼を羽ばたいた。
ヨシノは、呪符を解こうと悶え回る刀に振り回されていた。烏天狗の太刀がその鍔を狙う。
「───!」
上から振り下ろされた強烈な一閃が、ヨシノの手元で火花を散らす。
常人なら、その衝撃に耐えられず、刀を取り落とすだろう。
しかし、ヨシノは太刀を受け止め、弾き返した。
「何っ……!」
烏天狗はひらりと身をかわして地面に降り立った。
「呪印は効いていないのか!」
「………」
確かに、刀は呪符を嫌がる素振りを見せている。しかし、その力を抑えるには至らない程度に、怨念の方が強いようだ。
「赤い、花……」
今度はヨシノが刀を振る。烏天狗は飛び跳ねてそれを避け、くるりと宙返りすると太刀を構えた。
「天魔覆滅!」
太刀の焔が激しく立ち上る。それは闇を裂き、ヨシノめがけて振り下ろされた。
「駄目だ!」
これでは、ヨシノが殺される。ハルアキは式札を投げた。途端に、烏天狗の姿は消え、一葉の紙人形がふわりと宙を舞った。
しかし、烏天狗の放った焔は消えなかった。流星の様に真っ直ぐにヨシノの頭上に落ちる。
ヨシノは刀を振り上げた。その軌跡は焔を斬り裂き、焔が刀身に燃え移った。
「赤い花……、綺麗……」
呪符が燃え千切れて花弁のように散る。火の粉に目をやるヨシノの白い肌が闇に浮かんだ。
「しまった!」
ハルアキは慌てた。しかし、時は既に遅い。
怪しく光る刃は、目の前を舞う式札を両断した。
「もっと、赤い、花……」
闇を斬り裂く風が迫った。