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宵の陰陽師 ~百鬼絵巻~  作者: 山岸マロニィ
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肆ノ巻──二尾の狐姫

「……大丈夫ですか?」

 肩を揺らされて、ハルアキは目を開いた。──顔のすぐ前に顔があり、ハルアキは驚いて起き上がろうとして、その顔に額をぶつけた。──相手も「痛っ……」と額を押さえる。……どうやら、幽霊やその類ではなさそうだ。

「わ、悪い……」

 床に身を投げたまま動けないでいるハルアキに、聞き覚えのある声が厳しい言葉を投げた。

「戯け者めが!」

 見ると、足元にあやめが立っていた。腕を組み、怒りを込めた目で見下ろしている。

「クイナ殿が助け出してくれねば、今頃そなたはあの世だぞ」

「………」

 ハルアキはそっと身を起こし、周囲を見回した。──状況が分かっていない。とりあえず、窓の外に見える月の位置から、深夜、先程からさほど時間が経過していないのは分かった。

 ハルアキの様子を見て、あやめがため息を吐いた。

「そなたが黙って出て行ったのを心配して、クズハ殿がクイナ殿に、そなたを探すよう頼んだのじゃ。

 運良く間に合ったから良いものの、もしもの事があれば……」

「事は済んだのです。茶でも呑んで、少し落ち着きなさい」

 ハルアキはハッと顔を上げた。ヨミが、盆で湯呑みを運ぶ巫女・センを従えてこちらにやって来た。──よく見ると、ここはヨミの御堂だ。

「助けられて何よりです」

 先程の顔──愛らしい童顔の若い女が、目に涙を浮かべながら微笑んだ。

「怪我はないか?」

 ハルアキはその顔をまじまじと見た。──狐のような耳が、柔らかい色の髪の上に並んでいる。

「………」

 キョトンとするハルアキを見て、狐耳の女はモフモフとした毛並みの二本の尻尾を見せた。

「私は妖狐です。クイナと言います。……この狐さんたちは、私の家族なんです」

 そう言うクイナに、三匹の狐が駆け寄る。

「私はこの通り、大丈夫ですよ。……ですが、あなたの腕の怪我が気になります」

 言われてハッと見る。──裂けた袖の隙間から、丁寧に巻かれた包帯が見えた。

「自業自得じゃ」

 あやめが冷たく言い放った。

「何故あやめがここに居るんだ?」

 ハルアキは苛立ち混じりに言い返した。

 本来、座敷童は決まった家でしか、姿を現せないものだ。それなのに、何故ヨミの御堂に?

「これですよ」

 ヨミが式札を指に挟んで見せた。

「自分でこれに入って、クズハ殿に連れられて来たのです」

「クズハ殿はここには居れぬ故、あたいが連絡役になったのじゃ」

「……なぜ、母上はここに居られないと?クイナとの関係は?」

 すると、ヨミとクイナが顔を見合わせた。

「……本来なら、クズハ殿から聞くべき話でしょうけど、知っているのでしょう?──クズハ殿が、妖狐だという事を」

 ヨミが閉ざした目で、センの勧める湯呑みを示した。それを受け取ると、ヨミもハルアキに向き直って座った。

「あなたの生まれるずっと前、私がここに居を構えるその前から、この裏の森で、クズハ殿もクイナも、暮らしていたのです」

「………」

「この堂には二匹ともよく遊びに来ていたので、昔から知っています。

 ──クズハ殿は、この、クイナの姉です」

「………!」

 ハルアキは言葉にならない程驚いた。──しかし、クイナの愛嬌のある笑顔は、確かにクズハに似ている。

 ヨミは、両手を膝に置き、首から下げた長い数珠を指に絡めながら語り出した。

「ある時、一人の人間がこの森にやって来ました。──その者に、クズハ殿は恋をした……」


 諸用でこの森を通りかかった保名は、狩人に狙われていた狐を助けた。しかし、逆に怪我をしてしまう。

 その狐・クズハは、恩を返そうと娘に化けて、保名を介抱して屋敷まで送り届けた。

 ──それが、クズハの運命を変える事となった。

 それからと言うもの、クズハの様子がおかしい。それを傍で見ていたクイナは直感した。

 ──恋だ。

 しかし、狐が人間と結ばれるなど、到底叶う筈がない。狐族の長老からも、クズハは厳しく諌められた。

 しかし、クズハは諦め切れずに、家族を捨て、狐である事を捨て、森を飛び出した──。


「……姉さんは、それに負い目を感じて、私たちの前に姿を見せなくなりました」

 クイナは寂しげに微笑んだ。

「しかし、元はといえば狐です。人間としての生活に困った事があると、私のところを頼って来る事はありました。

 その時、クイナが心配している話をしても、クズハ様は首を横に振って、すぐに帰ってしまって……」

 ヨミの話を、両手で湯呑みを転がしながら、ハルアキは聞いていた。

「あなたがこの世でないものが見えると分かった時、やはりと思いました。あなたは、半人半妖……」

「まぁ、そうじゃないかと思ってた。道理で人間社会に馴染めない訳だ」

 ハルアキは湯呑みに口を付けた。

「しかし、この様に美しい方が、私の叔母とは……」

「口説いている場合か!」

 あやめの視線がハルアキに刺さった。

「そなたを襲った、あの娘は一体何者じゃ?」

 すると、ヨミの傍らに座るセンが口を開いた。

「街にお使いに出た時に、噂を聞いた事があります。──娘の辻斬りが出ると」

「辻斬り……?」

「私も護身に刀を持ちますから、分かります。

 ──刀というのは、人を殺める為だけに存在する道具です。一度血を吸った刀は、己の役割に目覚め、更なる血を求めるのです。

 それを扱う者は、その魔力に打ち勝つだけの精神力が必要なのです」

 センは紅の鞘に収められた愛刀を見せた。──先程の斬撃を思い出し、ハルアキはゴクリと唾を呑んだ。

「恐らく、その者は刀の魔力に囚われているのでしょう。これ以上、犠牲が出る前に何とかしなければ……」

「その前に……」

 ヨミがハルアキに顔を向けた。──盲た目は、心の奥底までも見通しているだろう。ハルアキの背に冷たい汗が流れた。

「依頼を受けてはならぬと申しました。」

「あ、あれは……」

「あなたは、玉藻前という人物の恐ろしさを知らないのです」

「………」

「どうするつもりなのです?」

 ハルアキは頭を掻きながら目を逸らした。

「受けた依頼は、最後まで成し遂げる事にしている」

「そう言うだろうと思いました」

 センはハルアキの頬に手を伸ばした。そして、閉ざした目でハルアキをじっと見つめる。

「あなたは、孝行のつもりかもしれない。しかし、あなたが無事でいる事が、クズハ殿にとって一番の望みなのです。

 ──さぁ、帰りなさい。クズハ殿が待っていますよ」



 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼



 重い足取りで帰宅したハルアキを、クズハは正座して待っていた。無言で視線も合わせようとはしない母を、だが通り過ぎる事も出来ずに、ハルアキは向かいに座った。

「──玉藻前殿に、会ったの?」

 クズハの声は静かなものだった。しかし、ハルアキにとっては、首筋を冷気が撫でるような居心地の悪いものだった。

「──あぁ」

「……私が悪いのよ。あの御方が、おまえの父が、どのような人か、おまえに話すのを避けていた、私が」

 クズハは両手で顔を覆った。

「関わってはいけないと言うと、逆に興味を持たせてしまうと思ったから、言わなかった。けれども、向こうから関わりに来るとは。……運命からは避けられないのね……」

「……父上の事、母上の事は、聞いた」

 ハルアキが告げると、クズハは意を決したように顔を上げた。

「よく聞きなさい。──玉藻前という人が、何者なのか」


 ──父・保名は、易の結果、玉藻前の入内に強く反対した。

「必ず悪い事が起きます。決して、お近付きになられぬよう」

 帝に進言するも、その美貌に魅了されていた帝は、保名の諌言を聞き入れなかった。

 玉藻前は、自分を快く思わない保名を追放する為、保名に嫉妬心を抱く公家たちを味方に付け、徐々に追い詰めていった……。


「夜行を討伐して帝に忠義を示すよう、帝に進言したのも、他ならぬ玉藻前なのよ」

「………」

「それに、彼女も私と同様、──狐なんだから」

「……何?」

 これにはハルアキも驚きの声を上げた。

「九尾の妖狐よ。

 狐の里の空気が合わなかった彼女は、私が里を飛び出したのに嫉妬して、後に続いたの。

 そして、あなたの父上よりも大物に取り入って、私を見返そうと思ったのではないかしら?」

「………」

「彼女は、保名殿を、あなたを、狙っているのではない。的にされているのは、私。私から、全てを奪うつもりなのよ。

 だから……」

 クズハはハルアキの手を両手で包んだ。──その甲に、泪がポタリと落ちた。

「あなたには関係ないの。私が逃げたのがいけないの。戦わなくてはいけないのは、私。だから、だから……」

 その手に、ハルアキはそっと手を乗せた。

「そんな化け物を、帝のお側に置いてはおけない。尻尾を掴んで退治してやる。──と、父上なら言ったんじゃないか?」

 クズハは潤んだ目を上げた。

「母上の話でしか知らないけど、──それでこそ、私の父上だよ」

 ハルアキは笑って見せた。

「だから、諦めて。母上がどうこうの話じゃない。私の決断だ。誰も止められはしないよ」



 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼



「──ねぇって言ってるでしょ!起きなさいよ!」

 肩を揺すられてハルアキは不機嫌に目を覚ました。

 あれから母と大喧嘩をして、不貞寝したのが明け方近く。ようやく寝付いたと思ったらこれだ。窓から差す日が眩しい。──その影になるように、顔があった。

「ほら、しっかり目を開けて。外が大変な事になってるんだから」

 その輪郭は、クズハではなく、あやめでもない。しかし、見慣れたものだ。

 それに気付いて、ハルアキはガバッと起き上がった。

「おい!勝手に家に入るのはやめろと言っただろ!」

 以前、クズハに勘違いされて、誤解を解くのに苦心した事がある。それからは、多少遠慮をしている様子だったが、声ね主、伽弥乃は、

「そんな事を言ってる場合じゃないんだから!」

とハルアキの腕を無理矢理に引っ張った。

「何なんだよ、一体!」

 余りの勢いで引かれるため、不機嫌な顔のまま伽弥乃について行く。と、唐突に伽弥乃が止まった。

「───!」

 ドスンとぶつかるが、伽弥乃は気にする様子もない。その目は、戸の隙間からじっと外を見ていた。

「あんた、今度は何をやらかしたの?」

「何もしてないって!」

 渋々、ハルアキも外に目を遣る。──すると、庭の垣根の向こうに人だかりが見えた。

「何もない訳ないでしょ!この人たち、あんたが百鬼夜行を退治するって大騒ぎよ。何でこんな事になったの?」

 その時、廊下の向こうから足音が聞こえた。クズハだろう。

「……あっちへ行こう」

 今度はハルアキが伽弥乃の手を引く。

「ちょっと……!」


 裏口を出て、人目につかぬよう、足音を忍ばせて薮を抜ける。

 その向こうにある立派な屋敷が、伽弥乃の住まいだ。

 今度は裏口からという訳にはいかない。門から入り、

「失礼します!」

と、庭先で何やらやっている父親に挨拶し、そそくさと伽弥乃の部屋に上がり込む。

「……説明、してくれる?」

 軽く息を切らして伽弥乃がハルアキを見た。


 伽弥乃は、隣家の幼馴染みだ。

 代々の大地主で、裕福な一家の一人娘だ。

 幼い頃に母を亡くし、父と二人だけの家族のため、似た境遇のハルアキを気に掛けている。

 色々面倒をみてくれる、数少ない味方である反面、ハルアキにとって少々厄介なところもあった。

 伽弥乃の父は、金持ちの道楽で、絡繰りを集めるのが趣味である。それを見て育った伽弥乃は、絡繰りを創る事に目覚め、自分で作った奇妙な道具を持ち出して、ハルアキに見せたがるのだ。

 周囲からも、親子共々変わり者と見られているが、全く意に介さない程度のお転婆である。


 蝶を象った簪が揺れる。端正な顔立ちなのだが、それ以上に興味津々に輝く瞳が目立つ。

「……あのな……」

 ハルアキは目を逸らし、口を尖らせて事の顛末を説明した。──さすがに、クズハと玉藻前の正体、そしてクイナの事は省いたが。

 伽弥乃は、大きな目を更に丸くして、ハルアキの話に聞き入っていた。

 そして、一通り話が終わると、小首を傾げて言った。

「あのね……」

「何だよ?」

 不機嫌な顔を向けると、伽弥乃は言い放った。

「あんた、馬鹿?」

「うるさいな!母上にも、阿呆だのたわけだの、散々言われたさ!」

 ハルアキは腕を組んだ。

「親の心子知らずって、こういう事なんだね……」

 まじまじと伽弥乃に見られて、ハルアキは居心地が悪くなった。

「でも、あんたの気持ちも、分からなくはないわよ。女手ひとつで苦労をかけたお母様に、恩返しがしたいんでしょ?」

「そんなんじゃない!私は、己の力を信じて、どこまでやれるか、試してみたいだけさ!」

「己の力、ねぇ……」

 そう言いながら、伽弥乃は腕の包帯を見た。

「これはどうしたの?」

 ハルアキは慌てて隠した。

「そんなんで、この先戦えるの?」

「………」

 伽弥乃は針箱を出してきて、裂けた袖を縫いだした。

「あんたの事だから、言っても聞かないと思うから、止めはしないけどさ。……自分の力が完全だとは、思わない方がいいわよ」

 伽弥乃は絡繰りを操るだけあって、器用に裁縫をこなす。

「私も、失敗はよくするわ。でもね、だからこそ、次は成功させるって、勉強するのよ。

 あんた、今まで失敗らしい失敗、してないでしょ?だからさ……」

 伽弥乃は歯で糸を切った。

「自分に不足してるところを自覚して、そこは誰かに頼った方がいいんじゃないかな?」

「………」

 縫った袖を確認して、伽弥乃がニコリと立ち上がった。

「だからね、そんな時こそ、私の出番でしょっ!」

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