拾壱ノ巻──偸盗の罪
「──という訳だ」
ハルアキは伽弥乃に、七宝が式神であり、普通、人にはその姿が見えないという事を何とか説明したのだが、伽弥乃は訝しげな表情を変えない。
「なら、なんで私に見えてるの?」
「それは私が聞きたい」
「賢者の石じゃな、恐らく」
傀王丸に身を隠したあやめが言った。
「賢者の、石?」
「そうよ。お父様がたまたま手に入ったとくれたのよ。だから、傀王丸に使ったら、話せるようになったし──」
ハルアキはチラッとあやめの式札に目を向けた。あやめは悪戯っぽく手を上げる。……伽弥乃は、傀王丸が喋っていると思い込んでいるのか。全く、鋭いのは鈍いのか、よく分からない奴だ。
「それに、……これ」
伽弥乃は首から下げた御守り袋を見せた。ハルアキと揃いのものだ。
「これに、賢者の石の余りを入れといたの。どう?御加護があったでしょ?」
……道理で、ハルアキの居場所をいとも容易く見付けられた訳だ。
「確かに、幸運の加護だ。しかし、この世のものでないものまで見えるようになるとは驚いたな」
「これが見抜けたのも、賢者の石のおかげかしら」
伽弥乃はハルアキに白い布切れを見せた。──血飛沫のように赤く染まった部分があるが、ハルアキの狩衣の片袖だ。伽弥乃とコノエに、ハルアキは死んだと思わせ、追跡を逃れようとしたのか。
「……道理で寒いと思った」
「まさか、袖を取られたのに気付かなかったんじゃないわよね?」
鈍臭いわね、と伽弥乃に言われて、ハルアキは天を仰いだ。
日は傾き始め、烏が淡い色の空を横切っていく。
ハルアキ達は人足達と共に、コノエの社へ戻るところだった。
「このまま逃げるが得策じゃ」
とあやめは訴えたが、負け逃げは、ハルアキの矜持が許さない。
「それに、依頼は未だ達成していない。ここまで来て、報酬の貰い損ねは勘弁だ」
……ハルアキ、伽弥乃、傀王丸の姿を見ると、村人たちは家屋に身を隠した。しかし、あちらこちらから視線は感じる。
それに構わず、一行は村道を進んで、黄金の鳥居の前にやって来た。
──そこには、コノエが待っていた。
「逃げたかと思えば戻って来るとは、度胸だけは認めてやろう」
左右に神職軍団が控える。友好的とは言えない視線を、ハルアキは見返した。
「おまえが千里眼なら既に知っているとは思うが、千代、それにツユハナとかいう陰陽師は、おまえを裏切った」
「……裏切ったと、なぜ言い切れる?」
言い返すコノエの傍らに、千代が現れた。
「私はコノエ様を裏切った事などない」
「なら、これは何?」
伽弥乃が血染めの片袖を見せた。
「……それは、おまえとそいつを引き離すために仕組んだ事だ。手を組んで逃げられたら面倒だからだ」
「当然、妾も存じておる」
コノエはニヤリとした。
「生憎だったな」
ハルアキは目を細めた。──果たして、本当か?
「そなた、ツユハナの策を見抜いたようじゃな。褒めてつかわす」
「では、約束通り、報酬にこの村を頂こうか」
ところが、コノエは薄笑いを浮かべたまま動かない。
「妾は、証明できれば、と申した。そなたの考えを、村人達に証明できるのか?」
ハルアキの背後に、大勢の村人達が集まってきた。
「…………」
ハルアキは言い返せなかった。当のツユハナがいなくなり、練丹術を使っていたという確たる証拠を提示できない事を、端からコノエは分かっていたのだろう。
「しかし、妾は心が広い故、この勝負を、引き分けとしてやろう。倉を壊した事も追求はせぬ。
日が暮れる前に、引き上げるが良い」
村人達の視線を背中に受ける。──それに、何か違和感があった。
依頼人たちの話が真実だとすれば、ハルアキ側を支援する声が上がっても良いはずだ。しかし、遠巻きに見つめるだけで、ハルアキを応援するどころか、コノエを敵対視する意欲も感じない。
ハルアキが負けた時、村に居られなくならないために?
……果たして、それだけだろうか?
疑問に感じながらも、ハルアキは口を開いた。
「勝負と言いながら、そちら側の策だけを見せられるのは不公平だ。こちらの提案する勝負にも、乗って貰いたい」
「……ほぅ」
コノエは扇子で口元を隠しながら、ハルアキを見据えた。
「どんな勝負を所望する?」
「透視、だ」
「…………」
「箱の中身を当てるだけの簡単なものだ。千里眼のおまえなら、造作もない筈だ」
ハルアキはニヤリとした。
「断る理由はあるのか?」
コノエはしばらくハルアキを見ていたが、やがて扇子をポンと畳んだ。
「良かろう。受けて立とう」
──即座に準備が始まった。
適当な空箱が用意され、双方が中身を確認する。
そして、双方が選んだ村人が二人で、誰にも見せないように中身を入れ、厳重に蓋をする。ハルアキは依頼人の代表格の男、コノエは神職軍団の一人を選んだ。
日は陰り、闇を追い払うように松明が焚かれた。ハルアキが不正をしないよう、コノエが命じたのだろう。
しかし、ハルアキにそのような気は全く無い。準備が進められる様子を眺めながら、燈籠にもたれていた。
「……今度は本当に大丈夫なんでしょうね?」
伽弥乃が訝しげな目をハルアキに向ける。
「当然だ。あいつの鼻をへし折るのも間も無くだ」
準備が整ったと、依頼人の男が呼びに来た。依頼に来た時とはうって変わり、目を合わせないように、白々しいまでに素っ気なく振る舞っている。
「…………」
何も言わず、ハルアキは勝負の場へと向かった。
コノエが箱の前で待っていた。
燭台に囲まれた古びた白木の箱は、台座に置かれ、紐で縛られた上に、箱の上に重石を据えられている。中身を見るのは不可能だ。
「……始めようか」
ハルアキはコノエを見遣った。
「おまえが先に答えていい」
すると、コノエは自信ありげに答えた。
「餅じゃ。供物用の丸餅が三つ、入っておる」
ハルアキはニヤリと口を動かした。
「本当にそうかな?」
「間違いない。妾の千里眼は全てを見透しておる」
ハルアキの態度を見て、若干動じた様子をコノエは見せた。
ハルアキは腕組みした。
「ならば、私も答えよう。
──この箱の中身は、空だ。何も入っていない」
「……本当にそれで良いのじゃな?」
コノエが確かめる。
「あぁ。この場で確認すれば全てが分かる」
コノエの指示で、重石が外される。紐が解かれ、そっと蓋が持ち上げられた。すると……。
──空の箱の古びた木目だけが、燭台に照らされていた。
「……馬鹿な!有り得ない!」
コノエは叫んだ。
「この通り、何も無いのが何よりの証拠だ」
「待て!中身を入れた者に確認をする」
コノエの目線の先で、神職姿の男は愕然としている。
「た、確かに、餅を三つ、入れました……」
「わしも、確かにこの目で見ただ!」
依頼人の男も声を震わせた。
「しかし、ここには何も無い。──私の勝ちに、異議のある者は?」
そこへ、千代が進み出た。
「イカサマだ!おまえは、式神を使って餅を消した。このような勝負、認められる筈がない!」
「おやおや、おかしな事を言うものだ」
ハルアキは千代に鋭い目を向けた。
「例え、私が餅を消したとしても、箱の中身が見えていれば、それに気付くだろう。
──箱に入れる役の者に、餅を三つ入れるよう、予め指示をした。そうじゃないのか?」
「…………」
ハルアキはコノエに指を突き付けた。
「これで、コノエ、おまえの神通力は嘘だと証明できた」
コノエの白く美しい顔は、松明の灯りの中でも、青ざめて歪んでいるのが見て取れた。
「負けを認めるな?」
「……許さん!この詐欺師を捕らえろ!神に歯向かう狼藉者だ!」
千代の号令で、神職軍団が動いた。
「そうはさせないわよ!」
伽弥乃が傀王丸を伴って前に出る。
「早く負けを認めなさい!じゃないと、怪我じゃ済まないわよ」
──短い睨み合いがあった。それを終わらせたのは、コノエの声だった。
「妾の負けじゃ。この村をくれてやろう。──じゃが、その前に、そなたと話がしたい」
ハルアキは拝殿に通された。コノエが身を預ける白竜の腰掛けの正面に、ハルアキは座った。
「……なぜ、妾がここに来たのか、知っておるか?」
コノエは力のない声で語り出した。
「この神社は、以前は朽ち果て、忘れ去られた、貧しい社じゃった……」
続く戦乱の渦中で、人々の心は荒み、神への畏敬の念すら失われていた。
それを見たコノエは、この神社を立て直す事で、神の威厳、人として正しい道を、民に知らしめようとした。
しかし、神宮に於いては浄階という役職を誇ろうとも、見ず知らずの村の人々にとっては、余所者の小娘でしかなかった。
そんな彼らの信頼を、手っ取り早く得る手段。それが、武装した賊の侵攻を食い止める事だった。
「妾は千里眼だと謳い、入念に張った罠を使って、賊を撃退したのじゃ。
純粋な村の民は、神通力じゃと、妾を持て囃すようになった」
そして、村人たちは自主的に、コノエに貢物を捧げた。
元々、自然に恵まれた場所であり、山の幸、農作物が多く供えられた。それを都に売り、コノエは神社の再建を果たした。
「当初は、質素で親しみのある、人々が憩う場にするつもりじゃった……」
──ところが……。
コノエの神通力を過信した一部の村人が、こんな提案をしてきた。
「農地を増やすために、近隣の荘園の土地を、我が物にしたい」
……コノエは断った。しかし、その村人たちは徒党を組み、コノエを追い出そうと画策しだした。
「この村に執着をしておる訳ではない。じゃが、このままでは戦乱が広がり、皆が不幸になるだけじゃ。
妾は、それを止めたかった」
コノエは一案を講じた。
大雨が降った際、水を堰き止め、敢えて軽い災害を演出した。人々は恐れ、コノエを頼った。
コノエは言った。
「信心が足りぬ故だ。もっと妾に捧げ物をせよ」
と。
「勿論、人の信心を盗み、財産を巻き上げるやり方は、妾の望むところではない。
しかし、挙兵を諦めさせるためには、財力を奪う事が、最も効果的なやり方じゃ。
民達の純粋な敬意を踏みにじり、心が痛かった」
そんなコノエに寄り添ったのが、千代、そしてツユハナだった。
千代は、コノエの身の安全と威光を守る役割を、ツユハナは練炭術を使って、コノエの神通力を演出する役割を担った。
「……あの二人は何者なんだ?」
ハルアキが問うと、コノエは首を振った。
「正直なところ、知らない。村の者ではない。いつの間にか居着き、私の近くに居た」
「なぜ、そのような者を信用した?」
コノエは肩を竦める素振りを見せた。
「味方が欲しかった、からじゃろうな。どれほど精進を積んだところで、衆人の中の孤独には、勝てぬものじゃな」
ハルアキは顎を撫でた。
「ならば、あの者がおまえに無断で私を連れ出そうとした事も、認めるな?」
コノエはコクリと頷いた。
「私に話を合わせれば、全て上手くいくと申した故」
「連れ出した後、私をどうするつもりだったかは、知っているか?」
「はて、そこまでは聞いておらぬ」
「…………」
コノエは自嘲した。
「信頼できる者をすら見抜けぬとは、妾はまだまだ精進が足りぬ」
そして、コノエは立ち上がった。
「この村は、たった今からそなたの物じゃ。妾は修行の旅に出る。──宜しく頼むぞ」
「いや、それは困る」
ハルアキは慌てて手を振った。
「私は端からそんなつもりは無い。私の目的は、依頼人から報酬を得る事。おまえを追い出す事ではない」
ハルアキは胡座をかいてコノエを見上げた。
「この村にはおまえは必要だ。おまえはここに残れ。その代わり……」
ハルアキはニヤリとした。
「私の依頼人が、武装派の頭だろう?
ならば私が、再起不能なまでの報酬を、しっかりとふんだくってやる。それでどうだ?」
コノエは紅玉のような目を細め、フフッと笑った。
「そなたは面白い男じゃの」
その時、慌ただしく障子が開き、伽弥乃が飛び込んで来た。
「千代が逃げたわ」
控えの間で、獏に眠らせておいたのだが、少し目を離した隙に、居なくなっていたらしい。
「…………」
暗い部屋の隅で寝転がる獏を見ながら、ハルアキは顎を撫でた。
……獏の能力は、対象の魂を一時的に抜き取り、眠らせる。恐らく、千代は「この世のものではない」存在であるため、魂という概念が無く、術は無効だった。それを知りながら、逃げる隙を図るため、術が効いて眠ったフリをしていたのだろう。
部屋の外で、傀王丸の髪を布団に、あやめが眠りこけていた。
「追いかけないと」
伽弥乃が傀王丸を起こそうと手を伸ばした。その手をハルアキは止めた。
「夜闇の中を出歩くのは危険だ。夜明けを待とう」
不完全だが、結界は張ってある。ツユハナ共々、容易くは出られないだろう。
……ところが、その目算は裏切られた。
翌朝、結界を張った林を見に行ったハルアキたちが目にしたものは、破り捨てられた呪符だった。
「…………」
散々の破片を拾い上げ、ハルアキは木々の向こうに目をやった。霧の中で、枝がサワサワと嘲笑うかのような音を立てて揺れる。
想定していたよりも、遥かに強力な妖魔だったようだ。
「まぁ、最低限の目的は果たしたんだ。良しとしよう」
「それにしても、あんた、毎度詰めが甘いわよね」
「…………」
伽弥乃の言葉を聞こえぬフリをして、ハルアキは村へと足を向けた。
「用は済んだんだ。貰うもの貰って、さっさと帰ろうぜ」
「でもさ……」
伽弥乃もついて来る。
「コノエ、大丈夫かしら?千里眼でもないし、神通力も無いとバレちゃった訳でしょ?このまま村に残るのは、可哀想な気がして」
「自業自得だ。それに、あいつならやれるさ。ほら……」
木々の隙間から、神社の境内が見える。そこに、村人たちが集まっていた。──手に手に、野菜や卵、甘味を納めた壺など、供物を持っている。そこに出て来たコノエは、笑顔で村人たちを迎えた。
「これから、本当の守り神になるさ」
──報酬金、そしてコノエからの礼の品を担いだ傀王丸を連れた、ハルアキと伽弥乃が峠道を去って行くのを、木立の上から眺めやる視線があった。
鋸を持った女と、瓢箪を担いだ童女は、無表情で枝の上から見下ろしていた。
「……これでいいのか?」
童女──ツユハナは、隣の千代を見上げた。
「目的は果たした。少々欲をかいたのが失敗だったが、問題はない」
「じゃあ、戻ろうか。──夜行様のところに」
ツユハナが右手を上げる。そこから煙が吹き出し、二人を包む。
そして、風が煙を運び去った後には、二人の姿はなくなっていた。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
女は、黄昏の空に煙が流されていくのをぼんやりと眺めていた。
燻らす煙管の白い煙を、女は羨ましく思った。
──あたしには、自由なんて、夢のまた夢。
煙になって、空へ消えてしまいたい。煙管を吸う度に、女はそう思った。
「自由が、欲しいのかい?」
唐突に声がしたが、女は驚きはしなかった。常に誰かの目がある。それは当たり前の事だった。
「……金や愛など、もう飽きた。ほんの一瞬でいい。この遊郭の外に出られるのなら、この命など、くれてやろうに」
「ふぅん、面白いね、君は」
女は簪で飾られた頭を揺らし、後ろを振り向いた。──ところが、部屋の中に人影はない。
直後、背後に気配がした。それは、そっと女を包む。そして、すぐ耳の傍で囁いた。
「ボクなら、君を自由にしてらあげられる」
女は、指先の気配がある首元へ手を添えた。しかし、何の感触もない。
「……おぬしは自由だな」
「そうだよ。ボクは、全ての事から自由なんだ。──生からも、死からも」
気配はするりと女を通り抜け、部屋を漂った。
「だから、ボクなら君を自由にできる。……その代わり、君に頼みたい事があるんだ」
気配は女のすぐ傍で止まった。
「目が、欲しいんだ。とびきり綺麗な、若者の目が、ね」