渇望
「早すぎる!」
バタンッと椅子が倒れる音がした。
ノックもなしに家へ侵入してきたレナから事情を聞いたジェナは耳を疑った。
確かにリリィは大きな魔力を持っていた。
だが今までに例のないというほどの魔力ではなかったはずだったのだ。…少なくとも先日診察した時は。
魔力熱というのは誰しもが一度はかかるものだ。
別に病気というわけではなく、魔力という存在を体が受け入れる通過儀礼のようなものと言われている。
例外もあるが一般的に魔力は2歳から5歳ごろに大きく成長する。魔力熱はその急激な魔力成長に体が適応するためにかかるとされる。
症状としては主に発熱、目眩といったもので大概は一日大人しくしていれば治るものである。
魔力とは体に有害なものではない、あくまでも急激に成長した魔力に一時的に体がついていけなくなった時に起きてしまう症状なのである。
ただ、今回問題なのは体の成長と魔力の成長のバランスにある。
過去に事例がないわけではない。2歳になる前に急激な魔力成長が訪れ、魔力熱にかかったものは以前にもいる。その者たちは高い魔力を持ち、後に名のある人物になることが多い。つまり現時点で魔力熱にかかっているということは高い資質を持っていることを示していると言えるだろう。
しかし、それは生き残ればのことだ。
過去の例を見ても生存確率は低いことがわかっている。
体の成長がまだ十分ではない段階でかかる魔力熱は幼い肉体へ与える影響が強すぎるのだ。
幼い子供は自身の意思で魔力を放出する術を持たない。しかし魔力の使い方を知らない内は魔力を体には留めず無意識に放出している。
魔力熱の症状が強い者への処置としては魔力の放出を高める薬を飲ませることで自然に放出している魔力の量を増やし、その間に体に魔力を馴染ませることで症状を軽くするのである。
「それで…今の容態は?」
「魔力熱の症状としては初期段階だと思うわ。熱が出始めたところね。早い段階で気づいてくれたキース君には本当に感謝してるわ」
「そうか…。とはいえ、悠長に構えているほどの余裕はないな。すぐに準備していくとしよう!」
「ええ、お願いします」
ジェナは診察用のコートを羽織り、棚からいつもの診察用の素早く鞄を身につけた。
そしてふと疑問に思ったことを口にした。
「そういえば…エミリーんとこの坊やは大丈夫だったのかい?」
「え? フィル君ですか? 少し泣いていたようですけど私が見たときには泣き止んでましたし、いつも通りだったと思いますけど…」
「ほう…。頑丈なんだか、鈍いんだか」
魔力操作を身につけていない子供にとって他人の濃密な魔力など毒に近いものだろうに。
今は考えている場合ではない。
ジェナは軽く首を振って気持ちを切り替えた。
「さぁ、時は一刻を争う。急ぐとしようか」
ジェナのその言葉にレナは頷き、二人はリリィのもとに向かうため夜道月明かりを頼りに駆け出した。
二人の道を朗々と照らす月明かりは月に徐々に掛かる雲で薄らいでいった。
♢
右腕が焼けるように熱い。
頭は沸騰したように熱を持っている。
悲鳴をあげる体に鞭を打つようにして体に力を入れる。
大きく息を吸い澄んだ夜の空気を肺に満たす。
”どうしてこうなった?”
自問自答するが答えは出ない。
あちこちから仲間の悲鳴が聴こえる。
怒りで血が猛る。
なぜだ? 敵は明らかにこちらより少数だ。
それもここに来るまでに自分たちが蹂躙してきた存在と大差ない見た目をしている。
だというのに、だというのに自慢の戦力を持つ自分の群が崩壊しつつある。
その少数の敵の手によってだ。
「ブルルァ!」
威嚇の声をあげるも怯む様子は見られない。
それもそのはず、どう見たって自分の方が満身創痍だ。
道中に狩った魔物の革でできた鎧はズタボロに切り裂かれ、自慢の斧は斧を振る前に右手を切り落とされ地面に転がっている。
”ありえない”
自分はこんなひ弱な存在に負けるはずがない。
だが…現実は目の前にいるメスにいいようにあしらわれている。
メスは明らかに手を抜いている。
信じがたいことだが何か確かめるかのように剣を振るっているのだ。
この群れの主人たる自分に対してだ。
”勝てない”
そう思ってしまっている自分がいる。
蠱惑的な魔力を発するあの森を統べればもっと強くなれる。
その思いを胸にここまでやってきたはずだ。
多くの獲物を狩り、力を得て強大なる魔物さえも狩れるようになった今の自分たちにはできないことはないと思っていた。
もうすぐたどり着くはずだった…。
体勢を低くし、左手で持った大楯を前へ構える。
自慢の力で振った大楯は強大な魔物すら怯ませることができる。
当たれば目の前の脆弱な存在など耐えることすらままならず、死を迎えるであろう。
「ブルルルル…」
唸り声をあげながら敵を睨みつける。
敵の紫色の瞳が自分を見定めるかのようにじっと静かに見つめ返してきている。
引くという選択肢は端から存在しない。
「ブルァ!」
ダンッと踏み込み一気に敵との距離を詰める。
距離を見定め大楯を横薙ぎに振るう。
”捉えた”
そう思った束の間敵の姿を見失い空振りしてしまう。
最後にその瞳に捉えたのは銀色の線だった。
♢
魔力の高まりを感じる。
…というか魔力を吐き出せなくて体中に魔力が漲っている。
「はぁ…、はぁ…」
息が苦しい。喉が焼けるようだ。
心臓はバクバクと音を立て、頭はクラクラする。
体の節々が痛みを上げる。
体に蓄積する魔力が増えるほどにこの幼い体にかかる負担が増しているのは間違い無いだろう。
思った以上にこれは辛いな。正直なところ今すぐにでも辞めてしまいたいところだ。
でも…、横を見ると辛そうな顔をしているリリィちゃんの顔が見える。
俺が魔力を吸収することで確かに一時よりは顔色が良くなっている。
しかし、ここで気を緩めればどうなるかわかったものではない。
前世から自分の嫌な予感という感覚に対する信頼は高い。この感覚を無視してここまでやったのだから後は大丈夫と手を緩めた際はだいたい何かしらの見落としがあって失敗する。
とはいえ、キャパオーバー気味だ。明らかに自分が取り込める魔力量を超えている。
魔力を操作して放出も同時に行なっているが、今まで魔力を放出する練習はしてこなかったので微々たるものだ。
ちくしょう…、魔法を使えるようになっておくべきだったな。
とはいえ、風魔法なんて誰も見せてくれなかったからな。それに今まで見たことがある魔法は一応使おうとして見たことはあるが発音ができないからか適正がないからか発動しなかったし。
実のところ打開策がないわけでは無い。
先ほどからこう…なんと言ったらいいのかわからないが体に芽生えた感覚がある。
使って見ないとわからない。でもこんな不確かなものをいきなり使ったらどうなるかわからない。
”ジェナさんはまだかなぁ”
この状況を打開できるのは俺が知っている人では彼女くらいなものであろう。
もしくは魔術に秀でたハース父さんか、経験豊富なエルフであるジェドさんがどうにかすることができるかもしれない。しかし、今二人は魔物の討伐のため村を離れている。
できれば真っ当な解決方法を持ってそうな人たちに任せたいがジェナさんの家はうちからそう近い距離では無いだろう。少なくこも近所のお散歩に連れ出されているエリアでは見たことがない。
「フィル! フィル! どうしたの!?」
キース兄さんが焦った声を上げている。
そりゃそうだ。水汲みをして部屋に戻ったら一人ならず二人も具合悪そうな顔をしてたら焦るわな。
しかも大人は出かけていて一人とか…、心細いだろうに。本当に申し訳ない気持ちが溢れてくる。
けれどそれを気にしている余裕は今はない。
もうお腹いっぱい魔力を吸いすぎてさっきから吸収する量が減ってきている。
もたもたしている暇はない。
芽生え始めた感覚に手を伸ばす。するとそれはまるで初めから知っていたかのような慣れ親しんだ感覚を感じさせ、すんなりと発動した。
そうかこれが ”アイテムボックス” か。
なるほどなるほど、今までは発動させるための魔力が足りていなかったから使えなかったのか。
目の前に俺のアイテムボックスの扉が出現している。
肉眼では見えないが魔力視を働かせると魔力の渦のようなものがあるのがわかる。おそらくこの渦が俺のアイテムボックスまでの空間を結んでいるのだろう。
それと同時に自分の魔力が減っていくのがわかる。なるほどアイテムボックスを発動させるのに魔力が必要な上にアイテムボックスを使用している最中も一定量継続して魔力を消費しないといけないのか。
それがわかって安心した。アイテムボックスの検証は後回しだ、今大事なのはこの状態をキープすればリリィちゃんの魔力をまだ吸収し続けることができるということだ。
それが例え僅な時間だとしても…




