<7> 異世界の言葉を覚えるついでに
いつもの交番そばのトイレから、異世界に転移する。転移先の場所には囲いをつくり、もし人がいても見られないように工夫した。小便ならともかく、大便をしているところを見られるのは耐え難い。
今日もこちらの世界は良く晴れていて、ちょっと暑い。木陰にいないと体力が消耗するような感じだ。川の水をともかく飲む。うまい。初めて飲んだ時も思ったが、本当にうまい。これ、日本に持ち帰ったら売れるんじゃないか?
リサから異世界の言葉を教えてもらうために、カバンの中にはノートとボールペンとボイスレコーダーが入っている。カバンには他にも少しの食料と鏡を入れている。
遠くで虫の鳴く声がする。蝉のような虫がこちらの世界にもいるのだろう。そよ風が気持ち良い。僕はそのまま川の前に立ち、笛を吹いた。リサを呼ぶための笛だ。
リサも忙しいだろうから、来れるかどうか分からないが、僕はゆっくり待つことにした。
『よお、太郎じゃないか』
「あ、ジン。こんにちは。そうか、笛を吹いたらリサが来れなくてもジンが来てくれるから、無駄に待ってなくてもいいんだね」
『まあ、普通なら俺みたいな存在が感知できないから普通に待つしかないんだが、お前は姿は見えなくても声だけは聞こえるからな。そういう点では、リサと会話してても変に思われないから助かるよ』
「実は、こちらの世界の言葉を教えて欲しいんだ。普通に読み書きや会話ができるようにならないと、こちらの世界では自由に動けないからね」
『おいおい、普通は異世界言語能力にポイントを割り振って、会話できるようにするもんだぞ。わざわざ苦労して言語をマスターしたいのか?』
「努力で手に入れられる能力なのに、ポイントを使って獲得するなんてもったいない。ポイントを使うなら努力では手に入らない能力に限定するね。僕は」
『……なるほどね。言っていることには一理ある。まあ、実は太郎のポイントなんだけど、今200Pぐらいあるんだ』
「へえ、200Pかあ。それにしても実際のところ、魔法とか手に入れるにはポイントが必須なの?それとも努力で手に入れることが可能なの?」
『魔法も、物理戦闘の能力も努力で獲得が可能だよ。でも、それは本当に大変な努力を必要とするんだけどね』
ジンは努力が大変だと言っているけど、僕は努力しないで手に入れた能力を自分の能力と思うことができない気がする。苦労して得た能力だからこそ、自信になるんじゃないかな。今まで苦労の連続だったけど、異世界転移能力に関しては自分だけの努力ではどうにもならないことだから、過去の自分はポイントを稼いで手に入れようとしたんだと思う。そうでもない限り、能力を努力なしに手に入れたいとは思わない。
「……努力で何とかなるんなら、なんとかするよ。ポイントに頼りたくない」
『変わってるね……。太郎がそうしたいなら止めないけど、俺なら少しでも楽して能力を手にするね』
さっきより日差しが強くなってきた。虫の音も夏を感じさせる。僕は木陰に移動しながらジンに言った。
「そう思う人も多いだろうけど、そうじゃない人もいるんだって。まあ、ジンからすれば僕は努力が好きな変人に見えるんだろうけど。ひょっとして僕は努力が好きなのかもしれないね」
『そう言われたら、俺は何も言えないね。努力が好きか。そんな人初めて会ったよ。おっと、リサがもう来た。かなり急いで来たみたいだ。太郎に会うのがよっぽど待ち遠しかったんだろうな。笛が鳴った時のリサの顔といったらは、それはもう……いや、それ以上言うと怒られる。今のは聞かなかったことにしてくれ。それじゃあ、仲良くやれよ』
そう言って、ジンは行ってしまったようだ。遠くから人が急いで歩いてくるのが見えた。間違いなくリサだ。リサも僕の姿を遠くから確認できたようで、手を振っている。僕も手を振ってみた。この暑さで、かなり急いで来たみたいだから、熱中症とかにならないと良いが。僕もリサのところに向かって歩いた。リサは近くで見ると、ものすごく汗をかいていた。
「リサ。急いで来てくれたんだね。ありがとう。水飲んだほうがいいね。ここの水おいしいから」
「うん。太郎も来てくれてありがとう。しばらくぶりだけど、ジンから様子は聞いていたから、そんなに心配はしてなかったよ。日本で仕事をしていたのよね」
「……ジンって、こちらの世界と向こうの世界を自由に行き来できるの?」
「まあ、天使だからね。そこらへんはそういう存在だと思っていいんじゃない。のど渇いたから、水飲むね」
リサは、水を飲むと、さらに汗が出た。しかし、さすがに異世界である。リサが浄化魔法の詠唱を行ったところ、汗で濡れていた服もすでに乾いている。
「その魔法便利だね。僕にも覚えられるかな」
「うん。覚えられると思う。練習は必要だけどそんなに難しいものじゃないから」
「言葉の次は魔法も教えてくれる?」
リサは、笑顔で答えた。
「もちろんいいわよ」
それから、僕はこの世界の言語についてリサから教えてもらった。ノートにカタカナと英語の発音記号を使って読み方を記録した。カタカナでは表現できない発音も、英語と併用すると、ほぼ近い発音を記録できた。僕は発音にはかなり力を入れて勉強するのが好きで、英語は発音記号を意味よりも先に覚えていたぐらいだ。
いろいろな単語を、ノートに書いた。書いているうちに異世界言語の法則が見えてきた。思ったよりも簡単かもしれない。もちろん、普通の会話を聞き取れるようになるまでには時間がかかるだろうが、ボイスレコーダーにリサとの会話を全て録音したので、日本に帰っても勉強できる。今日教えてもらったことは、次に来たときには全部わかっている状態にしたい。
リサにこちらの世界の識字率を確認したところ、5%程度とのことで、ほとんどの人は文字が読み書きできないらしい。魔法が使える人も同じく5%程度で、攻撃魔法や回復魔法など使える人は1%未満だという。
「リサ。思ったよりもこちらの世界は学習環境が整っていないように思うんだけど、それでみんな問題なく生活しているの?」
「そこなんだけど、林業や農業、漁業など、読み書きできなくても問題ない仕事が多いから、大丈夫なのと、医学も回復魔法があるから必要なく、建築すらも魔法で木や鉄を加工して組み立てていくから、数学など必要ないと思われているの。でも、お金の計算とかに従事する人は足し算引き算はできないといけないから、その知識が必要にはなるわね。」
「そうなんだ。日本とはずいぶん必要な能力が違うようだね。ところで鏡なんかはこちらの世界にもあるの?」
「鏡?表面がガラスでできた鏡よね。こちらの世界では、ガラスの鏡はなくて、金属製の鏡や水に映る顔を見て自分をチェックしてるの」
「よかったら、鏡を持ってきたから、リサにプレゼントするね」
そう言って僕は、カバンから鏡を取り出しリサに渡す。鏡を受け取ったリサは、鏡に映った自分を見ると、前髪が気になるのか、髪を整え始めた。その仕草がすごく可愛い。そして僕に言ったのだった。
「この鏡、高かったんじゃない?」
「まあ、リサにプレゼントしようと思って買ったから、そんなに安物ではないけど、高級品ってほどでもないから、気軽に受け取ってくれたら嬉しいな」
「本当にありがとう。こんな鏡が欲しかったの。でも、こちらの世界でガラスの鏡は存在していない物だから、手に入らなくて」
「じゃあさ、日本からいっぱい鏡を仕入れて、こちらの世界で売ったらどうなるかな」
「たぶんだけど、いや、たぶんじゃないわね。……確実に大儲けできるわ」
僕は、リサにもう一つ確認しなければならないことがあった。
「じゃあさ、こちらの世界のもので、日本で売れそうなものはあるかな」
「金がいいと思う。実は……こちらでは日本ほど高級品ではないから、こちらの金を日本で売ったらどうかな」
「金が高級品ではないの?」
「金は柔らかくて加工しやすいし、錆びないので、色々なものに使われているわ。金でできたお皿なんてのもあるわね」
「うわ、ものすごく贅沢に感じるんだけど。金のお皿か。日本では高く売れそうだな」
それから、商売についてリサと話し合った。お腹が空いたので、カバンの中にある食料を一緒に食べた。リサは言った。まるで某「天空の城なんとか」に出てくる女の子のようなセリフを。
「わぁ、太郎のカバンって魔法のカバンみたいね。何でも出てくるもの」
僕は、リサに言った。まるで某「物語シリーズ」に登場する女の子のようなセリフを。このセリフをリサが記憶していると良いのだけれど。時代的には知っている可能性のあるセリフだった。
「なんでもは出てこないよ。入っているものだけ」
そして、リサと僕はお互いを見つめると大笑いした。僕は知っていたがリサは転生前、アニメが好きだったのだ。
リサは友達がいなかったので、毎日勉強する時間も確保していたのですが、それでも暇でアニメを見ることが多かったのです。ちなみにジンも一緒に見てました。