<4> 失った記憶
白神響子は、太郎にとって同じクラスなのに遠い存在に感じていた。成績優秀で見た目も美しいが、一人でいることの多い人物だった。その彼女と太郎は一度だけ話をしたことがある。彼女の筆入れにアニメキャラクターの描かれた鉛筆があるのを見て、太郎は思わず彼女に「それ僕も好きなんだよね。」と声をかけたのだ。
太郎は、白神がその時に見せた表情があまりにも可愛らしく感じ、それだけで好きになってしまったのだ。その後に少しだけそのアニメについて二人で会話をしたのだった。
それから半年後、学校の行事で太郎の学年は全員山に登っていた。太郎の耳にかすかに声が聞こえた。何を言っているか分からなかったが、人間の声とはちょっと違って聞こえた。
『誰か助けてくれ!』
また、太郎の耳に声が聞こえた。先ほどよりはっきり聞こえた。しかし他の人たちには聞こえていない。
『誰か、この声が聞こえる人はいないか』
太郎は回りを見渡すが、声の主が見えない。しかし、はっきり聞こえているため太郎は小さな声で応えた。
「聞こえるけど、姿が見えないんだけど……」
すると、太郎は声の主が近づいてきたのを感じた。見えないのに感じることを不思議に思ったが、嫌な感じはしなかった。
『あんた、俺の声が聞こえるんだな。俺はジンだ。一応天使だ。悪いがちょっと来てほしいところがある。響子が死にそうなんだ』
「なんだって?」
太郎は思わず大きな声を出してしまったが、回りの人たちがこちらを見たので、慌ててジンに場所を聞いて、言われた方向に走った。しばらく走った先に崖があり、その下に白神さんが血だらけになっていた。あまり高さのない崖だったが、大けがをするには十分な高さだ。驚きのあまり太郎は大声で叫んだ。
「大変だ! 白神さんが崖から落ちた。誰か救急車を呼んで下さい」
大人や子供がこちらに近づいてくる。携帯で救急車を呼ぶ人もいた。太郎は慎重に崖の下に降りた。
「白神さん。聞こえるか。田中だ。田中太郎。わかる?」
太郎は、白神に声をかけた。苦しそうにしていた白神は目を開けると、太郎に何かを言おうとした。しかし声が出ない。その時にジンが言った。
『もう、長くはもたない。なあ、あんた響子と同じクラスの田中太郎だよな。お願いがあるんだが、この子と俺は友達なんだ。だからこのまま死なせたくはない。あんたに特別な力となるポイントを割り振れるよう神様にお願いしてみるから、それで響子を転生させてほしい。お願いできるか?』
太郎はジンが何を言っているのか分からなかったが、白神さんの助けになるならと了承した。ジンはその後、五分ぐらいその場を離れていた。神様に確認をするためである。そして確認がとれたジンは大急ぎで戻ってきて太郎に言った。
「神様から1000ポイント太郎に与えられた。これで響子を転生させて欲しい。話はそれからだ。」
太郎は、言われるがままに、転生に100ポイント使った。白神の魂は、死ぬ直前であったが転生に間に合った。死んでいたら神様でもない限り転生させることはできなかったのだ。
その後、ジンから太郎は衝撃的な話を聞いた。白神は事故ではなく、誰かに崖から落とされた。犯人が誰かはわかっているが、教えることはできない。ジンからそのように説明された太郎は、犯人に強い怒りを覚えた。
その後、ジンは太郎に必要ポイントの説明をした。太郎は白神響子と同じ世界に転移したかったが、こちらの犯人も許せないと思った。だから、どうしても自由に行き来する能力が欲しいと思ったのだった。
異世界転移能力。この力があれば、異世界とこの世界を自由に行き来できる。しかし、必要ポイントが100万。
太郎は考えた。自由な転移ではなく、ある程度不自由な転移なら少ないポイントにならないかと。
神様に相談してもらったら劣化版なら10万ポイントでOKということになった。十分の一だ。転移のタイミングどのタイミングにするかは自分で決めて良いということだったので、太郎は真剣に考えた。
食事のタイミングを条件にすると食べてる途中で転移して、食事ができない。デート中とかで転移しても困る。
お風呂に入ったら転移するという条件では裸のまま異世界に転移してしまう。
歯磨きのタイミングではどうか。悪くはないが、異世界で歯ブラシを無くしたら、もしくは盗賊などに捕まった時に歯ブラシがないから戻れないなんてことになると死んでしまう。
太郎が考えた末に決めたのは自分の体から百グラム以上の何かが出たら転移する。それは血でもよいしおしっこでもよい。これなら最悪の状況でもなんとか転移可能だ。太郎はその条件に決定した。
しかし必要ポイント10万には99100ポイント足りないわけだが、ジンは神様と相談した結果、今回の異世界に関する説明とジンの記憶の両方を失うのを条件にすれば必要ポイントを5万に減らしてくれるそうだ。
今回の記憶を失うと犯人の追及にたどり着けない。しかし、異世界に転移できなければ、もう響子さんに会えない。それは絶対にいやだ。こちらの世界との行き来ができるようになることが、自分にとっては何よりも大切なことだった。
ジンに、転移した先で失った記憶のヒントをもらえないか相談したら、ヒントまでなら差し支えない程度に与えると言われ、記憶を犠牲にすることに了承した。
まだまだポイントが足りない。しかし残りの5万Pは太郎がこれから必要以上に苦労する分をポイントにしてもらうということで解決した。
太郎は思った。異世界言語能力? そんなの頑張れば覚えられる。魔法? 戦闘能力? そんなの後から努力すれば何でもできるはず。
薄れていく意識の中で、太郎は次々に記憶が奪われていくのを感じた。太郎の十五年間の不幸はここから始まったのだった。