第六話 「対決」
本馬場へ出ると、太陽の強い日差しが真っ直ぐに泉を照らし出す。昨日の雨の影響は全くない、パンパンの良馬場だ。
泉は颯爽と返し馬に向かう、一番人気の優の馬を見た。自分の馬はまたもや二番人気。昨日と同じ巡り合わせだった。
泉は考える。昨日と何が違うのか――
視線の先にいる優の馬。馬主である大川グループの「ダイセン」の冠名がついたこの「ダイセンミューズ」は新馬戦を好位から差し切って快勝したばかり。このレースには泉も違う馬で参戦していたのでよく熟知している。
そして泉の馬「ナンバーガール」も新馬戦を全く同じ戦法で勝っていた。
つまり、お互い一瞬の切れ味を武器としている馬なのだ。
二人の馬に差は殆どない。そう泉は悟った。ほぼ実力は五分と五分。となると、後は実力を出し切れるかどうかにかかってくる。
それと――
返し馬を終えた馬たちが次々と、ゲート近くに集まってくる。レースが近づいている。
ナンバーガールと共に、ゲート前を周回していると、ゴーグルを今まさに着けようとする、ミズキと目が合う。ミズキはひきつった笑みで手を振った。
昨日のことが響いているのか、ひょっとして、私が怖いの? と泉は訝しげな表情で口を尖らせた。ミズキはなんとなく逃げる素振りを見せる。
そこへすかさず、横から遮るように優が馬と共にやってきて、
「どうしたんだい?」
と相変わらずリラックスした、やさしい顔で泉に声を投げる。この若さで重賞やG1タイトルを幾つも獲っているこの男からは、緊張感が全く感じられない。
少しだけ機嫌を損ねた泉は、
「別にー。ねえ、そういえばさっき、ミズキと待合室で話していたけど、一体何を話していたの?」
と優に、しかめっ面で言ってみた。
途端、優の緩い顔が突然引き締められる。ミズキがすぐ真後ろで馬の首元を撫でているのが見えた。
「大したことじゃないさ。さあ、ファンファーレが聴こえるよ」
ゲートが開いた瞬間、内枠の功を生かすべく、なるべく前へと手綱をしごいた。
いいスタートを切った泉とナンバーガールは、前から四番手につけた。だが、番手よりもすぐ外にいる、ダイセンミューズと鞍上を気にしながら走る。特に大逃げする馬もいなかった為、団子状態のまま一コーナーを回った。
しかし、やはり二歳という若駒が集まったレース。
二コーナーを回ったところで、道中じっと我慢できない馬たちが、たちまち自分のペースを乱し、先頭へと躍り出る。それにつられるように、熾烈な先頭争いが始まり、縦長の展開へ。
泉は女性特有である、馬への当たりの柔らかさを持っている。それが馬にも通じたのか、泉の馬は乱れることなく、気持ちよく走っていた。隣では細くもたくましい優の腕がガッチリと手綱を押さえ込んでいる。
ミズキの馬は? と後ろを一度確認したが、馬群に隠れて見えなかった。相当後ろにいるようだ。
「ミズキは大分後ろのようね」
大声で優に叫んだ。
「ああ! まあどうせアイツの事だ。何か企んでいる」
上体を揺らしながら、優が横を向いて言葉を吐く。
よく聞き取れなかった泉は「え?」と聞き返した。
「……勝つつもりらしいよ」と優は呟き、再び前を見た。
徐々に小倉競馬場のボルテージが上がっていく。
第三コーナー手前で後続馬のペースが一気に上がる。前半のミスペースで息の上がった先頭集団の馬たちとの差が徐々に詰まっていく。小倉の小回りなコーナーを膨れないように曲がっていく。
泉は、さっきの優の言葉は忘れ、集中する。
ここまでは完璧だ。その時が来るまで、出来るだけ脚を溜める。そして彼の「癖を」見逃さまいと、横目を凝らす。
もうすぐだ。もうすぐ、動く。
そう感じた瞬間、隣で一瞬だけ、右肩が僅かに動いた。
今だ――
同時にゴーサインを出した二人の馬が一気に加速した。しかし、その二人の馬は異なる進路を取る。
泉は内、優は外。
力尽きる内側の先行馬の隙間をかいくぐり、泉は左ステッキを振りかぶった。
「さあ、第四コーナーを回って先頭はナンバーガール! 外から捲くるようにダイセンミューズが襲いかかるぞ!」
アナウンサーの絶叫がこだまする。聞こえるはずもないその声が、スタンドからの熱狂が、二人の叩き合いをヒートアップさせる。
泉は必死に追った。隣では、やられたと言わんばかりの顔をしている優が、気迫に満ちた声を張り上げ、追いムチで馬を奮闘させる。
一馬身差。その差は縮まることなく、ゴールまで残り二〇〇メートルを切った。
ハイペースの中、抑えていたとはいえ、先頭集団の後ろにつけていた二人の馬の脚色が徐々に鈍くなってきた。そして外を回った分、先に優の馬が限界を見せ始め、垂れ始めてきた。
でもそうとはいえ、小倉は直線が短い。後一五〇メートル。
これで決まったと、泉は思った。
しかし、まだ終わっていなかった。大外からまだ一頭、足音が聴こえてくるのだ。
泉も優も、一驚した顔で外を振り返る。
観客の怒号が大きく鳴り、興奮気味のアナウンスが声高にまくし立てた。
「なんと、なんとぉ! 外から一気に、アイラブユー!」