第五話 「告白」
「七海君!」
パドックでちょうど騎乗命令がかかった時に、不意に後ろから声をかけられた。
振り返ると、見慣れた顔と奇抜な格好に思わず笑みがこぼれる。
「どないしたんですか? 中羽社長」
思わず関西弁でミズキは返事してみた。
「なんやねん、そのけったいな関西弁は。どないした、の『どない』の発音が可笑しいがな!」
派手な半袖のアロハシャツに、テンガロンハットとサングラスといういでたちの、関西弁のオジサンが顔の前で手刀を左右に振りながら言う。
「いやいや……そんな話しにきたんとちゃうねん! それより、今日は頼むでホンマ。このレース、七海君にかかっとんやからな!」
そう、この一見怪しげなオジサンこそが、今日メインレースでミズキが乗る馬の馬主である。
中羽嘉一。
関西を中心にメガネ、サングラス専門の店舖を幾つも展開しているチュンバグループの社長で、今日は会社の九州進出の視察も兼ねて、愛馬の応援に来ているというわけだ。
「まあ、社長には日頃からお世話になってますし、なんとか掲示板にはと思ってるんですが、まあ人気も人気ですしねえ」
「そんな弱気でどないすんねん。人気薄を上位に持ってくるんがジョッキーの腕の見せどころやで? 一ノ瀬センセーにも是非君を、と推されたんや。頼んだで」
ミズキはさすがに師匠である、一ノ瀬調教師の名前を出されては顔を潰すわけにもいかず、強気に胸を叩いて見せた。
中羽社長はその姿に「よっしゃ」と笑うと、持っていた扇子で「それしても暑いなー」とぼやきながら扇いだ。確かに九月を過ぎても、小倉は真夏のように暑い。
「せや、人気で思い出したけど今日の『小倉2歳ステークス』出馬表見たら、えらいことになってるやないか」
急に社長が目を丸くして言う。
「と、言いますと」
「まず、ワシの馬は四枠七番やな。人気はどうや?」
「えっと確か、七番人気ですね」
「そや。で、アンタの名前は?」
「七海……ですけど」
「……こんな偶然あるか? って思うたわ」と驚いた顔で社長は言い放つと、更にミズキに耳打ちするように続けた。
「あんま大きい声では言えんけど実はワシな……今、好きな娘がいてんねん。ちょっと前に知りおうてな。だいぶ年下やけどよう出来た娘や。その娘と会うたび、胸が苦しいんや。そう、初恋みたいな気分やな。男なら分かるやろ? ……何が言いたいかというと今日のレース、その娘に『絶対ワシの馬が勝つからテレビで見といてくれ』って伝えとる。一着になった時、それが告白に繋がるっちゅうわけや」
中羽社長はとんでもない告白をミズキにした。思わずミズキは言う。
「社長……奥さんいるでしょ」
「だから大きい声で言えん言うてるやろ。なあ、頼むわ七海君。その娘が見てんねん。いくら今日のレースの一番人気の馬にあの『成瀬優』が乗っとるから言うても、君も同じ人間や。勝てる可能性は十分にあるはず! 神さんは人間に皆平等や! しかも聞いてくれ。その娘の名前っちゅうんが……」
「ああ、はいはい。分かりました。きっといい結果をお見せますので見ていて下さいよ」
まだまだ続きそうな話を遮るように親指を立て、社長にそう告げると逃げるようにミズキは馬の背に乗り込んだ。
中羽社長はまだ喋り足りない顔をしていたが、実際、もう騎乗命令が出てだいぶ経っており、レースの時刻も近づいていたので社長も諦めたようだった。
どうせ……その若い娘の名前も「なな」か「ななみ」なのだろう。
全く、男ってのは歳とっても女にいいところを見せたいもんなのかねえ。まあ、自分も合コンを控えている身なので、出来れば勝って若い看護師さんにもてはやされたい気もするが……。と想像したところで、昨日の泉の顔が頭に浮かんだ。パドックを周回しながら、ミズキは思わず溜息をついた。
もう一度、社長の話を思い出す。
告白ねえ。だからこの馬の名前もこんな……。
偶然に感心している暇はなかった。地下馬道へと先頭の馬が歩を進め出したのだ。
ミズキはふう、ともう一度息を吐くと本馬場へと馬を向かわせた。