第四話 「お後がよろしいようで」
福岡空港についた二人は、ロビー、エントランスを抜け、出口近くのタクシー乗り場でタクシーを拾った。優が運転手に「小倉競馬所まで」と告げると、運転手は頷き、車を走らせた。
JRA(日本中央競馬会)のレースは、週末の土曜と日曜の二日間、JRAが主催する日本各地の競馬場で開催される。そして騎手は、基本的にレースの前日までに競馬場に入らなければならない。これを破れば当日レースに乗ることは出来ず、場合によってはそれ相応の罰が課せられるのだ。ちなみに調整ルームに入ってしまうと携帯電話などでの外部との連絡が一切禁止になる。
何故ここまで厳重なルールが用いられているかというと、騎手がレースに集中する為という観点と、より公正な競馬開催を行う為、とされている。
JRAで一日に動くとされる金は数十億と言われている。騎手は馬に乗るプロだ。当日乗る馬や、ライバル達の馬の情報を心得ている。その情報を外部に漏らしたりしたら、一体どういう事態が起こりうるだろうか……。
様々な不正を防ぐ為、ルールには徹底している。勿論、破れば罰金、騎乗停止などの処罰が下されるという訳だ。
泉は腕時計に目をやる。時刻は午後九時に差し掛かろうとしている。小倉には午後十時にはつくだろう。
二人はレースの疲れと長距離移動のせいか、しばらく無言のままだった。優は静かに窓の外を眺め、泉はスマートフォンで音楽を聞いていた。イヤホンから少しばかり、テクノ調の四つ打ちビートが聴こえてくる。
「ひょっとしてお客さんら、ジョッキーさんですか?」
運転手のその言葉が車内の沈黙を破る。優が「ええ」と答えると運転手はやっぱり、という顔をする。泉もイヤホンを外した。
「いやね、二つ前に乗せたお客さんもジョッキーさんだったとですよ。二時間くらい前やったかなあ。同じように福岡空港から小倉競馬場までって言いよってね。ほんで、その人がまた面白か人やったとですよ」
運転手の話に、優と泉は顔を見合した。
「へえ、どんな人だったんですか?」と泉が聞く。
「なんか、気さくなアンちゃんやったとよ。初めは騎手って気づかんくらい、のほほんとした人やったとばい。あ、コレ褒め言葉ですけんね。なんせずっとわたしと、好きな落語家のことやら、お笑い芸人の話で盛り上がっとったけんね。でも、降りる直前に『明日のメインレースに乗るから、おっちゃん応援しててね』って言われたもんで、そこで騎手だと気づいたんよ。なんか『同期のインタビューが死ぬほどムカついた』って言っとったよ。相当気合入っとったっちゃね、ありゃ」
運転手は嬉しそうに喋り、ハンドルを切った。見慣れた景色が続く窓の外は、少し小雨が降り出していた。
泉は笑顔で運転手に「へえー面白い人ですね」と相槌を返しながら、優を横目で見た。優は何も気にしていない感じで窓の外を眺めていた。しかし何か考えているようにも見える。そしておもむろに口を開いた。
「ふーん、そりゃあ珍しい。重賞でアイツに騎乗依頼するなんて勝負投げたかな。その陣営は」
「アハハ。でもさすがのミズキも、優ちゃんのあのインタビューで、火がついたんじゃない?」と泉が答える。
「さあね。まあ、誰であろうと一位は譲る気はないけど」
「あら? 私もよ」
泉は優をニヤっとした顔で見ると、やれやれ、という顔をしながら優は苦笑した。
そんな中タクシーが止まる。
「着きましたよ」という運転手の言葉にすかさず代金を優が払う。泉は折半の代金を優に渡そうとするが、優は口だけで「いらない」と答えた。「もう」と泉が頬を膨らます。お金を払う時にはいつもこうなのだ。
「あれ? そこにいるの、さっきのアンちゃんじゃ……」
不意に運転手が外を見ながら言うのを聞き、二人は開いたドアから思わずその男を見た。
男は雨の中、少し大きめの旅行バッグを肩にかけ、携帯電話を耳に当てながら、身振り手振りの大声で誰かと話している。
「本当か龍之介! おいおい、マジか。ついに俺も本気出す時が来たようだぜ!」
すぐに泉と優はミズキだと気づいた。運転手の言っていたジョッキーはやはりミズキだったのだ。二人はタクシーを降り、先に泉が声をかけようとする。
「よ! ミズキくーん……」
「俺はその合コンに命懸けます! は? 場所? 梅田でいいだろ! じゃあちゃんとセッティング頼むぜ。よしよし、ナースと合コンかー。ムフフ、燃えてきたー! ん、ああ? 今? 小倉だよ。なんでこんな遠いところにきちゃったのかなー。まあ、今は地方開催だからどこも遠いんだけどな。出張、出張ですよ。知ってっか? 泉と優なんて、今日札幌らしいぜ。全くよく働きますねえ。あ……やべ、んじゃ、もうすぐ調整ルーム入んねーとまた怒られるから明日な。あい、あい、あいよー」
電話を切り、満足気のミズキと目が合う二人。
「お、おす」
ミズキは額に流れる雫を拭きながら言った。
「……やはりコイツは最高のジョッキーだね」
優はそう言い放ち、ミズキを横切り調整ルームに向かう。泉は長い溜息をつくと、ミズキの目を見て言った。
「はあ……。残念だよ、ミズキ君。じゃあ、ご、う、こ、ん! 頑張ってね」
皮肉じみた満面の笑顔を、ミズキにあてつけ優の後を追う。
「は、は?」
小雨の夜、残されたミズキとタクシー。その様子をずっと見ていた運転手がおもむろにつぶやき、車を発進させた。
「お後がよろしいようで」