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第三話 「成瀬優」

 


 ミズキと龍之介に栗東トレセンで会った週末の土曜、泉は札幌競馬場にいた。この前、栗東で調教をつけていた大型の二歳馬が、札幌2歳ステークスに出走する為だ。G3の重賞レース、ここを勝てば、一気に若馬の筆頭として注目される。


 この日、泉は1レース目から3鞍レースに乗っており、既に本日一勝を挙げていた。調子はいい。そう意気込んで、泉は十四頭立てのメインレースへ向かった。

 パドックから地下馬道を二歳馬に跨り、歩いていた時、後ろから声をかけられた。


「泉、今日は調子良さそうじゃないか。モニターで見ていたよ」

 一番人気の馬に跨った、成瀬優なるせ ゆうが、余裕の面持ちで泉を見ている。

「まあね。このままこのレースも頂いちゃおうかしら。優ちゃんの馬を負かしてね」

「それはどうかな。この馬は一番人気、泉の馬は?」

「二番人気よ」

「じゃあ結果は見えてる」

「なんでよ。やってみなくちゃわからないでしょ?」

「いや見えているんだ。この馬にはそれくらいの期待がかかっている。関係者からも、競馬ファンからも、僕からもね。だから、悪いけど泉の馬には負けられないな」

 優は笑顔でそう言った。


「なーるほど」

 足を止め泉は首をすくめた。優は「それじゃレースで」と言い残し、泉の馬を抜き去り本馬場へと歩を進めようとした。


「あっそうだ。ミズキに会ったよ、この前」

 泉のその言葉に、優は一瞬反応し立ち止まると、振り返り無表情でこう言った。


「あいつの名前を聞くと、ますます勝ちたくなった」


 レースが始まり、いいスタートを切った泉の馬が先頭に立ち、第3コーナー入口まで、落ち着いたペースで泉がレースを運んだ。その間、一番人気の優の馬は最後方でじっと動かなかった。


 レースが動いたのは第3コーナーを過ぎたところだった。

 そろそろ後続馬が動いてくると察知した泉が、後ろを振り返ろうとした瞬間、物凄い足音が聞こえた。後ろを見ると、最後方にいたはずの優の馬がそこにいた。周りの馬を一気に抜き去り、泉の馬をも捉えようとする。


 慌てて泉が右ムチを入れ、ゴーサインを出した時には既に勝負はついていた。どんなに追っても、どんなに追っても、先頭との差は開く一方だった。 泉の馬は他の馬には抜かれていない。優の馬の影だけが遠くなっていく。


「これが圧勝だ! 噂の怪物ファンデリア! フランス帰りの天才、成瀬優が左手を挙げてゴールイン!」


 アナウンスの絶叫が、札幌競馬場に鳴り響いていた。


 レース後、検量室で泉は優に「あーあ、完敗です。おめでとう優ちゃん」と一言声をかけた。

 優はタオルで汗を拭きながら笑顔で「サンキュー。そうだ泉、あとで話そう」と泉に言い残し、検量室の外で待つアナウンサーと複数のカメラの前に向かっていく。 

 

 泉は少し不思議そうな顔をした後「……うん」と返事をした。


「勝利ジョッキーインタビューです。見事、札幌2歳ステークスを制しました、成瀬優騎手にお越しいただきました。おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「圧勝でしたね。デビュー二戦目でこの強さ、噂通りの豪脚でした。」

「ええ。今日はどうしても勝ちたかったので良かったです。次も楽しみですね」

「……と言いますと、それほど成瀬さん自身も、この馬への期待値はかなり高いということですか?」

「ええ、勿論この馬で来年クラシックを狙っていますので、期待は大きいですね」

「なるほど。最後は同期の、冬斗ジョッキーを交わしてのゴールでした。同期スター二人のワンツーフィニッシュに、ファンも喜んでいると思います」

「喜んでいただけたなら光栄です。まあ、あと一人、だらしないのがいるんですけどねえ。ま、これから僕達二人が、新しい競馬の時代を作っていけるように頑張ります」

「皆、期待しています。おめでとうございます! 成瀬ジョッキーでした!」


 テレビカメラの前を去り、表彰式に向かう際も、優は競馬関係者に次々と握手を求められていた。その堂々たる姿は、デビュー当時、色物として扱われた二世の姿ではなかった。


 成瀬優、彼が騎手を志したきっかけをメディアに対してよく話していたのは、デビュー当時の頃だ。テレビ番組、ラジオ、雑誌と、彼は様々な場面でメディアに対応した。もはやそれは義務とも言えた。


 彼の父親は不運の天才と呼ばれたジョッキーだった。成瀬健なるせたける。甘いマスクで人気を博し、数々の最短記録を塗り替えた彼は、二十七歳という若さで現役を退いた。落馬事故によるものであった。彼の師匠の娘である、まだ若い妻と一人息子を残して彼はこの世を去った。


 それから十五年後、優が騎手としてデビューした時、マスコミはこぞって彼をこう評した。


「不運の天才の息子、ウリ二つってね」優が皮肉そうに笑いながら言った。

「いやいや、男前で良かった、良かった」泉が笑顔で言い返す。


 泉と優が検量室の後、再び出会ったのは九州へ向かう飛行機の中だった。


「そう呼ばれていた日が、少し懐かしいよ」

「今じゃ天才、成瀬優ですからね」

「僕をあんまり知らない人は皆、そう呼ぶよ」

「人一倍、努力してたもんね。優ちゃんは」

「ああ。何に対しても全力だった。そしてその全力がようやく実を結んだのさ」

 そう言いながら、優は横目で泉を見た。少し照れくさそうに泉が目を逸らす。

「僕は泉が好きだ。あの頃からずっとその気持ちは変わってない。泉がこの気持ちに答えてくれた時は、本当に嬉しかった。5年もかかっちゃったけどね」


 いつの間にか、二人の手は触れ合っていた。


「それにしても、今日中に小倉入りとは……。慣れたとはいえ、ハードな職業ですよねー、ジョッキーって」泉が咄嗟に話題を変えた。

 ですね、と優も笑う。「ところで冬斗ジョッキーの明日の騎乗予定は?」

「4鞍。明日のメインレースでは負けないよ、優ちゃん。勿論、乗っているんでしょ?」

「ああ、明日も有力な二歳馬に乗る予定だ。ほら、大川グループの馬だよ。これからの付き合い為にも負けられないな。大事な取引先だからね」

「そう……」


 泉はそう言って重なっていた手を離した。そこへサービスカートを引く客室乗務員が二人の席そばの通路に通りかかる。優はその手を挙げ、客室乗務員を呼んだ。


「コーヒーをもらえるかな。ホットで。泉は何飲む?」

 泉は一つ影を落としたような顔を、すぐに改めると「じゃあアイスティーお願いします」と彼女に言った。


 かしこまりました、と客室乗務員は笑顔で言うとカートを次へと走らせた。


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