村へ
雪が小降りになるのを見計らって、トムの山小屋を出る。
寒さの中でも仕事をする、一頭立ての軽装荷馬車が山小屋の傍に停めてある。
屋根も何も無い荷馬車に降り積もった雪を軽く払い、トムの厩から、自分の飼っている農耕馬を引いてきて、荷馬車につないだ。
「シェリー、寒いだろうけど頑張ってくれるよな」
淡い黄褐色の体に黒い尾とたてがみを持つ、シェリーと呼ばれた雌馬は、ねぎらう様に首を叩かれて嬉しそうに首を振った。
「ダニー、気をつけて」
玄関まで出てきてくれたトムが、微笑みながら言う。
「雪には、生まれた時から慣れ親しんでるから大丈夫。また来るよー」
「遭難しない程度にね」
「了解」
ダニーが一声を上げて荷馬車を動かすと、トムは手にした杖で魔方陣を描く。
杖の先に嵌められた鉱石が光を帯び、陣を描く軌跡が淡く発光する。
「じゃあ、また」
トムが微笑んだ瞬間に山小屋の輪郭が滲み、トムも山小屋も、跡形も無く空気に溶けて消えた。
「…相変わらず凄いな、魔法ってのは」
ダニーは、今はもう見慣れた景色の変化を見届け、荷馬車を走らせる。
トムが自分の住む山小屋を、魔法で巧みに隠している理由は良く知らない。
以前に聞いた時には、「俺はもう隠居組だからねえ」と笑っていた。
更に、ダニーが遊びに来るのは気配でわかるから、その時だけ陣を解いて待っているのだというから驚きだった。
その他にも、ダニーの帰りには、道行きを助ける術を荷馬車と馬のシェリーにかけてくれている。
シェリーの鼻面に優しく手をかざし、『この旅路よ、安らかなれ』とトムが囁くと、目には見えないが、暖かい光が満ちるような感触を覚えるのだ。
その時のトムは、子守唄を歌う母親のように優しい顔をしていて、毎回それを見るのが好きだったし、シェリーが少し羨ましく思えた。
そしてその術をかけてもらった帰り道は、暴風雨の中でも、吹雪の中でも、必ずすんなりと帰れるのだ。
自分がそんな風に、自由自在に魔法をかけられるとしたら、どんな気持ちなのだろう。
きっと楽しいに違いないし、トムの魔術を羨ましく思ったりすることもしばしばだったが、トムが時折見せる、老成したような表情を見る限り、きっと楽しいことばかりではないのだろう。
「さあ、村まで頑張って帰るぞー、急がないと日が暮れちまう」
首に巻いた毛織のマフラーで、寒さでひび割れそうな口元を隠し、手綱を握りなおす。
トムの山小屋に遊びに行っているのは、村人には秘密なのだ。
食事の足しになるような、鹿や鳩を狩りに行くという名目で出てきているのだから。
まあ、この寒い中では獲物も見つからないと、言い訳も簡単だから問題は無い。
「でも今日は、トムが魚を分けてくれたもん。な、シェリー?」
黙々と荷馬車を引く、働き者の背中に声をかける。
魔法使いが釣りをしたり、狩りをするというのはなんだか違和感を感じるが、魔法使いも人間なのだから、食べなければ生きていけないのは尤もだ。
トムは毎晩、近くの川に網を仕掛けて、自分の食事の分だけ魚を獲っているという。
朝になって網を見に行ったところ、魚が沢山かかっていて、食べきれないから逃がそうと思っていた矢先、ダニーが来る気配を感じて、お裾分けで獲っておいたのだとトムは言っていた。
『俺から、じゃなくて、きっと山と川の精霊からのお裾分けだよ。いつもはこんなに網にかからないんだ』
そう言って、抱えるほどの川魚をお土産に持たせてくれた。
1人で食べきれる量ではないが、近くに住んでいるおばさんに手伝ってもらって、塩漬けにして保存すれば当分やっていける。
寂れた山中の村に住む物にとっては、こういった食べ物が何よりも貴重なのだ。