雪の小屋
「ニーナ」
「はずれ」
「ジョー?」
「違うよ」
「じゃあ、ステラ」
「…さっきから女性名ばっかりだね」
彼の紡ぐ能天気な答えに、金髪の魔法使いは微笑んだ。
「だってさあ、もう男性名って全部出た感じじゃねえ?」
「そうかな」
絶対そうだって、と癖毛の青年が出された白磁のカップをすする。
何種類もの薬草を絶妙な具合に混ぜ合わせた、魔法使いの作った薬湯は、じんわりと体を温めてくれる。
外は酷い雪だ。
もう雪は何日も降っていて、魔法使いの住む小さなこの山小屋が、雪に埋もれてしまわないのが不思議だった。
彼にそのことを聞いたら、雪で埋もれてしまわないよう、少し仕掛けをしてあるのだと言う。
多分、山小屋の周囲だけ降雪量が少なくなるような魔法をかけているのだろう。
そんな事を思いながら金色の髪の魔法使いを盗み見ると、彼は窓の外の白銀の世界に視線を向け、うっすらと微笑んでいた。
朽葉色の厚手のローブを身にまとい、指には銀の光を鈍く返す環。
繊細な彫りに、血のように赤い玉が嵌められた魔法使いの指輪だ。
彼の手元には、胸の高さまである、長い杖が必ず置いてある。
黒檀を削りだし、魔術的な細工を施し、杖の先端には水晶の原石が嵌められた、魔法使いの命にも等しい、大切な杖だ。
自分の住む村でも、山を降りていった先の街でも、魔法使いの存在は珍しい。
その存在が自分の目の前にいることを、少しならずとも感謝したくなる。
ましてやその魔法使いが、老人ではなく、同じ年頃だったとしたら。
雪景色の光の反射で更に白く見えるその頬と、金の髪が綺麗で、魔法使いの衣裳も伴って、何故か精霊めいたものを感じる。
彼がとても善き者であり、荘厳であるという確信を持てるのは彼の扱う魔術ゆえか、瞳に湛えた叡智ゆえか。
ふと、見とれた視線に気づかれて、魔法使いと目が合った。
ずっと彼を眺めていた事実に気恥ずかしさを覚え、癖毛の青年は慌てて声を出す。
「なあトム?いい加減教えてよ、ほんとの名前」
青年の言葉に、魔法使いは笑う。
「教えないよ。当ててごらん」
「だーかーらー、男性名は全部出した感じだってば」
「そうかな?」
会話の堂々巡りに、癖毛の青年は苦笑する。
初めて会った時から随分経つというのに、未だにお互いの名前を知らないことが、可笑しかった。
初めて会った時に魔法使いに「適当に呼べばいい」と言われ、彼はその時に適当に思いついて、短く「トム」と呼ぶことにした。
その後、魔法使いに逆に名前を聞かれ、自分だけ名を名乗るのも癪だったから「好きに呼んで」と返した。
そうしたら魔法使いは、適当に思いついたのだろう、「ダニー」と呼んでくるようになったのだ。
ふと気になって、魔法使いになぜ"ダニー"と呼んでくるのかと問うたら、
『ダニー・ボーイっていう唄、知ってるでしょ』
とだけ、言われた。
それで、自分の好きな歌からとってつけたのかよ、と憮然とした覚えがある。
「トム、」
「なあに」
「ほんとの名前、教えてよ」
「駄目だよ、前にも言ったじゃない」
「そりゃそうだけどさぁー」
もう何回も繰り返された会話だ。
名前を聞き、断られる。
名前を当てようと羅列して、あしらわれる。
こちらが逆に本名を教えようとしても、トムは決して聞こうとしなかった。
『ダニーとトムで呼び合いの名前があるのなら、本名が無くても不自由はしない』
の、一点張りで。
どうも変だと思って、ダニーは自分でも調べてみたのだ。
魔法使いは、名前を隠す習性でもあるのだろうかと。
山の麓の街に行く用事があった時に、図書館に赴き、一般にも公開されている魔法書をめくった。
言葉と音、自然の力を操る魔術師達の書は、その書物自体に魔力を宿している。
魔術と魔力に耐性がない人間が手にすると、体力や命や才能、体の一部、何かしらを書物に奪われてしまうという。
それゆえに、教育を受け、魔力への耐性を上げ、その中でも才能のある者、一握りだけが神秘の書物を手にし、その中の叡智を探ることが出来る。
逆に言えば、それがない者には、魔術の真髄を宿した書物は開かれないのだ。
それでも、簡略化された物。
"魔術とは"と概略説明を書き連ねているようなものや、おまじない程度の入門書は、魔術書、魔法書の中でも最低のランクに位置する。
そういった書は一般人が手にし、開いてもあまり支障は出ない。
読んでいると頭痛がする程度だ。
それで、入門書程度で調べられるか不安に思いつつも、一般公開されている、とある魔法書の一冊を読んだのだが、喜ぶべき事にダニーが知りたい事はきちんと書かれていた。
最低ランクの魔法書を開いているだけでも鈍痛がするこめかみを押さえ、自分がいわゆる"普通の人間"で、魔法とは縁のない人間であることを自覚する。
それでも好奇心のまま、『魔法使いと名前の連携』と書かれた項目をたどり、答えを探したのだ。