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間合いの天才

 森での一件から数日。


 レオンが単独でイービルウルフの群れを殲滅したという報告は、城内を静かに揺らしていた。


 騎士たちはざわめき、隊長格の者ですら眉をひそめる。


「偶然……では済まん数だ」


 誰かがそう呟いた。


 だが、最も沈黙していたのは――辺境伯ヴォルフガング・フォン・グラーツであった。


 彼は報告書を机に置き、静かに目を閉じる。


(……あり得ん)


 イービルウルフは単体でも脅威だ。

 群れればなおさら。


 十一。

 しかも同時遭遇。


(自分が十一頭と同時に対峙したとして……無傷で終えられるか?)


 答えは、否。


 勝てはする。


 だが――無傷では済まぬ。


 ましてや、五歳の子供が。


「……レオン」


 低く、名を呼ぶ。


「明朝、訓練場へ来い」


 それだけを告げた。



 翌朝。


 訓練場には、静かな緊張が漂っていた。


 騎士たちが距離を取り、円を描く。


 中央には、木剣を握る少年と、鋼の剣を携えた父。


「模擬戦だ」


 ヴォルフガングの声は低い。


「本気で来い」


 レオンは喉を鳴らす。


「……はい」


 構える。


 だが。


 父は動かない。


 打ってこない。


 ただ、立っている。


 それだけで――圧がある。


(……読めない)


 未来予測が浮かばない。


 成功率表示が出ない。


 視界に演算線が現れない。


 初めての感覚だった。


「……リリィ」


『観測中』


 短い応答。


 だが解析が追いついていない。


(通じてない……?)


 胸の奥が、わずかに冷える。


 それでも。


「……こっちから行くぞ!」


 一気に踏み込む。


 完璧な初速。


 間合いを詰める。


(貰った!!)


 だが――


 次の瞬間。


 父の姿は、そこにいなかった。


 間合いの外。


 自然な一歩。


 まるで最初から、そこが正解だったかのように。


 剣が空を切る。


「なっ……!」


『相手は間合い制御に特化』


『踏み込み予測を超過』


 ヴォルフガングはわずかに頷いた。


「浅い」


 次の瞬間。


 木剣が肩を打つ。


 衝撃。


 呼吸が止まる。


 レオンは転がる。


 だが――立つ。


「もう一回!」


 踏み込む。


 今度は横。


 フェイント。


 低く入る。


 だが。


 父は常に、半歩先にいる。


 間合いを支配している。


 技ではない。


 経験。


 数えきれぬ死地を越えた者だけが持つ、呼吸。


「リリィ!」


『補助開始』


 演算線が走る。


 成功率:18%。


 低い。


 だが――ゼロではない。


 踏み込む。


 父の剣が落ちる。


 その瞬間。


 レオンの剣先が、わずかに角度を変えた。


 ――キィン。


 尖った剣先を、尖った剣先で止める。


 ほんの一瞬。


 力の流れが静止する。


 訓練場の空気が凍る。


 ヴォルフガングの全身に、ぞわりとした感覚が走った。


(……なんだ、今のは)


 五歳の動きではない。


 理に適いすぎている。


 だが――


 次の瞬間。


 父の剣が横薙ぎに走る。


 レオンの胴に衝撃。


 息が抜ける。


 地面に倒れ込む。


 木剣が転がる。


 勝負あり。


 静寂。


 レオンは空を見上げる。


 負けた。


 完膚なきまでに。


 だが。


 ほんの一瞬、届いた。


 その事実だけが、胸に残る。


『近接応答成功率:12.4%

 致命回避成立』


 淡々とした報告。


 レオンは苦笑する。


「……まだ、遠いな」


 ヴォルフガングは息を整えながら、剣を下ろした。


 わずかに、視線を落とす。


 そして、何も言わずに訓練場を後にする。



 夜。


 私室。


「……あいつは何者だ」


 ヴォルフガングは汗をかいていた。


 戦場でも流さぬ汗。


 ブリュンヒルデの肩を掴む。


「人間か……?」


 半分、本気だった。


 ブリュンヒルデは静かにその手を外す。


「あなたの息子よ」


「だが……」


「あの子は、あなたの血を引いている」


 それだけを言う。


 凛とした微笑。


 ヴォルフガングは言葉を失う。


 息を吐き、額を押さえる。


「……化け物め」


 その声には、かすかな誇りが混じっていた。



 その夜。


 レオンは自室で天井を見上げる。


「リリィ」


『はい』


「父さん、強すぎる」


『経験値差が顕著』


「……でも」


 小さく息を吐く。


「届きかけたよな?」


 わずかな沈黙。


『剣先接触は高度技術』


 ほんの一瞬。


 応答が遅れる。


 だが、それはすぐに消える。


 レオンは気づかない。


 それでも。


 胸の奥に、確かな感覚が残っていた。


(……次は、もっとやれる)


 その夜。


 レオンは初めて知った。


 ――自分は、まだ強くない。


 だが同時に。


 ――確かに、前に進んでいるということを。



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