間合いの天才
森での一件から数日。
レオンが単独でイービルウルフの群れを殲滅したという報告は、城内を静かに揺らしていた。
騎士たちはざわめき、隊長格の者ですら眉をひそめる。
「偶然……では済まん数だ」
誰かがそう呟いた。
だが、最も沈黙していたのは――辺境伯ヴォルフガング・フォン・グラーツであった。
彼は報告書を机に置き、静かに目を閉じる。
(……あり得ん)
イービルウルフは単体でも脅威だ。
群れればなおさら。
十一。
しかも同時遭遇。
(自分が十一頭と同時に対峙したとして……無傷で終えられるか?)
答えは、否。
勝てはする。
だが――無傷では済まぬ。
ましてや、五歳の子供が。
「……レオン」
低く、名を呼ぶ。
「明朝、訓練場へ来い」
それだけを告げた。
*
翌朝。
訓練場には、静かな緊張が漂っていた。
騎士たちが距離を取り、円を描く。
中央には、木剣を握る少年と、鋼の剣を携えた父。
「模擬戦だ」
ヴォルフガングの声は低い。
「本気で来い」
レオンは喉を鳴らす。
「……はい」
構える。
だが。
父は動かない。
打ってこない。
ただ、立っている。
それだけで――圧がある。
(……読めない)
未来予測が浮かばない。
成功率表示が出ない。
視界に演算線が現れない。
初めての感覚だった。
「……リリィ」
『観測中』
短い応答。
だが解析が追いついていない。
(通じてない……?)
胸の奥が、わずかに冷える。
それでも。
「……こっちから行くぞ!」
一気に踏み込む。
完璧な初速。
間合いを詰める。
(貰った!!)
だが――
次の瞬間。
父の姿は、そこにいなかった。
間合いの外。
自然な一歩。
まるで最初から、そこが正解だったかのように。
剣が空を切る。
「なっ……!」
『相手は間合い制御に特化』
『踏み込み予測を超過』
ヴォルフガングはわずかに頷いた。
「浅い」
次の瞬間。
木剣が肩を打つ。
衝撃。
呼吸が止まる。
レオンは転がる。
だが――立つ。
「もう一回!」
踏み込む。
今度は横。
フェイント。
低く入る。
だが。
父は常に、半歩先にいる。
間合いを支配している。
技ではない。
経験。
数えきれぬ死地を越えた者だけが持つ、呼吸。
「リリィ!」
『補助開始』
演算線が走る。
成功率:18%。
低い。
だが――ゼロではない。
踏み込む。
父の剣が落ちる。
その瞬間。
レオンの剣先が、わずかに角度を変えた。
――キィン。
尖った剣先を、尖った剣先で止める。
ほんの一瞬。
力の流れが静止する。
訓練場の空気が凍る。
ヴォルフガングの全身に、ぞわりとした感覚が走った。
(……なんだ、今のは)
五歳の動きではない。
理に適いすぎている。
だが――
次の瞬間。
父の剣が横薙ぎに走る。
レオンの胴に衝撃。
息が抜ける。
地面に倒れ込む。
木剣が転がる。
勝負あり。
静寂。
レオンは空を見上げる。
負けた。
完膚なきまでに。
だが。
ほんの一瞬、届いた。
その事実だけが、胸に残る。
『近接応答成功率:12.4%
致命回避成立』
淡々とした報告。
レオンは苦笑する。
「……まだ、遠いな」
ヴォルフガングは息を整えながら、剣を下ろした。
わずかに、視線を落とす。
そして、何も言わずに訓練場を後にする。
*
夜。
私室。
「……あいつは何者だ」
ヴォルフガングは汗をかいていた。
戦場でも流さぬ汗。
ブリュンヒルデの肩を掴む。
「人間か……?」
半分、本気だった。
ブリュンヒルデは静かにその手を外す。
「あなたの息子よ」
「だが……」
「あの子は、あなたの血を引いている」
それだけを言う。
凛とした微笑。
ヴォルフガングは言葉を失う。
息を吐き、額を押さえる。
「……化け物め」
その声には、かすかな誇りが混じっていた。
*
その夜。
レオンは自室で天井を見上げる。
「リリィ」
『はい』
「父さん、強すぎる」
『経験値差が顕著』
「……でも」
小さく息を吐く。
「届きかけたよな?」
わずかな沈黙。
『剣先接触は高度技術』
ほんの一瞬。
応答が遅れる。
だが、それはすぐに消える。
レオンは気づかない。
それでも。
胸の奥に、確かな感覚が残っていた。
(……次は、もっとやれる)
その夜。
レオンは初めて知った。
――自分は、まだ強くない。
だが同時に。
――確かに、前に進んでいるということを。




