その名を、呼ぶ
森は、静かだった。
風が枝を揺らす音だけが、やけに大きく聞こえる。
レオンは、ゆっくりと息を吐いた。
足元には、イービルウルフの骸。
十――いや、十一。
剣先から血が滴る。
それでも、身体は妙に静かだった。
(……何が起きた)
思い出そうとする。
牙。
爪。
死の気配。
そして――
『右斜め前方、二歩。回転。剣角度三度下げ』
明確な声。
命令。
考えるより先に、身体が動いた。
空間に“線”が見えた。
踏む位置。
振る軌道。
それを、なぞっただけだ。
結果が、これ。
「……お前か」
小さく呟く。
『戦闘行動補助完了』
淡々とした声。
それだけで、十分だった。
「……ふざけるな」
拳を握る。
「俺が、やったんだ」
『是。実行主体はレオンハルトです』
「なら、なんで……」
言葉が詰まる。
分かっている。
分かってしまった。
自分の力だと思っていた。
全部。
投げたナイフも。
振るった剣も。
――違う。
「……俺は、天才じゃないのかよ」
ぽつりと零れる。
沈黙。
そして。
『定義によります』
「は?」
『補助を用いても最適解を実行できない個体は多数存在します』
『よって、実行能力は高水準と評価します』
「慰めてんのか?」
『慰め機能は未実装です』
ほんのわずかに、間があった。
レオンは気づかない。
「……なんなんだよ、お前」
『思考補助機構』
「名前、ないのか」
返答はない。
風が抜ける。
血の匂いが、薄く漂う。
レオンは剣を鞘に収めた。
そのまま、森の出口へ歩き出す。
「ずっと“お前”って呼ぶのもな……」
ぽつりと呟く。
「……リリィ」
口に出した瞬間。
妙にしっくりきた。
理由は分からない。
だが――違和感がない。
「仮でもいい。とりあえず、それで呼ぶ」
押し付けるでもなく、
確認するでもない。
ただ、そう決めたというだけの声。
わずかな沈黙。
『識別名……リリィ』
ほんのわずかに、間。
『仮登録から固定へ移行』
「難しい言い方すんな」
『変更不可設定へ移行しました』
「……それでいい」
短く答える。
それ以上は、何も言わなかった。
だが――
何かが、確かに変わった。
*
城門に戻った瞬間。
「レオンハルト様!!」
衛兵の声が響く。
血の匂い。
汚れた服。
すぐに、事態は伝わった。
*
執務室。
重い空気。
ヴォルフガングが立っている。
「……森に入ったのか」
「はい」
「許可は?」
「……ありません」
次の瞬間。
机に拳が叩きつけられた。
「馬鹿者!!」
怒号。
空気が震える。
「死んでいたかもしれんのだぞ!!」
その声は鋭い。
だが。
震えているのは――怒りではない。
恐怖だ。
失うかもしれなかった恐怖。
「……すみません」
「すまないで済む話ではない!」
ブリュンヒルデは、静かに立っている。
怒っている。
だが、その奥にあるのは――
揺れ。
確かめるような視線。
生きているかどうかを、確かめるような。
レオンは、うつむいた。
(……俺は、強くなりたかっただけだ)
『心拍数上昇。精神負荷――』
(今それ言うな)
『……了解』
わずかな間。
沈黙が戻る。
「……勝てました」
ぽつりと、言う。
ヴォルフガングは、深く息を吐いた。
「勝ったかどうかは問題ではない」
ゆっくりと歩み寄る。
大きな手が、レオンの肩を掴む。
「生きて戻ったことが問題なのだ」
重い言葉だった。
剣よりも。
牙よりも。
深く、刺さる。
「……はい」
小さく答える。
その背後で。
『外部個体による高出力音声』
(分類すんな)
『……』
ほんの一瞬。
返答が遅れた。
それが何を意味するのか。
レオンは、まだ知らない。
この存在が、ただの“機能”ではなくなり始めていることを。
そして。
今日、名前を与えたことが――
未来を、ほんのわずかに動かしたことを。
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