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本篇―錯覚の才能

  それは、レオンがまだ――

 自分の力を疑っていなかった頃の話だ。



 中庭の空は高く、澄んでいた。


 風は穏やかで、空気は乾いている。


 投げるには、悪くない日だ。


「今日もいい天気ね」


 ルシエラが空を見上げながら言う。


「うん。投げるにはちょうどいい」


「投げる?」


 レオンは少しだけ笑った。


「秘密の訓練。投擲だ」


「とうてき?」


「ナイフを投げて、的に当てるんだ」


 ルシエラの目が輝く。


「見たい!」


「いいけど……誰にも言うなよ?」


「言わない! 約束!」


 差し出された小指に、自分の指を絡める。


 少しだけ、くすぐったい。



 中庭の奥。


 人目の少ない場所に、木の的が立てられている。


 レオンはナイフを手に取った。


 軽い。


 手に馴染む。


 何度も繰り返してきた感覚。


「いくぞ」


 深呼吸。


 腕を振る。


 ――カンッ。


 中心。


「すごい!」


「だろ?」


 自然と胸を張る。


 もう一本。


 今度は動きながら。


 振り向きざまに投げる。


 ――カンッ。


 また中心。


「え、今、見てなかったよね!?」


「感覚だよ」


 本当は、説明できない。


 でも、分かる。


 どう投げればいいか。


 どこに当たるか。


 考えるより先に、身体が動く。


(……まあ、才能ってやつか)


 そんな言葉が、自然と浮かんだ。


 試すように、視線を外す。


 的を見ない。


 そのまま――投げる。


 ――カンッ。


 中心。


 一瞬、空気が止まる。


「……え?」


 ルシエラが目を丸くする。


「今の……ほんとに見てなかったよね?」


「見てない」


 自分でも、少し驚いている。


 でも同時に。


 当たると分かっていた気もする。


(なんやろな……これ)


 不思議ではある。


 けれど、不安はない。


 むしろ――


 しっくりくる。


 当たり前みたいに。



 それからも、何度も投げた。


 距離を変えても。


 角度を変えても。


 見なくても。


 全部、当たる。


「……やっぱり天才かも」


 ぽつりと呟く。


 冗談のつもりだったが、

 否定する理由も見つからなかった。


 ルシエラが笑う。


「うん、天才だと思う」


 その言葉に、胸が少しだけ熱くなる。


(やっぱりそうなんかな)


 そう思った瞬間。


 ほんのわずかに、違和感がよぎった。


 ――どうやって当てている?


 考えようとする。


 その途端。


 思考が、ほんの一瞬だけ“滑った”。


 何かを掴みかけて。


 すぐに消える。


「……まあ、ええか」


 深く考えるのをやめる。


 当たっている。


 それで十分だ。



 夕暮れ。


 空が橙色に染まる。


 ルシエラは馬車に乗る前、振り返った。


「無理しないでね」


「してない」


「ほんと?」


「ほんと」


 少しだけ疑うような顔。


 でも最後は、笑って手を振る。



 一人になった中庭。


 レオンは、もう一度ナイフを手に取った。


(……もう一回だけ)


 的を見ない。


 考えない。


 ただ、投げる。


 ――カンッ。


 中心。


 静かな音が、夕暮れに響く。


 その瞬間。


 ほんの一瞬だけ。


 頭の奥に、何かが浮かんだ。


 線。


 角度。


 数字のようなもの。


 だが――


 すぐに消えた。


「……気のせいか」


 首を振る。


 違和感は、それ以上広がらなかった。


 風が吹く。


 木の葉が揺れる。


 何も変わらない、いつもの夕方。


 ただ一つ。


 理由の分からない“確信”だけが、そこにあった。


 ――外れる気がしない。


 それが何によるものなのか。


 この時のレオンは、まだ知らない。


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