本篇―錯覚の才能
それは、レオンがまだ――
自分の力を疑っていなかった頃の話だ。
*
中庭の空は高く、澄んでいた。
風は穏やかで、空気は乾いている。
投げるには、悪くない日だ。
「今日もいい天気ね」
ルシエラが空を見上げながら言う。
「うん。投げるにはちょうどいい」
「投げる?」
レオンは少しだけ笑った。
「秘密の訓練。投擲だ」
「とうてき?」
「ナイフを投げて、的に当てるんだ」
ルシエラの目が輝く。
「見たい!」
「いいけど……誰にも言うなよ?」
「言わない! 約束!」
差し出された小指に、自分の指を絡める。
少しだけ、くすぐったい。
*
中庭の奥。
人目の少ない場所に、木の的が立てられている。
レオンはナイフを手に取った。
軽い。
手に馴染む。
何度も繰り返してきた感覚。
「いくぞ」
深呼吸。
腕を振る。
――カンッ。
中心。
「すごい!」
「だろ?」
自然と胸を張る。
もう一本。
今度は動きながら。
振り向きざまに投げる。
――カンッ。
また中心。
「え、今、見てなかったよね!?」
「感覚だよ」
本当は、説明できない。
でも、分かる。
どう投げればいいか。
どこに当たるか。
考えるより先に、身体が動く。
(……まあ、才能ってやつか)
そんな言葉が、自然と浮かんだ。
試すように、視線を外す。
的を見ない。
そのまま――投げる。
――カンッ。
中心。
一瞬、空気が止まる。
「……え?」
ルシエラが目を丸くする。
「今の……ほんとに見てなかったよね?」
「見てない」
自分でも、少し驚いている。
でも同時に。
当たると分かっていた気もする。
(なんやろな……これ)
不思議ではある。
けれど、不安はない。
むしろ――
しっくりくる。
当たり前みたいに。
*
それからも、何度も投げた。
距離を変えても。
角度を変えても。
見なくても。
全部、当たる。
「……やっぱり天才かも」
ぽつりと呟く。
冗談のつもりだったが、
否定する理由も見つからなかった。
ルシエラが笑う。
「うん、天才だと思う」
その言葉に、胸が少しだけ熱くなる。
(やっぱりそうなんかな)
そう思った瞬間。
ほんのわずかに、違和感がよぎった。
――どうやって当てている?
考えようとする。
その途端。
思考が、ほんの一瞬だけ“滑った”。
何かを掴みかけて。
すぐに消える。
「……まあ、ええか」
深く考えるのをやめる。
当たっている。
それで十分だ。
*
夕暮れ。
空が橙色に染まる。
ルシエラは馬車に乗る前、振り返った。
「無理しないでね」
「してない」
「ほんと?」
「ほんと」
少しだけ疑うような顔。
でも最後は、笑って手を振る。
*
一人になった中庭。
レオンは、もう一度ナイフを手に取った。
(……もう一回だけ)
的を見ない。
考えない。
ただ、投げる。
――カンッ。
中心。
静かな音が、夕暮れに響く。
その瞬間。
ほんの一瞬だけ。
頭の奥に、何かが浮かんだ。
線。
角度。
数字のようなもの。
だが――
すぐに消えた。
「……気のせいか」
首を振る。
違和感は、それ以上広がらなかった。
風が吹く。
木の葉が揺れる。
何も変わらない、いつもの夕方。
ただ一つ。
理由の分からない“確信”だけが、そこにあった。
――外れる気がしない。
それが何によるものなのか。
この時のレオンは、まだ知らない。




