プロローグ3 ーあの日の、わたしの世界 (ルシエラ視点)
朝の光は、いつも少しだけまぶしい。
大きな窓から差し込む陽射しは、白い床を静かに照らしていた。
公爵家の部屋は広く、整っていて、音が少ない。
……静かすぎる。
わたしは椅子に腰かけたまま、窓の外を眺めていた。
庭では使用人たちが整然と動き、遠くでは騎士の訓練の音がかすかに響いている。
規律。秩序。格式。
この家は、それでできている。
魔法も同じだ。
ただ使うものではない。
管理し、制御し、逸脱を許さない。
それが、アルカディア=ルミナスの在り方。
「今日も、会えないのね」
ぽつりと呟いて、はっとする。
誰もいないのに、声に出してしまった。
レオンハルトは、辺境伯家の子。
わたしは、公爵家の娘。
大人たちは「遠くはない」と言う。
でも――
会いたいと思った瞬間に会えない距離は、十分に遠い。
「……つまらない」
頬を膨らませる。
分かっている。子供っぽい。
でも、仕方がない。
あの子といる時だけ、世界が少し違って見えるのだから。
*
午前中は魔法の講義。
魔力循環の理論、属性の重ね合わせ、術式構造。
難しくはない。
理解できる。
でも――
(レオンなら、どう言うかな)
ふと、思う。
彼はきっと、こう言う。
「なんでそんな遠回りするんだろう?」
理屈より先に疑問が来る。
正解より先に、“違和感”が来る。
あの目。
まるで何かを見透かしているようで――
でも、どこか無邪気で。
そして。
ほんの少しだけ、“ズレている”。
正しいはずの答えを、選ばない。
まるで最初から、別の答えを知っているみたいに。
「ルシエラ様?」
教師の声で我に返る。
「はい」
姿勢を正す。
公爵家の娘として、恥ずかしくない振る舞いを。
それが、わたしの役目だ。
*
昼食の席。
父は王都の話をしていた。
王家との書簡。
北方の情勢。
辺境伯家の動き。
「グラーツ家は安定している」
その一言で、胸が少しだけ軽くなる。
(よかった)
理由は分からない。
でも――安心した。
あの子がいる場所が、揺らいでいないことに。
*
午後。
庭で一人、魔法の練習をする。
火を灯す。
小さく、制御して。
揺れる光は、不安定で。
そして――消えた。
「……ふぅ」
成功でも失敗でもない。
中途半端。
(レオンなら、どうするかな)
きっと、違うことをする。
火じゃない。
もっと別の。
もっと――
自由な何かを。
この家では許されないやり方で。
「……変な子」
でも、嫌いじゃない。
*
夕暮れ。
西の空が赤く染まり、長い影が庭を横切る。
静かで。
少しだけ、寂しい時間。
(また、会えるよね)
約束はしていない。
でも、信じている。
あの子はきっと、どこかで笑っている。
そして――
強くなっていく。
理由もなく、そう思った。
その時。
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
理由は分からない。
分からないままで、いいと思っている。
だって今は、まだ子供だから。
*
夜。
ベッドに入っても、眠れない。
窓の外には月。
静かな光。
手を胸に当てる。
鼓動が、少しだけ早い。
(なんでだろう)
彼といると軽くなる。
離れると、少しだけ重くなる。
この感情に、名前はまだない。
でも――
きっと、いつか知る。
その時。
遠い北の空に、灰色の雲がゆっくりと流れていた。
ただの雲のはずなのに。
なぜか――目を離せなかった。
まるで。
何かが、始まろうとしているみたいに。
その意味を、わたしはまだ知らない。
ただ。
あの日の世界は、
とても穏やかで、
少しだけ、甘かった。
――――――――――――――――――――




