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少年の体験

 冒険者ギルドの重厚な扉を背にし、イザヨイは大きく息を吐き出した。

 石畳を馬車が駆ける音、行商人の呼び込み、遠くで響く鐘の音。

 VRヘッドセット越しに聞いていた電子的な環境音とは比較にならないほどの臨場感が、鼓膜を震わせていた。


「ふぅ……。とりあえず第一関門突破ってとこか。まさかギルドの登録だけであんなに注目されるとは思わなかったけど」


 イザヨイは独りごちながら、ポーチに入れたばかりのギルドカードの感触を確かめる。

 冷たい金属の質量は、この世界での身分を保証してくれる唯一の頼みの綱だ。

 視線を上げ、改めて『カルゼオン』の街並みを仰ぎ見る。

 高く聳える時計塔、整然と並ぶ煉瓦造りの家々、そして空を切り裂くように飛翔する飛竜の影。

 どれもこれもが『エターナルクレイドル』のグラフィックデータには存在しなかったものばかりだ。


「設定資料集の再現度が高すぎるだろ……。運営が本気を出したらここまで作り込めるのか? いや、ここはもうゲームじゃないんだもんな」


 イザヨイは歩き出す。

 目的もなしに彷徨うわけではない。

 ゲーマーとしての習性が、未踏のエリアを埋め尽くしたいという欲求を突き動かしているのだ。

 マップ機能が使い物にならない以上、自分の足と目で地理を把握し、脳内マップを構築する必要がある。


「大通りは人が多いな。少し裏道に入ってみるか。ショートカットが見つかるかもしれないし」


 賑やかなメインストリートを外れ、建物の影が落ちる路地裏へと足を踏み入れる。

 表通りの喧騒が遠のき、生活感のある静けさが漂うエリアだ。

 スカートを揺らして歩く感触を楽しむ余裕すらあった。


「お、あっちに抜けられそうな道があるな。……ん?」


 イザヨイが狭いT字路を曲がろうとした、その時だった。

 建物の死角から、小さな影が飛び出してきた。


「わっ!?」

「うおっ!?」


 ドンッ、という鈍い衝撃。

 だが、イザヨイの身体は揺らぐことすらなかった。


 一方で、ぶつかってきた相手はそうはいかなかった。

 小さな身体はゴム鞠のように弾き飛ばされ、尻餅をついて石畳に転がってしまう。


「いってぇ……! なんだよ、硬いな……!」


 地面に座り込んだのは、十歳くらいの少年だった。いかにも活発そうな子供だ。

 イザヨイはとっさに足を止め、心配そうに眉を寄せた。


「ごめんね、大丈夫? 急に飛び出してきたから、避けられなくて」


 自然と口から出たのは、慈愛に満ちた聖女のような声音。

 中身が男だとしても、目の前で子供が転べば手を差し伸べるのが大人というものだ。

 イザヨイは一歩踏み出し、その場にしゃがみ込むようにして前屈みになった。


「怪我はない? どこか打ってないか見せてごらん」


 イザヨイにとっては、ただの親切心からの行動だった。

 だが、その体勢が少年にとってどれほどの衝撃を与えるか、元・喪男ゲーマーのイザヨイには想像もつかなかった。


 重力に従い、豊かな双丘がたわわに揺れる。

 魔法職特有の防御力を犠牲にしたゴシックドレスは、胸元の布面積が極端に少ない。


「……ッ!?」


 前屈みになったことで、コルセットによって押し上げられた深い谷間が、無防備にも少年の目の前に晒される形となった。

 白磁のような肌の質感、甘い香り、そして圧倒的な質量感。

 それらが至近距離で迫ってくるのだ。


「え、あ、う、うわぁ……ッ!?」


 少年は痛みを訴えるどころか、顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた。

 視線が釘付けになる。

 本能が、目の前の光景から目を離すなと命令しているかのように、少年の瞳孔は限界まで開いていた。

 だが、イザヨイはその反応を「痛みのあまり声が出ない」のだと勘違いする。


「そんなに痛い? 待ってて、今ヒールをかけるから……あ、でも街中で魔法はまずいか。ポーションならあるけど」

「ち、ちが……っ! ちがう!」

「違う? じゃあ、立てそう?」


 イザヨイはさらに身を乗り出す。

 すると、まるで誘惑するかのように胸元がさらに強調され、スカートの裾からは眩しい太腿が覗く。

 自分のキャラクターがいかに扇情的であるか、イザヨイ自身が一番理解していない。

「ゲームの中ならよくある装備」という認識が、現実世界での羞恥心を麻痺させているのだ。


「ほら、手を出して。引っ張ってあげるから」


 差し出された手は、白く細く、爪先まで手入れが行き届いている。

 少年はおずおずと、震える手でその指先に触れた。

 柔らかい。

 そして温かい。

 少年の心臓が早鐘を打ち、湯気が出そうなほど顔が熱くなる。


「あ、ありが、とな……おねーちゃん……」

「どういたしまして。男の子なんだから、次はもっと気をつけて走るんだぞ? 怪我したら大変だからな」


 イザヨイはニッコリと微笑み、少年の身体を軽々と引き起こした。

 その際、ふわりと香ったのは柑橘系の爽やかな残り香。

 少年にとって、それは未知の刺激であり、脳裏に焼き付くような体験だった。


 立ち上がった少年は、しばらく呆然としていたが、ハッと我に返ると慌てて服の埃を払った。

 動揺を隠すように、精一杯の強がりを見せる。


「べ、別に転んだわけじゃねーし! ちょっと足が滑っただけだし! おねーちゃんこそ、前見て歩けよな!」

「はいはい、わかったよ。お互い気をつけよう」

「う、うん……じゃあな!」


 少年は顔を真っ赤にしたまま、逃げるように路地の奥へと駆け出して行った。

 数メートル走ったところで一度だけ振り返り、何か言いたげに口を開いたが、結局そのまま姿を消してしまう。


「ふふ、元気な子だな。昔の俺もあんな感じだったっけ」


 イザヨイは少年の背中を見送りながら、微笑ましげに呟いた。

 自分の胸元が大盤振る舞いされていたことなど露知らず、スカートのシワを伸ばして再び歩き出す。


「さて、次は広場の方に行ってみるか。露店とか見て回りたいし、装備の相場も確認しておかないとな」


 コツ、コツ、と軽やかな足音を響かせ、銀髪の美少女は路地を抜けていく。

 その後ろ姿を、建物の陰から少年がいつまでも見つめていることになど、気づくはずもなかった。


「……すっげぇ、でっかかった……」


 誰もいなくなった路地に、少年の正直すぎる感想だけが小さく溶けて消えた。

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