冒険者登録
重厚な樫の扉が軋んだ音を立てて開く。
一歩足を踏み入れた瞬間、そこにあった喧騒が嘘のように掻き消えた。
「……おい、なんだありゃ」
「迷い人か? ここは孤児院じゃねぇぞ」
「馬鹿言え、あの恰好を見ろよ。どこぞの貴族様のお忍びじゃねぇか?」
あちこちのテーブルから、遠慮のない囁き声が漏れ聞こえてくる。
彼らの視線は一点、入口に佇む銀髪の少女へと注がれていた。
無理もない。周囲を見渡せば、傷だらけの革鎧に身を包んだ戦士や、薄汚れたローブを纏った魔術師ばかり。
そんなむさ苦しい空間に、まるで舞踏会から抜け出してきたようなフリル付きのドレスを着た美少女が現れたのだ。
場違いなどという言葉では生温い。
(うわぁ、めっちゃ見られてる……。ゲームじゃテンプレ装備の一つだったけど、リアルで見ると浮きまくりだなこれ)
イザヨイは内心で冷や汗をかきつつ、努めて冷静な表情を保ったまま歩を進めた。
かつてプレイしていた『エターナルクレイドル』の世界では、こんな光景は日常茶飯事だった。
なにせアバターの見た目を極限まで可愛くするのはプレイヤーの嗜み。
街を歩けば絶世の美女が溢れかえり、ギルドの中はアイドル事務所の如き華やかさだったものだ。
だが、ここは現実。
目の前にいるのは、肌の色艶も、装備の汚れ具合も生々しい本物の人間たちだ。
(俺のキャラクリが完璧すぎたせいで注目の的ってわけか。ふふ、悪くない気分だ……と言いたいところだけど、中身がおっさんのままでこの視線を受けるのはキツいものがあるぞ)
顔が熱くなりそうなのを必死に堪え、イザヨイは真っ直ぐにカウンターを目指した。
背中で揺れる銀髪が光を反射し、そのたびに周囲の男たちが溜息を漏らすのが分かる。
自分の作り上げた理想の『イザヨイ』というキャラクターが、この世界でも通用する美貌を持っていることへの優越感と、自分がその『イザヨイ』として値踏みされているという羞恥心。
相反する感情がグルグルと渦を巻き、足取りを少しだけ早くさせた。
「いらっしゃいま……せ?」
受付の向こうにいた女性職員が、目を丸くして動きを止める。
茶色の髪をシニヨンにまとめた、いかにも事務職といった雰囲気の女性だ。
彼女もまた、目の前に現れた非現実的なまでの美少女に言葉を失っているようだった。
「あの、すみません。冒険者の登録をしたいんですけど」
イザヨイは小首を傾げ、できるだけ愛想よく微笑みかけた。
この角度が一番可愛く見えると、スクリーンショット撮影で学んだ知識を総動員する。
効果は覿面だったようで、受付嬢は頬を染めて慌てふためいた。
「は、はいっ!? あ、ええと……登録、ですか? お客様が?」
「はい。なにか問題でも?」
「いえ、問題というか……その、お嬢様。ここは冒険者ギルドですよ? 魔物を討伐したり、危険な依頼を請け負ったりする場所でして……」
受付嬢は言いにくそうに視線を泳がせ、イザヨイの華奢な腕や、布面積の少ないスカートへと目をやる。
どう見ても戦える格好ではないし、戦える体つきでもない。
親切心からくる忠告だろう。
だが、イザヨイは怯まない。
中身には数多の修羅場を潜り抜けてきたゲーマーの魂が宿っているのだ。
「ええ、存じています。こう見えても、腕には自信があるんです。魔法も少し使えますし」
「魔法を……? ですが、見たところ杖もお持ちではないようですが」
「無詠唱の、特殊なやつでして」
嘘は言っていない。
インベントリから杖を取り出すのは一瞬だし、スキルコマンドは脳内操作で発動できるはずだ。
イザヨイの揺るぎない瞳に見つめられ、受付嬢は小さく息を呑んだ。
「ほ、本気なんですね……?」
「はい。本気です。登録、お願いできますか?」
「……わかりました。では、こちらの手続き用紙に必要事項を記入してください」
羊皮紙と羽ペンが差し出される。
イザヨイはそれを受け取り、サラサラとペンを走らせた。
言語が通じるか不安だったが、文字を見ると自然と意味が頭に入ってくる。
(ゲームの知識補正か、転生特典か……どちらにせよ好都合だ)
名前の欄に『イザヨイ』と記入した。
その間も、背後からの視線は突き刺さったままだ。
聴覚を研ぎ澄ませば、ヒソヒソとした会話の内容が嫌でも耳に入ってくる。
「おいおい、マジかよ。あのお嬢ちゃん、冒険者になる気か?」
「家出少女だろ? すぐに泣いて帰るのがオチだ」
「いや、もしかしたら没落貴族の令嬢かもしれんぞ。食い扶持を稼ぐために必死なんだよ」
「へっ、だったら冒険者なんて泥臭い真似しなくても、もっといい稼ぎ口があるだろうに。あの身体と顔なら、夜の街で……」
「馬鹿っ、声がでかいぞ! ……でもまぁ、確かに惜しいな。俺なら金貨一枚でも出すぜ」
イザヨイは眉間がピクリと動くのを必死に抑え込んだ。
(……全部聞こえてるっつの。この世界の男共はデリカシーってものを母親の腹の中に忘れてきたのか?)
ゲーム時代ならチャット欄で即座にレスバトルを仕掛けているところだが、ここは現実。
いきなり騒ぎを起こしては、衛兵に紹介された顔も潰れてしまう。
ここはスルーするのが大人の対応、いや、淑女の対応だ。
書き終えた羊皮紙をカウンターに滑らせる。
「書けました。これでいいですか?」
「は、はい。確認しますね……イザヨイ様、ですね。綺麗な名前……」
受付嬢は羊皮紙に目を落とし、感心したように呟いた。
それから引き出しから銀色の小さなナイフと、水晶が埋め込まれた金属製のプレートを取り出す。
「では、最後に魔力登録を行います。この針で指先を少し傷つけて、プレートに血を一滴垂らしてください。それでご本人様と認識されますので」
「血、ですか……」
ゲームではクリック一つで終わった登録作業も、こちらでは痛みを伴う儀式らしい。
イザヨイは少し躊躇ったが、覚悟を決めてナイフを手に取った。
白く細い人差し指に刃先を当てる。
チクリとした痛みが走り、ぷくりと赤い珠が浮かび上がった。
(痛っ……やっぱり痛覚あるよなぁ。でも、これくらいなら)
震える指をプレートの上にかざす。
鮮血が重力に従って滴り落ち、冷たい水晶の表面に触れた瞬間――カッと眩い光が溢れ出した。
「うわっ、眩しっ!?」
「きゃっ!?」
一瞬、ギルド全体が静まり返るほどの光量が放たれ、すぐに収束していく。
光が消えた後、プレートには『イザヨイ』の名前と、ステータスの一部が刻印されていた。
「す、凄い魔力反応……! あのような輝き、初めて見ました……」
受付嬢が目を白黒させながらプレートを覗き込んでいる。
どうやら、ただの登録作業にしては派手なエフェクトが出てしまったらしい。
イザヨイは「やっちゃったかな」と内心で頭を抱えつつも、表面上は何食わぬ顔で首を傾げた。
「あの、これで登録は完了ですか?」
「え、あ、は、はい! 完了です! これがイザヨイ様のギルドカードになります。身分証としても使えますので、大切に保管してください!」
恭しく差し出されたカードを受け取る。
ひんやりとした金属の感触。
そこに刻まれた自分の名前を見て、イザヨイはようやく実感が湧いてきた。
「ありがとうございます。ふふ、これで私も冒険者ですね」
カードを胸に抱き、満面の笑みを浮かべる。
その破壊力抜群の笑顔に、受付嬢だけでなく、背後で聞き耳を立てていた荒くれ者たちまでもが「おぉ……」と一斉に頬を染めた。
ざわめきが再び戻るが、今度は好奇の目というよりは、どこか熱っぽい視線に変わっている。
(なんか空気が変わったな。ま、とりあえず第一関門突破ってことでいいか)
イザヨイはカードを腰のポーチにしまい込むと、スカートの裾を軽く摘んで一礼した。
優雅に、美しく。
中身が男だとは微塵も感じさせない完璧な所作で。
ギルド中の視線を背中に集めながら、軽やかな足取りで出ていくのであった。




