目の保養
木漏れ日が薄っすらと窓枠を縁取り、鳥のさえずりが微かに聞こえてくる。
ベッドの上で、イザヨイはゆっくりとまぶたを開いた。
「ん……」
小さく背伸びをする。
ゲームのログアウト後のような、無機質な部屋ではなく、木の香りがするリアルな空間。
自分が異世界に転生したのだという実感が、再びゆっくりと身体を満たしていく。
「そろそろ起きるか……」
むくりと上体を起こし、乱れた銀髪を手櫛で直す。
疲労は完全に抜け落ちており、心地よい気怠さだけが残っている。
昨日の騒動――特に寝る前の自爆的な一人遊び――の記憶が薄っすらと蘇るが、今は考えないことにした。
これからどう生き抜くか、それが最優先事項だ。
コンコンコン
その時、控えめだが力強いノックの音が部屋に響いた。
イザヨイはあくびを噛み殺しながら、ぼんやりと扉の方を見る。
「……はい、誰ですか?」
「おう、起きてるかイザヨイ! 俺だ、ボルグだ!」
扉の向こうから聞こえてきたのは、野太くも親しげな戦士の声だった。
「ボルグさんですか? 起きてますよー」
「一階の食堂で飯食うんだが、一緒に行かねぇか? ここのベーコンエッグは絶品だぞ!」
朝食の誘い。
それは、仲間としての気遣いでもあり、今日も共に冒険へ行くという意思表示でもあった。
イザヨイの胃袋が、朝の活動開始を告げるように小さく鳴る。
「は~い……行きます……ちょっと待っててくださいね~」
寝ぼけ眼をこすりながら、イザヨイはベッドから這い出した。
まだ完全に意識が覚醒していないのか、足取りが少しふらついている。
「ん~…………まだねみぃ……」
何も考えず、ただ扉の鍵を開けてノブを捻った。
ガチャリ、と重い音を立てて木製の扉が開く。
「……ッ!?!?!?!?」
「おはようございます、ボルグさん。……って、どうしたんですか?」
扉の前に立っていた大男は、イザヨイの姿を見た瞬間、目を見開き、そして――ボォンッという効果音が聞こえそうな勢いで顔を真っ赤にした。
「ぶふっ……!?」
ボルグの口から、奇妙な音が漏れる。
一歩後退し、目を泳がせ、視線のやり場に困ったように天井の木目を見つめ始めた。
「な、なな、なんだお前、その格好……!?」
「格好?」
イザヨイが小首を傾げると、ボルグは手で顔を覆い隠し、クルリと背を向けた。
「ば、バカヤロウ! 少しは身だしなみってモンを気にしやがれ!! 下で待ってるから、さっさと着替えて来いっ!!」
「え、あ、ちょ……ボルグさん!?」
ズシンズシンと凄まじい足音を立てて、大男は逃げるように階段を下りていってしまった。
その背中は、歴戦の勇士とは思えないほど慌てふためいており、耳の先まで茹でダコのように赤くなっていた。
「なんだよ朝っぱらから。変な夢でも見たのか?」
イザヨイはポカンと口を開け、誰もいなくなった廊下を見つめた。
朝食に誘いに来たはずなのに、顔を見た途端に怒鳴って逃げ出すとは、あまりにも情緒不安定すぎる。
パタン、と扉を閉める。
部屋に戻り、ふと視線を落とした。
そこには、白磁のように滑らかな肌。
そして、その肌を辛うじて覆い隠す、薄手で透け感のあるネグリジェ風のキャミソール。
昨夜、宿屋の部屋が少し暑かったせいで、支給されたチュニックを脱ぎ捨て、最も布面積の少ない下着姿のままで寝ていたのだった。
もちろん、下も小さなショーツ一枚。
その薄い布越しに、先ほどまで「邪魔だ」と不満を漏らしていた圧倒的な双丘が、重力に従って豊満な谷間を晒している。
「……あ」
イザヨイは己の姿を見下ろし、ようやく事態を把握した。
昨日の試着室での出来事と全く同じ失敗。
中身が男のままの感覚で、「起きてすぐに出迎えるのが礼儀だろう」と寝ぼけ眼で扉を開けてしまったのだ。
しかも今回は、試着室のカーテン越しではなく、廊下という少し開けた場所での直視。
寝起きの無防備な表情と乱れた銀髪も相まって、その破壊力は昨日以上のものだったに違いない。
健全な男性であるボルグが、朝から直視するには刺激が強すぎる光景だ。
「……そういや俺……女になったんだったわ」
しかしイザヨイの口から出たのは悲鳴でもなく、顔を覆っての羞恥でもなかった。
どこか呑気な、他人事のような呟き。
昨夜のシエルの時のような焦りがないのは、寝ぼけているからか、それともこの美少女アバターの容姿に「慣れ」が生じ始めているからだろうか。
「そりゃあんな反応するわな。朝からおっぱい見せつけられたら、男なら誰だってビビるか」
ペシペシと自分の頬を軽く叩きながら、イザヨイは引き出しにしまってあったチュニックに手を伸ばす。
着替えの最中も、胸の重みが腕の動きを阻害してくるのが鬱陶しい。
「ま、減るもんじゃないし。ボルグさんもいい目の保養になっただろ。……よし、着替え完了」
身支度を整え、簡単に髪をとかす。
そこには、絶世の美少女が澄ました顔で立っていた。
この容姿が周囲に与える影響力を、中身のおっさんはまだ正確に理解していない。
むしろ、「少しくらい下着姿を見られたところで死ぬわけじゃない」という、前世の図太い神経が働き始めていた。
「よし、ベーコンエッグだ」
美少女としての羞恥心よりも、目の前の食欲を優先し、イザヨイは軽やかな足取りで部屋を出るのだった。




