黒曜石
杉内は、数字のために生きていた
いいね。リポスト。再生数。フォロワーの増減を示すグラフの波が、彼の血圧であり、機嫌であり、存在証明だった。朝起きて最初に触るのは歯ブラシではなくスマホ。鏡に映る自分の顔より先に、画面の中の「評価」を見る
しかし最近、伸びが鈍い。刺激が足りない。次の“ネタ”がない
そこで杉内が目をつけたのが、噂話だった
――森の奥にある洋館
――宝石の魔女
ーー望みを口にした者に石を渡す
ーー石は人生を変える
都市伝説じみた話なのに、妙に具体的で、妙に人を惹きつける。杉内は思った。これだ。これさえ押さえれば、またバズれる
「『宝石の魔女から石をもらった男』……最高じゃん」
彼は下調べをした。スレのまとめ、匿名掲示板、噂の発信源。だが、肝心の“行き方”だけが分からない。誰も地図を持っていない。辿り着いた者は、なぜか皆、細部を語らない
焦りだけが募った。自分は選ばれないのか?
そんな不安を打ち消すように、杉内は毎晩「魔女の話」を匂わせた投稿を続けた。期待を煽り、憧れを煽り、「自分は特別」だと演出する
そしてある日
休日、いつものようにスマホを片手に外へ出た杉内は、ふと足を止めた。見覚えのない小径が、街の端に口を開けていたのだ。森へ続く、湿った土の匂いのする道
胸が高鳴った。撮影だ。これは撮れ高だ。選ばれたのは自分だ
杉内はカメラを回しながら、森へ踏み込んだ
木々が密になるにつれ、電波が死んだ。配信が途切れる。焦って画面を叩くが、圏外の表示は薄笑いのように居座る。森は静かすぎて、逆に耳が痛い
やがて、洋館が現れた
立派で、古く、美しいのに、冷たい。まるで、招かれざる客の骨を集めて建てた家みたいに
「……きた」
玄関の扉が、ひとりでに開いた
杉内は勝ち誇ったように館へ入り、薄暗い広間の奥で微笑む女を見つけた。紫がかった髪、陶器のような白い肌、湖のような目。宝石の魔女――キラ
「あなたの望みは何でしょう?」
その声が落ちた瞬間、背筋に冷たいものが走った。だが杉内は引かなかった。むしろ、ここで怯えたら負けだと思った。相手は“ネタ”。自分が主役だ
「望み? 決まってるでしょ」
杉内は肩をすくめ、笑ってみせた
「俺に似合う石、くれよ。…あんたの石、どれも人生変えるんだろ?だったら“バズるやつ”で頼むわ」
不遜な言葉が広間に落ちた。空気が、ひと呼吸ぶん遅れて冷える
キラは怒らなかった。表情を崩さず、ただ杉内を見た。その視線は、価値を測る秤のようで――杉内の中身を、軽々と量ってしまう
「あなたには“何も映らない”黒曜石が似合うわ」
キラの掌に黒い石が現れた。夜を固めたような、艶のない黒。覗き込んでも顔が映らない。光さえ吸い込む、空虚の塊
「黒曜石…? え、地味じゃね?」
杉内はそう言いながらも、石を奪うように受け取った。キラの言葉の意味を考えもしない。必要なのは“物語”だ。石の中身ではない
……気づけば森の外に立っていた。洋館も、キラも、最初から存在しなかったみたいに消えている。だが、掌には黒曜石だけが残った
杉内は笑った
「これで勝った」
その日から彼は、黒曜石を“幸運の石”だと喧伝し始めた
「宝石の魔女にもらった」
「人生が変わる」
「運が上がる」
嘘を盛り、演出を盛り、視聴者が欲しがる言葉だけを並べる。
最初は伸びた。コメント欄は湧き、DMには「どこで手に入るんですか?」が溢れた。杉内は高揚した。これだ。求めていたのはこれだ
けれど、黒曜石は“何も映さない”
数日後、異変が始まった
フォロワーが、じわじわ減った。理由は分からない
ただ、空気が変わった。いつも持ち上げてくれた層が静かになり、代わりに冷たい疑問だけが増えた
「それ本当?」
「いつも話が盛りすぎ」
「前と言ってること違わない?」
案件も崩れた。勝手な宣伝文句が問題になり、クライアントから修正要求、そして契約解除。焦って取り繕えば取り繕うほど、嘘の綻びが見える
追い討ちのように、恋人が去った
「あなた、最近…何が本当か分からない顔してる」
そう言って、彼女は荷物をまとめた。杉内は「冗談だろ」と笑って引き止めようとしたが、笑いが喉で引っかかった。鏡を見ても、そこに映る自分が薄い。黒曜石みたいに、空っぽだ
すべてが裏目に出たのは、偶然ではない気がした。黒曜石を握る手が冷たくなる。石は、何も映さない。だからこそ、杉内の虚飾だけが剥がれていく。残るのは――空虚
その夜、杉内は誰もいない部屋で黒曜石を机に置き、睨みつけた
「ふざけんなよ…“幸運の石”じゃねぇのかよ!」
返事はない。黒曜石は沈黙のまま、ただそこにある
玄関のチャイムが鳴った。誰だ。出ると、見知らぬ青年が立っていた。柔らかな目をした男――エメ
「……君、魔女の石で遊んだんだね」
杉内は青ざめた
エメは黒曜石を一瞥し、ため息のように呟いた
「魔女に嘘をつくからだよ。……いや、まず自分自身に嘘をついたからか」
その言葉は、刃ではなく鏡だった。黒曜石が何も映さない代わりに、エメの一言が、杉内の内側を映した
杉内は、言い返せなかった
嘘で作った“特別”は、嘘が剥がれた瞬間に、誰よりも惨めになる
黒曜石は幸運の石ではなかった。――ただ、虚栄を黒く吸い込み、真実だけを残す石だった
机の上で、黒曜石が微かに光を飲み込んだ。まるで、杉内の言い訳を、最後まで黙って食べてしまうように




