第四章 博物堂へ 2
正門からまっすぐ伸びる幅10ヤードばかりの馬車道は両側をポプラの並木に縁取られていた。並木の外側に歩道があって、さらに外側に柘植の生垣が伸びている。
行く手の遠くに見えるのが本宅のスレート屋根だろう。
一頭立ての軽装馬車は並木のあいだをまっすぐ進み、真ん中に円い噴水のある広場へと差し掛かったところで右手へと折れた。
するとじき並木が終わって、樺の木立に縁取られた大きな池のほとりへと出た。
真ん中に小島があって、そこに白大理石造りの小さな堂があった。
正面に並んだ四本の円柱の向こうに一対のブロンズ像が見える。
「あれが博物堂よ!」
一頭立ての軽装馬車の手綱を取りながら、クリスティーンが得意そうに教えてくれた。
小島へは手すりのない木製の橋が伸びていた。
橋の左手に木造のボートハウスがあって、水面に張り出すテラスの縁で、生姜色の髪をした小柄な男がボートの手入れをしているのが見えた。
腕まくりをした木綿のシャツと赤っぽいチョッキ、膝までの黒いズボン姿で、ストッキングははかず、素足をじかに古ぼけたブーツに突っ込んでいる。
「おーいトビアス爺さーん!」
後ろからくる二輪馬車の車上からハロルドが呼びかけると、男はびくりと手を止めるなり、皴深い顔をくしゃくしゃにして笑った。
「おお、こりゃハロルド坊ちゃん――ああいや、ノーズリー卿! レディ・クリスティーンもご一緒ですか! そちらのお方は――」
「彼はスタンレー卿だよ。僕のまたいとこさ。博物堂を見たいというんだ。戻るまで馬車を頼むよ」
「わたくしの馬は疲れているようなの。水を飲ませてあげて」
「あ、ついでに僕の馬も頼む」
「承りました皆さま。どうぞお気をつけて」
トビアス爺さんは恭しく応じ、エドガーには丁重に、クリスティーンにはにこやかに挨拶をしてから、エレンには軽く目礼を寄越し、ひょこひょことした足取りで軽装馬車へと近寄っていった。どうも左足が不自由なようだ。
「――ノーズリー卿、今のミスター・トビアスは、いつもあのボートハウスにいるのですか?」
橋を渡りながらエレンが訪ねると、クリスティーンと腕を組んで前をゆくハロルドがくすっと笑って答えた。
「トビアス爺さんは昔からずっとボートハウスの番人だよ」
「そうすると、犯人はまずあの爺さんの目を掠めなきゃならないわけね?」と、クリスティーンが首をひねる。ハロルドは肩を竦めた。
「トビアスの仕事はボートの手入れだ。出入りする人間を監視しているわけじゃないよ」
橋はそう長くはなかった。
四人はすぐに小島へとついた。
白亜の博物堂は間近で見るとなかなか大きかった。
三段の階段を上ったうえの円柱の向こうに黒い両開きの大扉が見え、その左右を、エレンの腰ほどの高さの一対の石の台座の上に鎮座するブロンズの人面獅子の自動機械人形が護っている。
巻き毛に縁取られた女の顔と乳房のある上半身を備えて、下半身が獅子の形をしている。女の顔は互いを見つめ合う形だった。
「まあ――」
エレンは思わず感嘆の声を漏らした。
「これが名高い〈ウェステンアビーの人面獅子〉ですか……」
「なかなか見事なものでしょう?」と、ハロルドが得意そうに応じる。「ミス・ディグビー、ちょっと入ってみてください」
「謎解きや合言葉は必要ありませんの?」
「そういうのは何も要りません」
互いの顔を見つめ合う一対の人面獅子のあいだを恐る恐る抜け、鍵のかかっていない大扉を開けると、その先は小さな控えの間のようだった。
正面の一対の柱の向こうに展示室が広がっている。
左手の柱の傍には古色蒼然とした甲冑が、右手の柱の傍にはなぜかフクロウの剥製がある。
「ノーズリー卿、出入口はこの一か所だけですの?」
「ええ、暖炉もありませんよ。ミス・ディグビー、そこまででいいからちょっと出てきてくれ」
言われるままに堂の外に出ると、ハロルドは得意そうに胸を張って、両腕を広げ、人面獅子の台座のそれぞれに手を触れながら命じた。
「叡智を護る者たちよ、通った者を映せ!」
ハロルドの声が響くなり、一対の人面獅子の四つの眸から、それぞれ微妙に色合いの異なる四本の光線が発せられた。
赤みを帯びているのは焔玉髄から、くすんだ金色は地琥珀から、淡紫は風信石から、澄んだ白光は燦水晶からのようだ。
――本当に四種類の凝石が使われているのね……
凝石は万物に含まれる魔力の源である息吹が凝ったとされる石で、装飾性も高ければ実用性も高いため、通常の宝石よりもはるかに高価に取引される。
アルビオンでは焔玉髄はよく産するためそれほど高価でもないが、地琥珀はかなり希少価値が高い。見た目が通常の琥珀とよく似ているため、「地琥珀と偽って単なる琥珀を売る」詐欺は、魔術の絡んだ犯罪としては極めてよくあるタイプだ。
――無くなったのは地琥珀の首飾りという話だったわね――あの忌々しいコルレオン戦役のおかげで大陸との貿易が難しくなっている今、連合王国内での地琥珀の市場価値は高騰傾向にあるはず。盗難だとしたらプロの仕業かもしれない……
内密に、という依頼ではあるが、もしも本職の宝飾品窃盗団などの仕業だったとしたら、何とかしてノーズリー子爵を説得して警視庁に届けさせるべきかもしれない。
エレンがそんな考え事に耽るあいだにも、二対の眸から発される光はしだいに強さを増して、じきにすべての光の交わるあたりに、すらりとした女の幻影が浮かび上がった。
白い羽根飾り付きの深緑のボンネットを被って紺の絹外套を羽織った長身痩躯の後ろ姿だ。それが滑るように光の中を抜けるなり消えた。
「まああ」
今度はクリスティーンが感嘆の声をあげる。
「この人面獅子、こんな働きがあったのね! わたくしてっきり古ぼけた展示物のひとつなのかと思っていた」
「〈ウェステンアビーの人面獅子〉は、その日、夜明けから日没までのあいだに自分らのあいだを通った人間の姿をこうやって映し出せるんだ」と、ハロルドが得意そうに説明する。
「首飾りが無くなった六月一日、この堂に入った人間は誰もいなかった。当日に父上が確かめたとき、何一つ映し出されなかったからね。それだけは間違いないんだ」