第九章 ボートハウスで謎解きを 3
「――あなた、トビアスを疑っているの?」
ヘンリエッタが低く訊ねる。
愛する大事な老犬を目の前で蹴飛ばされた飼い主のような怒りが漲った声だ。
「ええ」
エレンは怯まずに頷いた。「わたくしの付添として来ている秘書に家内使用人たちの話を聞きとらせています。彼は本邸に寝室を与えられてはいますが、非常にしばしばボートハウスで寝起きし、執事のミスター・スティーヴンソンもそのことを黙認していたと聞きます。彼ならば五月三十一日の午後に博物堂のなかに潜んで翌日の午前中までそのまま内にいたとしても、誰にも疑われることはなかったはずです」
「--そして甲冑のなかに潜んでいたと?」
ハロルドがあきれ果てた――とでも言いたげな薄笑いを浮かべて問い返してくる。
その表情には明確な怯えが見てとれた。
同じ怯えに気付いたのか、ヘンリエッタが眉根をよせ、しばらく黙り込んでから、威厳ある女主人の口調でボートハウスの番人に訊ねた。
「トビアス。お前のしわざなの?」
「――はいマイ・レディ。仰せの通りでございます」
老人がうなだれたまま応え、やおら顔をあげるなり、涙に潤んだ眸でハロルドを見あげた。
「申し訳ありませんハロルド坊ちゃん! 侯爵夫人のお尋ねじゃ、儂には嘘はつけませんや!」
「馬鹿トビアス、黙っていろって!」
「じゃ、やっぱりその子の命令なのね?」
ヘンリエッタが泣きそうな声で訊ねる。
トビアスは頷いた。
「申し訳ありませんレディ。詳しいご事情はわたくしめは存じません。ただ、坊ちゃんが、このことが世間に知られたらお身の破滅だ、儂にしか頼めねえって、小せえ頃みたいに泣いてお縋りになりましたんで」
「――黙っていろよもうトビアス! いいよ、認めるよ。そうだよ。僕の命令だ。……そんなに珍しい話でもないだろ? 大学時代ちょっとした放蕩に耽って大金が必要になってあの首飾りをこっそり持ち出したんだよ。そちらの賢明なるご婦人の推察の通り、地琥珀は大陸では安いっていうから、卒業後の大旅行のあいだに造り直させるつもりだったんだ。でも色々計画が狂ったからさ、犯人不明って形で無くなったことにしたかったんだよ」
「なるほど。君の事情は分かったが――」と、エドガーが口を挟んだ。「それならどうして私を介してミス・ディグビーに依頼なんかしたんだ?」
「それは――」と、ハロルドが口ごもる。
と、それまで無言でいたクリスティーンがなぜか嬉しそうな笑顔を浮かべて訊ねた。
「もしかしてマダム・ロジェのため?」
「え?」
「私の?」と、カミーユ自身が愕く。
ハロルドは極まり悪そうに眼を逸らした。
クリスティーンがにんまりと笑って続ける。
「やっぱりね! あなたさ、使用人たちのあいだでマダム・ロジェに疑いがかかっちゃったことに焦って、余所の誰かに『彼女は無実だ』って証明してもらいたかったんでしょ? あなた昔っからカミーユ大好きだものねえ!」
クリスティーンがにやにや笑いながら訊ねると、ハロルドが耳まで真っ赤になった。
カミーユが声を立てて笑う。
「なるほど、なるほど、わたくしのためでしたか! ありがとうございますハロルド坊ちゃん」
「マダム・ロジェもトビアスも、それ以上その子を甘やかさないで頂戴!」と、侯爵夫人が眉を吊り上げる。
老魔女の皴深い掌の上で、濡れた琥珀が陽光を透かして活きた黄金のように輝いていた。