第九章 ボートハウスで謎解きを 1
「――僭越ながらお嬢様」
躊躇いがちに口を切ったのは、思いもかけないことに、それまでじっと置物のようにハロルドの背後に控えていた副執事のトマス・ヤードだった。
一同の目が一斉に集まる。
「なんだヤード。彼女の見解に何か疑問があるのか?」と、エドガーが苛立ちも露わに問いただす。
若い副執事は強張り切った表情で頷いた。
「はい。僭越ながら」
「どうぞミスター・ヤード。なんでも仰って」
エレンが促すと、ヤードは青白い顔をさっと赤らめてから、意を決したように頷いて口を開いた。
「皆さまご存じの通り、わたくしは執事から毎朝鍵を託され、午前九時にあちらの博物堂の扉を開けております。その際、必ず堂内に入って簡単な掃除をし、収蔵品がすべてそろっているか、チェックリストを用いて確認しているのです」
「……そのリストは、スティーヴンソンに提出しているのよね?」
「はいレディ・ヘンリエッタ。――つまり、わたくしめは六月一日の朝にも堂内に入ってくまなく掃除と確認を行っているのです。あの堂にはクローゼットも地下室もありません。前日から賊が潜んでいたとしたら、わたくしが確認をしているとき、その賊はどこに隠れていたのでしょう?」
ヤードの説明が終わるなり重い沈黙が落ちた。
ややあってハロルドが肩を竦めてエドガーを見あげた。
「親愛なるまたいとこどの、あなたの見解は?」
「僕が知るわけないだろう。ミス・ディグビー、その程度のことは当然君だって予想していたんだろう?」
「ええ勿論。――わたくしが思いますに、盗難の実行者は、おそらくは控えの間に置かれた甲冑のなかに潜んでいたのだと思いますわ。あれは小さめでしたから、わたくしより背の低い人間なら十分に入れるはず」
「あなた、もしかして入ってみたの?」と、クリスティーンが愉快さを堪えきれない声で訊ねる。エレンは極まり悪く笑った。
「その点は御想像にお任せいたします」
「そうなると、その小柄な人物は、五月三十一日に博物堂に入り込んで一晩を明かし、ヤードが確認に入るときは甲冑の中に潜んで、扉が明けられたあとで、首飾りを盗んで外へ出て、折角手に入れたお宝を水中に投じた――と。君はそう予想するんだね?」
「ええスタンレー卿。まさにその通りです」
「でも、それで後からどうやって手に入れるつもりだったの? それこそ魔術を使わなけりゃ――」
クリスティーンがそこまで口にしたとき、カミーユの背後の水面に淡いライトグリーンの光が浮かんだかと思うと、ザっと激しい音を立てて水の柱が立ち昇った。
「おおう! レディがた、どうかお下がりを! ドレスが濡れてしまいます!」
カミーユが慌てて腕を広げ、滝のようになだれ落ちるライトグリーンの水を両腕のなかに受け止めた。ポウっと広がる光の膜が水をはじいて水面へと跳ね返していく。
「ご苦労さんだね水乙女。どうやら何か見つかったようだ」
呟きながら振り返るカミーユの黒いローヴは全く濡れていなかった。
皴深い右手がどろりとした青緑の藻と泥にまみれた首飾りを握っている。
「こりゃ酷い。洗わなけりゃ」
カミーユが無造作に池の水に浸して汚れを洗い流すと、澄んだ蜂蜜色の珠を無数に連ねた繊細なレース飾りのような装身具が陽の下に洗われた。
「それは――」
ヘンリエッタが碧い眸を瞬かせながら呟く。
「ええ」
エレンは頷いた。
「サックヴィル家伝来の地琥珀の首飾り――の、琥珀製の模造品ですわ。タメシス警視庁の調査によれば、作ったのはカトルフォード大学街の宝石商だそうです。依頼人の特徴も、勿論分かっていますわよ?」
言いながらエレンは視線をハロルドに向けた。
思った通り、若い貴族はこれ以上ないほど蒼褪めて、母親とよく似た碧い眸を恐怖に見開いていた。