第八章 水底の探索 3
「――この池のなかなら、私はもう捜しているよ?」
カミーユ・ロジェが何となくこちらの意図を探るような口調で訊ねてくる。
背後に立ったハロルドがひどく強張った表情をしている。
エレンは慎重に言葉を選んだ。
「念のためにもう一度、首飾り全般を捜していただけます?」
「――分かった」
カミーユは頷くと、夏にそぐわない黒いローヴの裾を引きずりながら水辺へより、跪いて水面に皴深い掌を翳しながら呼んだ。
「水乙女。出ておいで。私の魔力を与えよう」
途端、掌の下からライトグリーンの微光がポウっと広がったかと思うと、光を映した水面が渦巻き、淡く発光する水の塊がぬるっとせりあがってきた。
細く細く伸びあがり、先端が丸く膨らむ。
左右から長い腕状の筋が分かれると、輪郭がだいぶ人間らしくなった。
「お前を生じさせた水中から首飾りを捜しておいで。首飾りなら何でもいい」
カミーユがゆっくりと命じると、淡いグリーンの光を放つ水の塊が頷いたかと思うと、噴水の水が頽れるように水面へとなだれ落ちて、一筋のライトグリーンの光になって水底へと潜っていった。
「さてこれでいい。そのうちに戻ってくるだろう。――それでミス・ディグビー、あんたは首飾りがどういう風に盗まれたと思っているんだい? まさかこのカミーユ・ロジェが盗んだとでも?」
ライトグリーンの眸をキラキラさせて揶揄うように訊ねてくる。
エレンは微苦笑した。
「とんでもないことでございますマダム。『モンストゥルム・エクス・マーキナ』を拝読しましたところ、あの博物堂を護る人面獅子の第一の機能は、やはり、作成者以外の魔力を帯びた何かが侵入してきたら咆哮するところにあったようですから。誰が犯人であれ、あなたが犯人である可能性は極めて低いと思います」
「--それじゃ、ええとミス・ディグビー?」と、ヘンリエッタが眉根を寄せて訊ねてくる。「魔術が使われたのでなければ、首飾りはどうやって盗まれたというの?」
「おそらくはごく単純な方法で、です」と、エレンは内心の得意さを押し隠しながら応えた。
「これも『モンストゥルム』の記述ですが、あの人面獅子の眸が記憶するのは、博物堂に鍵がかかっていないとき、一対のあいだを通過して「堂に入った」人物の姿で、その記憶は一日しか保たれないのだそうです」
「そうだよ。でも、前にも話した通り、6月1日に堂に入った人間は誰一人いなかったんだよ!」と、ハロルドが堪えかねたように口を挟んでくる「その日の夕方にヤードが堂の扉が開いているのを発見して、入らないですぐにスティーヴンソンに報せて、スティーヴンソンが父上に報せて、僕とカミーユも含めて五人で確認しても、人面獅子の眸の光には誰一人映らなかったんだから! な、そうだったよなカミーユ?」
「ええハロルド坊ちゃん、その通りですとも」と、カミーユが力強く頷き、可愛い坊やを腕に守る乳母みたいな目つきでエレンを睨みつけてきた。
「あんたはノーズリー卿が嘘をついているとでも?」
「いいえ。その点に関しては、すべて真実を語っていらっしゃると思いますわ」
「含みのある言い方ね?」と、クリスティーンが眉をあげる。「それじゃあなたは、首飾りを盗み出した誰かは、魔術は使わず、人面獅子のあいだは通らずに、他に入り口のないあの博物堂のなかに入り込んだといいたいの?」
「いいえ、それもちょっと違いますわね。――犯人は博物堂のなかには正面から入ったと思います」
「じゃ、なんで記憶されていないのよ?」
「前の日だったからですわ、当然」
エレンはにんまり笑いながら応えた。「人面獅子の映像の記憶はその日一日しか保たれないのでしょう? 犯人は五月三一日の午後五時前、ミスター・ヤードが扉に施錠する前に堂の中に入って、翌日の午後九時過ぎまでずっと中にいたのです。そして、再び扉が開いたあとで、首飾りを手にして堂々と正面から出たのでしょう。記憶されるのは『その日堂に入った人間』だけですからね。これがわたくしの仮説です。どうです皆さま、何か疑問点は?」