第七章 モンストゥルム・エクス・マーキナ 2
唐突に思いついてしまった仮定を内心で吟味しつつ、蔵書目録に記されていた書棚の窓際を捜すと、目当ての写本はすぐに見つかった。
装丁こそ新しいが、中身はかなり古い。
古い紙のページの角が飴色に変色して、触れたらモロモロと崩れそうだ。
開いてみると、ハロルドの言った通り、中身は古典レーム語で記されていた。
読むには多少腰を据える必要があるだろう。
写本を抱えて書き物机へ戻ると、クリスティーンが作業の手を止め、少しばかり不服そうに口を尖らせた。
「あら、もう見つかっちゃったの?」
「第一候補の一冊目が見つかっただけですわ」と、エレンは微苦笑した。「そちらの作業が終わりましたら、お捜しになったタイトルを見つけて運んできてくださいます?」
「ええ勿論。よろこんで」と、クリスティーンは、今度はさほど嬉しくなさそうに言い、ふと眉をよせて囁いてきた。
「――ねえミス・ディグビー、わたくし、あなたのお仕事の邪魔をしていない?」
「いえそんな、とんでもない!」
エレンは慌てて打ち消し、一瞬ためらってから正直な心を打ち明けた。
「あなたがいらしてくださるから、わたくしは何の疑いも受けず、名もなき空気精霊みたいな存在としてこの書庫にいられるのですもの」
「ああ、いわゆる、貴婦人は存在そのものに価値があるってやつね!」
クリスティーンは皮肉な口調で応じてから、一転して興味深そうに訊ねてきた。
「ところで空気精霊って?」
「主に風や火の性の魔術師が使役する、空気に属して偏在する精霊の一種ですわ。もの捜しには割合向いているもので――」
エレンはそこまで口にしたところでふと思い至った。
「せっかくだから実際にお目にかけましょう」
「え、その空気精霊を?」
「ええ」
窓辺に寄って格子窓を開くなり、薔薇と青葉と土の匂いを含んだ微風が陽射しとともに流れこんでくる。
エレンはその風を抱くように腕を丸めながら命じた。
「空気精霊。わが魔力を与える。日暮れまで顕現しなさい」
途端、エレンの両腕のなかがポウっと淡い金色に光って、微光で形作られた人のような輪郭が現れた。
――お呼びか女主人……
耳元で風のような声が囁く。
エレンの薄い薔薇色の耳朶に被さる赤っぽいブロンドの巻き毛が小さなつむじ風に巻き上げられるように逆立つ。
「うわあ」
クリスティーンがため息をついた。「こんなの初めて見る」
「この石壁のうちから地琥珀を捜しなさい。あるいは単なる琥珀を。できるかぎり光のなかを飛ぶように」
――承った……
またも風のような声が囁くなり、淡い光の人形がスーッと細く伸びて、微風に逆らうように窓の外へと滑り出していった。
眼下は広々とした石畳の中庭で、向かい側に東翼の建物が伸びている。
「ねえミス・ディグビー……」
背後からクリスティーンが心配そうに呼ぶ。
「いまの彼――それとも彼女? マダム・ロジェに見つかっちゃわない? 彼女きっと今は厳重警戒態勢よ?」
「あの方に見つかる分には、おそらく問題ありません」
答えるなり、クリスティーンは目に見えて明るい表情を浮かべた。
「あら、じゃ、あなたもマダムは無実だと思っているのね?」
「あなたも――と仰いますと、マイ・レディ、あなたもマダム・ロジェは無実だと信じたいのですか?」
「そりゃ勿論そうよ!」と、クリスティーンは腹立たしげに応じた。「あの人はハロルドのお祖父さまの代から仕えている〈サックヴィル家の老魔女〉よ? レディ・ヘンリエッタだって彼女を誰より信頼しているし、ハロルドだって小さいころからカミーユ、カミーユって、まるで乳母に対するみたいに甘えていたくせに、その彼女が家の宝を盗むと疑うなんてさ! あらゆる意味でありえないわよ」
「そうですわね。確かにそれは不自然ですわ」
応じながらエレンは先ほど思い浮かんだ仮定が確信に変わるのを感じていた。
思った通り、ノーズリー卿はカミーユ・ロジェを嫌ってなどいない。
むしろ、今でも十分に慕っているはずだ。