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第六章 花園での密談 2

 薔薇園(ローズガーデン)は噴水の広場の北西側にあった。

 上半分に透かし細工の入った瀟洒な鉄柵に囲われた一角に真紅や白やクリームイエローの薔薇が植え込んである。


 すぐ近くの厩舎に馬車と馬を預けて徒歩で薔薇園へと戻り、鍵のない扉を開け、白薔薇のアーチを抜けて、黄色い蔓薔薇の絡んだ白亜の四阿へと向かう。


「ねえねえミス・ディグビー、わたくしの髪に飾るならどの色がいいと思う?」

 歩きながらクリスティーンが甘えるように訊ねてくる。

 スグリ色の目がチラチラとペールピンクの薔薇を見ているようだ。

「そうですわね――」

 エレンは考えこみながら応えた。

 視線の向きと帽子の色からしてクリスティーンは淡いピンクが好きなのだろう。

 しかし、彼女の燃えるような赤毛に似合うのは間違いなく白だ。

 それにドレスの色との兼ね合いもある。

「ええと、ドレスはイエローなのですよね?」

「そうよ。鮮やかなカナリアイエロー。地琥珀の首飾りに合わせてわざわざ仕立てたのよ?」とクリスティーンが口惜しそうに言い、ハロルドとエドガーがだいぶ先を歩いているのを一瞥してから、エレンの肩を抱いて耳打ちするように囁いてきた。

「ここだけの話だけどね、こんなに早くに婚約披露パーティーをすることになるとは思っていなかったわ。もう一、二年は自由に遊べると思っていたのに!」

 クリスティーンの打ち明け話にエレンははっとした。


「……では、あなたはノーズリー卿とのご結婚に乗り気ではありませんの?」

「乗り気でない、わけではないけれど」と、クリスティーンが左手に植えられた真紅の薔薇の蕾に顔をよせて薫りを嗅ぎながら応えた。「いずれハロルドと結婚することは子供のころから分かっていたしね。ただ思ったより早かったってだけ。――彼、大学を卒業したら、本当は家庭教師と一緒に大陸を旅行する予定だったのよ」

「ああ、なるほど。コルレオン戦役のためにその大旅行が延期になってしまったのですね?」

「そういうこと! 去年まではウチのほうでも、一、二年の延期だったら構わないから予定通り彼が行って帰ってきたら結婚をってつもりだったけれど、あの戦争、いつまで続くか分からないのでしょう? それなら先に結婚させるって急に決まっちゃったのよ」

 クリスティーンは大して嬉しくもなさそうに言い、

「あーあ」

 と、肩を竦めた。「わたくしも一度くらい恋ってものをしてみたかったわ」

 そう嘆く若い貴婦人(レディ)の顔は無邪気なくせに妙に老成してみえた。


 なんともやるせない気分でその横顔を眺めているうちに、エレンは唐突にひとつの疑問に思い至った。



 ――そういえば、よく考えたら、人面獅子(スフィンクス)の機能についてのノーズリー卿の説明はそもそもおかしくない? 

 彼は確かに言ったわ。〈あの日は何一つ映し出されなかった〉って。

 でも、それは変だわ。〈夜明けから日没までに通った者を映す〉のなら、どの日だって必ずあの人物だけは映っているはず……



「……――どうしたのミス・ディグビー?」

 我知らず沈思に耽ってしまったエレンに、クリスティーンが気づかわしそうな声をかけてくる。

「わたくしのことを気の毒に思ってくれる必要はないのよ? ふさわしい身分の相手との結婚は恵まれた生まれに付随する義務だって、きちんと分かっている」

 真摯な顔でそういうクリスティーンに、エレンは胸がぎゅっと締め付けられるようなやるせなさを感じた。

「レディ、そのように仰せにならず。人生にとって恋は必須ってほどでもありませんわ。どちらかというと嗜好品です」

「同感よ。同感だけど――」

 と、クリスティーンが言葉を切り、何を思ったか腕をエレンの首にまわして耳打ちをしてきた。

「正直に打ち明けなさいな」

「何をです?」

「スタンレー卿とはどういう関係なの?」

「……依頼主の仲介人です」

 エレンが憮然と答えたとき、四阿についていたエドガーが顔を向けて陽気な声をかけてきた。

「お嬢さんがた、早くおいで! 階段を上るのにエスコートが必要かな?」

「もちろん必要ないわよ!」

 クリスティーンが声を立てて笑いながらエレンの右手を握った。

 その手は強くあたたかかった。

 エレンは不意に泣きたいほどの切なさを感じた。


 

 四阿には籐の椅子が四つあった。

 全員が到着するとすぐ、スティーヴンソンと二人の従僕が円テーブルを二つと白いクロスと白葡萄酒のボトルを運んできた。


 魔法みたいな素早さでテーブルセッティングが進むあいだに、今度は黒い午後ドレスに白いエプロンのメイドたちが三人やってきて、サンドイッチの大皿とブルーベリーのタルトとチーズとチキンとチョコレート菓子を並べにかかる。


「スティーヴンソン、給仕はいらない。用があったらベルを鳴らすから外で待っていてくれ」

「承りました卿」

 執事が恭しく礼をすると、従僕とメイドも一斉に倣う。

 六人の足音が完全に遠ざかってから、ハロルドがワインのグラスを軽くかかげて言う。

「じゃ、まず昼飯にしようか。博物堂の仕組みや首飾りの盗難の来歴について、もっと訊きたいことがあったら食べながら訊いてください」

「――でしたら卿、まずひとつお訊きしたいのですが」

「なんですミス・ディグビー?」

「先ほど、六月一日の夕方に御父君が確かめたところ、人面獅子は〈何も映さなかった〉と仰せでしたよね?」

「あ、ああ。そうだよ。本当だ。疑うならスティーヴンソンにも訊いてみるといい」

 ハロルドが目に見えて狼狽えながら応じる。

 明らかに目が泳いでいた。

 エレンはここぞとばかりに畳みかけた。

「それがもし本当ならとてもおかしな事態ですわ」

「どうしてそう思うんだ?」と、エドガー。

 エレンは無性に挑戦的な気分で訊ね返した。

「お分かりになりません?」

「謎解きは僕の本業じゃないんだ。一体何が――」

 そこまで口にしたところで、エドガーが明るい琥珀色の眸を見張った。

「あ、ああ! そりゃ確かにおかしい。とてつもなくおかしい。サックヴィル父子はともかく、賢明なるスティーヴンソンまで、なんでこんな単純なおかしさに気付かなかったんだ?」

「エドガー、何がおかしいっていうんです?」と、ハロルドが噛みつくように訊ねる。

 エドガーがエレンに目配せをした。

 答えろ、と言っているらしい。

 クリスティーンは興味津々の顔だ。

 エレンは誇らしく頷いてから答えた。


「つまりね、あの堂の扉の鍵を開けるためには、必ず人面獅子のあいだを通らなければならないということ。――そうなりますと、施錠を担当なさっている副執事のミスター・ヤードの姿だけは、毎日絶対に映っていないとおかしいのです」


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