第五章 三頭犬 1
「――要するに密室盗難事件ってわけね!」
クリスティーンが妙に面白そうに言う。「ともかくなかを見てみましょうよ。犯人が堂に入らずに首飾りを盗んだトリックの痕跡が見つかるかもしれない」
「そんな魔術的な」
エドガーが苦笑気味に応じてから、ハッとしたようにエレンを見やる。
「……ミス・ディグビー」
「何でしょうスタンレー卿?」
「実際どうなんだ? 魔術的にどうにかなりそうかな?」
「さてどうでしょうね。レディ・クリスティーンの仰せの通り、まずは現場を見てみませんと」
答えながらエレンは考えこんでいた。
高位貴族は私的に顧問魔術師を雇っている場合がある。
国璽尚書のウェステンフォーク侯爵家の顧問魔術師はカミーユ・ロジェという年配のルテチア系の女性で、土の性の幻獣である三頭犬を契約魔としている――と、魔術卿が統括する王宮の月室庁の登録簿に記されていた。
――人面獅子が映写するのが「通った人間」だけだとしたら、幻獣である三頭犬は記録されないはず――ああ、でも、いくら知的な三頭犬であっても、手足は犬なんだから、完全に閉ざされた扉を自力で開けられるかしら……?
「ノーズリー卿、ひとつお尋ねしたいのですが」
「何だい?」
「この堂の扉は、毎日午前九時に鍵をあけ、夕方の五時まで施錠せずに開放しているのですよね?」
「ああ、そうだよ」と、ハロルドがなぜかやや強張った声で応える。
「その場合、扉自体は先ほどのように閉まってはいるのですか?」
「うん。大抵は閉まっているんじゃないかな?」
「なるほどーー」
そうなると、三頭犬の仕業という可能性は薄い――かもしれない。
――でも、やっぱり何か魔術的な要因が働いていると考えるべきよね……もしかしたらこの人面獅子たちに何らかの方法で嘘をつかせているのかもしれない……
様々な仮説を思い浮かべつつ再び一対の人面獅子のあいだを抜けて控えの間へと入る。
甲冑とフクロウのあいだの入り口を抜けるとその先が展示室だ。
床は白と赤褐色の大理石を組み合わせた六芒星の意匠で、六角形の壁に円柱が並んで、繊細なアカンサス意匠の柱頭飾から伸びる無数の金色の梁が円蓋の頂で合わさっている。柱と柱のあいだに硝子を嵌めた細い窓が開いて、合計六筋の淡い陽光が中央へと射しこんでいる。
光の雨を思わせる陽の筋のあいだに石の台座が並んで、上にブロンズや白大理石の彫像が据えられている。
正面の壁には沢山の絵画が架かって、下には桃花心木の横長のキャビネットが据えられ、その上に陶器の壺や胸像の類がずらりと並んでいた。
「窓はすべて嵌め殺しです。ひとつも開きませんよ」と、ハロルドが説明する。
「首飾りはどこに飾ってあったんだ?」
「画の壁の下です。その胸像にかけてあったんですよ」
ハロルドが指さしたのは、キャビネットのちょうど中央にある白大理石の女性の胸像だった。
「卿、そちらの像に触れても?」
「ああ構わないよ?」
ハロルドが不思議そうに応じる。
「ありがとうございます」
エレンは胸像に指を触れて自らの魔力を流しこんだ。
胸像がポウ……と淡金色の微光を帯びるが、すぐに静まった。
魔力の阻害反応はない。
「……どうなのミス・ディグビー。何か怪しいことがあった?」
「少なくとも、この像にはありませんね。そうなりますと、あとはこの部屋全体かもしれません」
エレンは、今度は壁の柱に手をあて、部屋全体に少しずつ魔力を充たしていった。
足元から膝、膝から腰へと、エレンの魔力の特色である淡金色の微光が堂内を染め上げてゆく。
「うわあ――」
クリスティーンがため息のような声を漏らす。「あなた本当に魔術師なのねえ」
魔力を過剰に注がないよう神経を集中しながら、エレンは内心で苦笑した。
専門外のお客様がたには、やはり「光る」という演出が重要らしい。
――古典レーム語の呪文を唱えたり、合言葉をルーン文字で書いたり、杖を持ったり黒いローヴを着たり、顧客獲得のためにはそういう演出もやっぱり必要かしらね……
今後の事務所の経営方針について考えを巡らしつつ堂内に微細な魔力を注ぎ続けていたとき、不意に背後から微かな振動が生じたかと思うと、甲高く鋭い吠え声が背後から響き渡った。
「きゃあああ、な、なに!」
「落ち着けレディ・クリスティーン!」と、エドガーが慌ててクリスティーンを抱き寄せて庇いながら叫ぶ。「ミス・ディグビー、何事だ!?」
「――人面獅子の咆哮のようですね」
エレンは内心うろたえながらも、職業的な冷静さを取り繕って答えた。
「咆哮って、え、吼えるのか? ウチの人面獅子?」と、ハロルド。
エレンは頷いた。
「月室庁の古文書で読んだことがあります。百六十年前の内戦期、ウェステンアビー・ホールに議会派の軍隊が略奪に入ったとき、〈悪しき技を否んで〉人面獅子が咆哮したという記録がありました」
「悪しき技って、君何か違法な魔術を使ったのか?」と、エドガーが心配そうに訊ねてくる。
エレンは苦笑した。
「とんでもない。ごく普通に、この堂全体をわたくしの領域とみなして、阻害反応を確かめるために魔力を注いだだけです。思いますに、あの自動機械人形は、製作者以外の魔力を感知すると咆哮する仕組みに――」
エレンがそこまで説明したとき、またしても入り口の外から甲高い咆哮が響いた。
四人がびくりと顔を向けた瞬間、黒く大きな獣の影が入り口から飛び込んできた。
三頭犬だ。
小牛ほどの大きさがある。
同時に鋭く凛然とした女性の声が響いた。
「――出てこい侵入者ども! 三頭犬に引き裂かれたくなければな!」