頑張ったんだけどな……。1
ペチ、ペチ、ペシッ。
じんわりと頬が痛い。本来であれば、何事かと思い飛び起きるのだが、今日は緊張していて、眠っては覚醒してと浅い眠りを繰り返していたので知っている。
鍵の開く音、扉の開く音。
床がギシギシと音を立てて、彼は私のベットへと座りこんだ。
起きるのが面倒で目を瞑ったままでいると、ペシッと強めに頬を叩かれる。
……まったく……非常識な!はいはい、起きれば良いんでしょ、起きれば!
ガバッと上半身を起こす、すると目の前には、無表情のローレンスが居た。どんな嫌味を言ってやろうかと思ったのに、笑顔でもなく、怒っているでもない、強いて言うなら拗ねているような珍しい表情の彼に呆気に取られた。
「……どうかしたの?」
思わず、問いかけた。まるで初めから同じ部屋で生活しているもの同士の会話のようだった。
「君に心当たりがあるはずだけれど」
「さぁ……全然、分からない」
彼が来たら言おうと思っていたセリフだ。
本当なら、普通に呼び出されたり、昼に部屋を訪れてくれることを想定した言葉だったが、考えておけば、こんな起き抜けでも言えるものなんだなと思う。
……というか、今日はしっかり休みたかったんだけどなぁ。まったく、タイミングが悪い。
固有魔法の授業の日から一週間、ずっと練習を重ねていた。今日がその成果を出す日、模擬戦の日だ。
今日が決戦の日なのだ。今日私は、ヴィンスとやっと向き合うことができる。
無言のローレンスを放置して、ベットから降りる。どうせ彼はしばらくここにいるだろうと思うので彼ように用意していたジンジャーティーを淹れるのだ。
「ふあぁ…………貴方も飲むでしょ」
椅子を引いてこちらに座ってと合図すると彼は素直に従う。寝起きのルーティンとして、窓を開けて、リボンを結んで、軽く髪を整えた。
「頂こうかな」
「うん」
彼は頬杖をついて、私の手元を見つめる。
……そんなに見ても面白いものじゃないと思うんだけど。
自分でも何度か飲んでいるので、割と手際はいいと思うのだが、見られていると思うと少し手元がぎこちなくなる。
なんとかこぼすこともなく完成させローレンスの前にだし、自分も向かいに座ってジンジャーティーに口をつける。
……うん、美味しい。
起き抜けの頭も多少、目覚めてきたような気がする。寝ぼけてローレンスと話などしたら、ろくなことにならないと思うので、なんとか自分をしゃっきりさせる。
しかしバシャッと音がして、ローレンスが手を滑らせてしまったのかと、彼の方に視線を移すと、彼はヴィンスが買ってきてくれた、私のお気に入りのティーカップを床に落とした。
パリンと歯切れの良い音がして、カップが真っ二つに割れる。驚きで彼が何をしているのか理解が出来なかった。
そして彼は何を言うでもなく、じっと私を見つめる。
…………自分で飲むって言ったんじゃないの。
驚きから硬直していると、ローレンスはふと私から目をそらす。なんだか反応したら負けな気がして、再度ジンジャーティーを飲んだ。
私が彼の行動をじっと見つめていると、しばらく沈黙した後に、おもむろに急に立ち上がる。
こちらへとやってくる彼は、私の髪を束ねて掴んだ。
「ッ、いっ」
「……」
椅子から引きずり下ろされて、視界が回転する。ローレンスは魔法を使っていなかった。
魔法を使えば抵抗できる、最近は用心のために使える状態のまま生活を送っていたので、それが功をそうしたのかもしれない。
…………ま、待って、でも。魔法を使ってない相手に、魔法を使ったらどんな怪我をさせてしまうか分からないしっ。
頭全体が痛くて、リボンが解けた。あまりに唐突な行動に何がしたいのかまったく分からなくて、引っ張られるまま、ズルズルと引き摺られて行く。行先は先程開けた大きな窓だった。
外には丸いバルコニーが付いていて、腰の高さぐらいの柵が設けられている。
……ああ、もう。痛いっなんでっ、こんな。
髪を離して貰おうと、彼の手を掴むが、思った以上に力が入っていて、指一本でも外れそうにない。
躍起になって、彼の手を外そうとしていると、ローレンスはパッと手を離した。私は、髪を引っ張っていた反動で、バルコニーに倒れ込む。
それを彼は背後から、私の腕を捻りあげるようにして掴み、バルコニーの柵へと押し付ける。
「痛いっ、てば!ローレンス!」
このままじゃ落ちちゃうと思って反射的に仰け反るが、ローレンスは容赦なしに私の腕ごと背中を押す。腹に柵がくい込んで、力の差から段々と頭が下がってくる。
……っ、ッ〜。
落ちてしまえば死ぬとわかっているのに、何故か私は魔法を使わなかった。正直、私の心の中では、ローレンスと我慢比べをしているつもりだった。
直観的な問題だが、彼は底なしの寂しがりだと私は思っている。だから、私を殺すような事はしないと思う。……多分、本当に確証は無いけれど。
だって私を殺したいなら、さっさと部下にそうさせればいいのだ!それが無いって事は単純な脅しだ。怖いが、それでもすごく怖いが。
頭に血がのぼって呼吸が上がる。
腕がギリギリと締めあげられて、呻き声を漏らした。
肩で呼吸を繰り返し、上まぶたに溜まって行く涙が、ぽたぽたと落ちた時、やっとローレンスの声が後ろから聞こえた。
「……思い通りにならない事は、慣れているつもりだったんだけれどね。どうやら私は、君に対して少し感情的になってしまうらしい」
「……っ、はあっ、そ、そうっ」
「こうしてみて、何がしたかったのかと問われれば……そうだね、強いて言うなら君の命乞いが聞きたくなったというかそんな程度の事なんだが」
「とり、あえずっ、っゔ、離して、くれない」
「私が君の言うことを聞いてあげる義理がないな。この状況を打開したいのであれば、泣きわめいて、助けでも呼んでみるのはどうだろう」
平常どおりの透き通るような聞き心地の良い声に、背筋が凍る。私はもう少し彼の事を常識的な人間だと思って接していたのだが、認識を改めた方が良いような気がする。
悪魔のような人とかではなく悪魔だし、最低な男とかではなく、犯罪者だ。
「やらないって、そんな事」
「何故かな。私と繋がっていると言うだけでヴィンスを遠ざけるほど、私を嫌っているのだろう?助けを呼ばれて女性に乱暴をしていると知れ渡っても私の自業自得じゃないか」
……確かに、そうだけれど。そうじゃないんだ。そういう事じゃない。ローレンスは私の命乞いが聞きたいんじゃない。この人は自分がイライラしている自覚はないのか?




