第一話『赤い髪の道士』②
優しい声が言った。
「別にね、霊力が使えるからって道士が特別なんだってわけじゃないんだよ」
「この世の全ては、成すべきこと、果たすべき役割、つまり『魂』を与えられて生まれてくる」
「生き物だけじゃない、岩には岩の、風には風の魂が宿っていてその役目を果たしている」
「その魂が持つ『役目を果たすための力』が霊力で、私達道士はそれが目に見えて、コントロールすることでいろんな術を使うことができる」
「それは強い力で、普通の人たちにはできないことも簡単にできたりするから、たまに私達を神様みたい扱ってくれる人もいる」
「でもね、道士じゃない普通の人にも魂があってそれを懸命に全うしようと生きている」
「兵士として、農民として、猟師として、医者として、母として、子供として、姉弟として」
「みんながみんな、ちゃあんと魂を燃やして生きているからこの世界はこんなに明るくてあったかい」
「私達道士は、他のみんなが魂を燃やせるように、不遇のなかで何かを諦めてしまわないように、その手助けをするために力を使うの」
「だからね、タオ。絶対に忘れないで」
「私の仇討ちなんかのために、あなたの人生を捨てたりしないで」
その優しい声の持ち主は
少女と同じ顔をしていた。
「天華姉ぇ!!!」
ばっ、と赤毛の少女―――タオが跳ね起きる。
何かをつかもうと伸ばした手は、虚空に流れるだけだった。
「………………ああクソ、日和りやがって。情けねえ」
部屋を舞うホコリが朝日に照らされているのを眺めながら、タオは自分の頭を強く小突いた。
昨晩タオが選んだのは、この街で一番入口に近い宿の、一番安い部屋だった。
部屋の作り自体は他の部屋と変わらないのだが、少し前に客が壊したという天井や床がそのままになっているのである。
床の方には足を踏み外さないようにと木の板が敷かれているのだが、天井の方は修理らしきことは一切されておらず
屋根裏から木のクズやホコリがぽろぽろと落ちてくる音がする。
金を節約するためとは言え、昨日の自分の選択に少しばかりの後悔をする。
共用の洗面台で顔を洗い口をすすぐと、タオは荷物を持って階下に下りた。
宿の一階は食堂になっていた。かなり繁盛しているようで、狭い店内には収まりきらない座席を表に出している。
「おはようさん、昨日は良く眠れたかい?」
店主が水差しに氷を補充しながら、タオに声をかけてきた。
「一応な、……………古い店にしては結構賑わってるんだな」
「ああ、うちは建物こそ古いが飯はこの街で一等賞よ! あんたもなにか食わねえか?」
「そうだな、さっさと出せるの適当に。あとは昼飯用のサンドイッチ頼む」
「了解、じゃあ卵粥でいいな。点心は?うちのごま団子は絶品だぜ?」
「あいにく持ち合わせが少ねえからな、今度にするよ」
「おっと、そういやそうだったな。じゃあ少しだけ待っててくれ」
タオにお茶のはいった湯呑を渡すと、店主は厨房に入っていった。
手持ち無沙汰のタオは、特に味わうわけでもないが湯気のたつ茶をちびちびと舐めるように飲み始める。
『今度都の方ででっけー祭りがあるってはなしじゃねえか。そこでイロイロと仕事がありそうだから一緒にいかねえか?』
『ほら、あそこの花屋さんのお隣のうどん屋さんの真向かいによく来てた貸本屋さん、こないだ捕まっちゃったらしいわよ』
『まーた塩が値上がりすんのか、東の連中は強欲だねえ』
店内の客はまるで口が2つずつあるかのように、それぞれが朝食を取りながら思い思いに言葉をかわしている。
一つ一つを聞き分けることができない音の波となったそれは、ラジオのノイズのように耳障りであった。
「―――で道場の連中をぶちのめして、ついでに師範まで返り討ちにしちまって破門よ!まぁ、あんな小さな道場こっちから払い下げだがな」
3つほど離れた席で、大柄な男が相応以上の大きな声で喋っているのが聞こえてくる。
その男の相手は、どうやら舎弟か何かのようで男の大げさな武勇伝に調子よく合いの手をいれている。
その男の大きな声に周りの客も鼻白んだようすだが、その威容を恐れてか意識的にその席の方を見ないようにしている。
その男の席に、女性店員が料理を運んできた。
盆いっぱいの料理を次々とテーブルに並べていく
「お、うまそうな料理。ま、一番うまそうなのは店員さんだがな!」
「は、はあ。ありがとうございます」
下卑た笑いを浮かべた男に、引きつった微笑みで返す少女。
最後の料理を置き、厨房へ戻ろうとするその手を大男の手がつかんだ。
「きゃっ、な、なんでしょうか?」
「いやさ、こんなにたくさんの料理俺たちだけじゃ食べ切れそうにないからよ、一緒にお話しながら食べようぜ?」
「困ります………………あの、お仕事がありますので」
「少しくらいなら大丈夫だって、客の相手も仕事だろ?」
「そうそう、こんだけ注文してんだから少しくらいはいいじゃないか」
舎弟の男もそう言いながら自分の席を少女に譲ろうとする。
困った顔の少女が他の店員に助けを求めるが、その後ろの大男の眼光に怯み目を背けるばかりである。
「心配するなってちゃんとチップは弾むからよ、こう見えて金は結構もってんだ。オレはもともと都の方で修行してた道士だからな。
妖魔退治に用心棒、たまににゃあ封霊石の充填とかな。その気になりゃあ一晩で10万環くらい訳なく稼げるんだぜ?」
「そ、それはすごいですね………………」
腕を掴まれたまま少女は応える。
ちょうど彼女の一ヶ月分の給金が10万環程度になる。
フルタイムで働いたとしても20万に届くかどうかといったところだ。
この街の住人の懐事情も、似たりよったりといったところだろう。
男の言葉が本当なら、たしかに、見た目にそぐわない高級取りといえる。
「しかしなぁ、道士社会ってのもあれでなかなか面倒でなぁ。やれ礼儀だ、やれ血統だでうるさくてたまんねえ」
「そうなんですね………………」
「せっかく道士になったんだからそんなしがらみなんて気にせずによ、好きにやりてえってんで道場を飛び出して来たのさ。
このあたりでちょっと名を上げて自分の流派を立ち上げれば金も今の何倍も稼げるからな!」
「その時はおいらが師範代っすかねえ?」
「馬鹿言え、お前はまずは雑用からだ」
「ひどいっすよぉ~~」
と、ユーモアの欠片もないやり取りの中も、少女の手を握る力は緩めない。
まるでトラバサミにかかった獲物のように、少女は抵抗をやめついに椅子に座ろうとする。
「おい、くっっだらねえ相手の客してないでさっさと次の料理を運んでくれ。それがあんたの仕事だろうが」
雑音を切り裂くように、静かで冷たい声が店内に響いた。
一瞬、大男も女性店員も、他の客もあっけにとられ声のした方向に目を向ける。
声の主であるタオは先ほどと変わらず椅子に座ったまま、首をひねるようにして大男たちを睨んでいた。
大男はあっけにとられたのか少女の腕を握る手を緩めていた。
少女はそれに気づくとすぐに手を引き抜き厨房へと逃げ込んでいく。
大男は「あっ」と小さく声を上げるが半端に腰を浮かせるだけで無理に追いかけることはしなかった。
タオは少女が厨房に消えるのを見送ると、大男から視線を戻し、特に頼む予定もないメニュー表を手に取り眺め始めた。
「おいてめえ!」
舎弟の男がズカズカとこちらに歩いてきて、タオの手元からメニュー表をひったくる。
大男の面子を潰されたことに憤慨しているのだろう、顔を真赤にしながらタオを睨め上げた。
タオは男を一瞥だけすると、すぐに興味を失い今度は七味の瓶を手に取る。
「唐辛子、山椒と陳皮と胡麻に麻の実、青のり、………………あー、紫蘇か。いつも紫蘇だけ忘れちまうんだよな………………」
「成分表示表見てんじゃねえ!どんだけ俺に興味ねえんだ!!」
沸点を越えた舎弟の男が、タオの肩をつかもうと手を伸ばす。
―――が、その腕を大きな手が握り止めた。
「おいおい、トリガラよ。他のお客さんに迷惑かけちゃあいけねえぜ」
「あ、兄貴?」
「いやあすまんねお嬢ちゃん、こいつはこう見えて結構手が早いところがあってな。これはお詫びの印だ」
と、大男は手に持っていたセイロから肉まんを1つ差し出してくる。
「そりゃどうも」
タオは、男の手に握られた肉まんは受け取らず、セイロの中から直接1つ肉まんをつまみ上げた。
それを見た大男はにやりと笑う。
「そう警戒するなよ、薬でも盛られてると思ったか?」
「いや、単純に『手が汚えから嫌だな』って思っただけだ」
「ふはは!!いやたしかに!オレはデリカシーってものが足りねえなぁ!」
タオの不躾な物言いに一瞬眉を寄せたお男だが、大げさに笑いながら手に残った肉まんを口に放り込みながら大男はタオの隣に腰掛ける。
「わかるぜ、お嬢ちゃんも道士だろ?」
「一応な」
「やっぱりな!きっとそうだと思ったぜ。嬢ちゃんが初めてだぜオレにビビらずあんな物言いしてくるやつは」
「他の連中が腰抜けなだけだろ。道士かどうかは関係ねえ」
「いやいや、大いに関係あるね。特にお嬢ちゃんみたいな美人にはな」
「へえ、この顔が美人ってのは動かしようがない事実だが………………それがなんで関係するんだ?」
美人、と褒められて少しばかり気を良くしたのか、タオは少しばかり表情を緩め、セイロから2つ目の肉まんを取りながら会話を続ける。
「決まってるさ、あんたみたいな美人にゃあ次から次に悪い虫が寄ってくる。それを追っ払えるだけの腕がなきゃ一人旅はできるわけがねえ。そうだろ?」
「たしかに、な。アンタみたいなのはどの街にもいるからな」
「追い払ってみるかい?ただひとつ、オレが他の男と違うのは腕利きの道士ってことさ。あいにくと破門されたばかりで、活動証も持っちゃいねえが実力は都でも相当のものだったんだぜ」
「ほーん、そりゃすげえ。だったらこんな田舎に来る必要もなかったろ」
「へ、とぼけるなよ、嬢ちゃんだってわざわざこんな町に来たんだ。知ってるんだろ『梁山泊』のことを」
梁山泊の名前が出た瞬間、ほんの僅かにタオの表情が変わる。
それも一瞬のことで、すぐに元の表情に戻ると湯呑の中身を一気に飲み干した。
だが、男はそれを見逃さない。にやりと笑い話を進める。
「今は国内に大小あわせて三百近い仙洞があるって言われてるが、梁山泊はその中でも序列四十六位に位置づけられてるいわば名門の1つだ」
※仙洞:道士が修業をするための場所・集団のこと、主にその流派の本部の道場を指す。
「普通、名門の仙洞ってのは血統やらコネやらがないとまず入門すらできねえが、梁山泊は違う。腕さえあれば生まれ育ちも関係ねえし、
ありがたいことに犯罪歴や他所で破門になった訳ありの道士でも入門させてくれるらしいが………………嬢ちゃんもなにか訳ありなタチかい?」
「………………」
大男は図星だろう?と得意げな表情を浮かべる。
先程のことといい、この大男は見かけによらず相手のことを油断なく観察する目を持っているらしい。
そしてその能力を自慢気に他人にひけらかす。
道士にありがちな、悪癖の持ち主であった。
タオは表情も変えず、言葉も返さない。
それを、大男は肯定と捉え気分をよくして言葉を続ける。
「俺らは梁山泊に入って名を上げて、都に戻るって算段なのさ。………………もっとも、前のところと同じく俺が師範をぶちのめしちまう可能性もあるがな!その時は俺が梁山泊の主になるつもりよ!!
気に入らねえ連中をぶっとばして!しがらみに関わらず己の腕で金を稼いで成り上がる!そう!それこそが道士のロマンさ!そうだろう?」
大男がつばを飛ばしながら演技がかった言葉を紡ぐ。
どこを切っても慎ましさのかけらもない、いっそ清々しいまでの私欲の発露である。
「道士の基本理念からはだいぶ外れた事を言うんだなあんた」
「は、『道士は粗を是として、民の規範となるべく節制を心がけよ』か?今更そんな事真面目に守ってる奴はほとんどいねえよ。
道士は強え、だから金も稼げるし好き勝手できる。そんな当たり前のことを誤りみたいに言われる筋合いはねえよ」
「………………まぁ、な。そういう道士はみんな損して早死するだけだ」
「そうそう、そういう救いようのねえ馬鹿はほっといて、賢い道士は自分の力をどこでどう売るかを真面目に考えるのさ。で、本題だがよ、俺たちと一緒に梁山泊まで―――」
「結構だ、別のやつを誘ってやれよ」
と、男の言葉をまたずに。タオはその提案を断った。
「おいおい、つれねえな。下心があるのは確かだが、アンタにだって悪い話じゃないはずだぜ?仙洞までの山道にはかなり強い妖魔が出るって噂も―――」
はっ、とタオは鼻を鳴らし、初めてまっすぐに男の目を見た。
緑色に燃える、美しい瞳だった。
普段の男であれば、目の色を翡翠に例えて褒め囃していたことだろう。
しかし、男がこのとき連想したのは夜に光る猛禽のそれであった。
「さっきアンタが自分で言ったんだぜ?俺は道士で、力があるからこうして一人で旅をしている。めちゃくちゃ美人なのにな?寄ってくる悪い虫も、妖魔も自力で払って旅をしてきた。
アンタだって師範をぶっ飛ばしたとかいうご自慢の腕前で妖魔だって倒せばいいじゃないか。なんでわざわざ連れ合いを求める?」
「なんでってそりゃあ……………… 逃げるにしても戦うにしろ、そりゃ、人数は多いほうが良いだろ?」
なにか、いたたまれないものを感じて思わず少女から目を背けながら、男は答えた。
その答えを聞くやいなや、タオは大げさにため息をつく。
「無頼を気取る道士のくせに『人数は多いほうが良い』、か。―――連れ合いがいねえと山登りもできねえならツアーガイドにでも転職しろよ」
話は終わりだ、とばかりにタオは大男を視界から外す。
ちょうどその時配膳の店員が―――おそらくは少し前からそこにいて、声をかけることができずにいたのだろうが、タオの注文した料理を運んできていた。
湯気の立った卵粥だ、そこにたっぷりと刻んだネギとごまが乗せられている。
タオはレンゲを粥に差し込みたっぷりとかき混ぜてから一掬い、ふぅふぅと冷ましてから口に運ぶ―――その瞬間である
バキィ!
大男の拳が机を叩き割り、配膳されたばかりの料理がその衝撃で宙に舞う。
くわん、とプラスチック製の器が床に叩きつけられ、パイタンの香りのする卵粥がびちゃり、と広がった。
突然の騒ぎに、店内の人間が一斉に振り向いた。
そして、騒ぎにすこしでも巻き込まれないようにと座ったまま壁際に向かって椅子を動かした。
「喧嘩を売ったのは嬢ちゃんだよな?」
大男からは先程までの気安さが消え去り、タオにはっきりと敵意を向ける。
「おいおい、一人で喧嘩できるのか?人を呼びたいなら待ってやってもいいぜ?」
レンゲに残った一口をちびちびとなめながら、タオは面倒そうに腰を上げる。
その緩慢な動作とは裏腹に、その翠緑の瞳には爛々と期待に燃えていた。