１－１ 罪人、浮遊地に上陸する
「さっさと進めよなぁ。寒い寒いってうるせぇ……」
「てめぇの『冷気』のせいだろ、降りやがれ！」
ドンッ！ とブチ切れた辻馬車の御者に足蹴りされて、アベルは都の端に転がり降りた。
衝撃で、ガムを噛んでいた歯が内頬に軽く刺さる。
「前金は慰謝料としてもらっていくぜ」
「御者、ちょっと待て！」
立ち去る馬車に手を伸ばした時、御者がブルリと震えてくしゃみをする。
さすがに引き留められなくなって、アベルは道に座り込んだまま周囲に視線を向けた。
（洋風の浮遊地に来たのは初めてだな）
薄汚れた長細い石造の建物が、幅の狭い路地に競り立っている。
十二階建てぐらいだろうか。
建物同士はくっつき合い並びに並んで、てっぺんに広がる天を小さく切り取っていた。
その天の色は、恐ろしいほど青い。
「久しぶりに、雲の上だな」
ここはアスペクト・ステップ――世界三大浮遊地の一つである。
到着を実感した途端、グゥーと腹が鳴り始め、アベルは新しいガムを求めて革ジャンのポケットに両手を突っ込んだ。
すると、ガムではなく、銅貨三枚が指に触れる。
今の彼の全財産だった。
「これじゃ、宿もとれねーな。……グリモワールを売って金をかせがねぇと」
魔導を勉強しているアベルは、この間まで東の賢人と呼ばれる偉大な女性の元で修行をしていた。
彼女は魔法に関する学と、ありとあらゆる知識を与えてくれた。
だが、彼女はアベルの最大の弱点を消滅させることができなかった。
『――西の賢人なら、きっと知っているじゃろうけど』
そんな風に、東の賢人がアベルに漏らしていたことがある。
その直後、彼女は否定したが、否定されればされるほど真実のような気がしたのだ。
だから思い切って旅立ったのである。
東の賢人が行くなやめろと言っても、未来を切り開くためには、この身に宿る最低な弱点を克服しなければならない。
そして、その西の賢人は、現在、このアスペクト・ステップにいるはずだった。
「ニャー！！」
小汚い古本屋に近づくと、店頭で腹を出して寝そべっていた猫がスクッと立ち上がった。
「フーフー！！」
猫はアベルに威嚇のポーズをとり、全身の毛を逆立てている。
「フシャー！ フーフーフー！！」
猫だけではない。
店主は本を抱きしめてうろたえている。
店の前にいた客達も鮫から逃げる魚群のように素早く路地に散っていった。
彼らが目撃したアベルの姿は、下記の通りである。
短め黒髪ドレッドヘア、若いのに眉間にクッキリとした皺、怒っているような眉、腹が空いて獰猛になった豹を思わせる猫目と身体……。
服装は、銃痕がある黒革のタイトなライダースジャケットに、擦れプリントのレッドスカルのＴシャツ、ダメージが酷い黒の革パンにはき古した黒のレースアップブーツ、血が滲んだ包帯で左手をぐるぐる巻きにしている。
だが、彼らの反応は、その悪そうな姿のせいではなかった。
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