想いのベクトル〜とある男子高校生の場合〜
(学校って、けっこう平和だったんだな……)
終業式とホームルームを終えた下校時刻。
下足箱から外履きを出したところで後輩女子に呼び止められた左門律は、彼女の友人と思わしき一団に囲まれながら、体育館と駐輪場の境目にある一角に連れ込まれた。――語弊はない。
本校舎と体育館を繫ぐ渡り廊下の横であり、木々や植え込みがあるため死角でもある。
格好のいじめ現場にもなりかねない場所だが、律はそんな心配はしていなかった。むしろ。
「ええと。雛田? どうした」
声をかけてきた二年女子は、もう引退してしまった弓道部の後輩に当たる。
彼女は背後を親衛隊よろしく女友達三名に守られながら、こういった場面にはそぐわない気負いなさで用件を切り出した。
「左門先輩。大学部への推薦、取られたって聞きました。おめでとうございます」
「あぁうん。ありがとう」
「つきましては、あの……」
「?」
一転、もじもじとし始めた後輩が視線を逸らす。
おもむろに礼をすると、やけにきっぱりと手を差し出した。背中のポニーテールが跳ね上がるほどの元気良さだった。
「お願いします! 付き合ってください! 冬休みの間だけでいいんで」
「断る」
「えぇえっ」
「「!!」」
「早ッ!! 容赦なッ!?!?」
のけぞる雛田。固まる友人たち。うち一人は的確な突っ込みまでくれた。連携か。
律はやれやれと嘆息しつつ、それでも手袋を付けた右手で後輩の手をとり、握手をした。
とたんに、場に黄色い歓声が満ちる。
「っ、ーーーーー!!!」
「気持ちはありがたいけど。そういう期間限定な物言いって良くないよ。あと、相手見て言え」
「…………先輩だから、言ったんですけど」
「何?」
「なんにも、ないです」
「……」
ないことは、ないんだろうな。
わかってはいるが追及はしない。
雛田は真っ赤になりながら、ふいっとそっぽを向いてしまった。その、癖のある前髪の生え際に視線を落とすと、しぜんに後ろの女子たちとも目が合う。
遠慮なくガン見されている。
律は、ふ、と頬を緩ませた。
「「「!!!」」」
(見覚え……は、ないな。文化部系か)
とりあえず親衛隊(仮)を流し見て、面識がないことだけは確認する。
が、なぜか一様に目をみひらき、頬を染める彼女たち全員に向けて、この際なのでこの日、お決まりの台詞を告げた。
「――良いお年を。今日がイブだからって無茶しないで。遊んでもいいだろうけど、さっさと帰れよ」
「は、はい!!!」
じゃあな、と手を上げ、駐輪場へと踵を返す。
彼女たちは幸い追って来なかった。
例年に比べ、じつに平和なことに第二陣、三陣の襲撃もなく、律は大変おだやかな面持ちで自転車の鍵を外し、サドルにまたがる。
校門を出て左へ。校舎前の坂道を、風を切って下った。
――――期間限定どころか、今日一日だって付き合えない。
なにしろ、自分には好きな女性がいる。
✻ ✻ ✻
カララン、とドアベルを鳴らして縦縞の摺り硝子の扉を引いた。
いちおう、着替えてきた。
もはや高校生にして行きつけにしてしまった、地元の和雑貨カフェ“み穂”のなかは、案の定クリスマスシーズンにしては落ち着いている。
が、それとなくもみの木っぽい観葉植物の鉢を赤いリボンで結わえたり、小ぶりな金色のオーナメントで飾ったり。季節感はありありと感じられた。何より――
「いらっしゃい、律君」
「こんにちは、湊さん」
ふだん週末しかいないはずの彼女が、繁忙期のために金曜日の今日も出勤してくれているのが喜ばしかった。イベント万歳。
きょろ、と店内を見渡し、迷わずカウンター席に掛ける。
「誰もいないね。店、忙しいんじゃなかったっけ?」
「私もそうだと思ったんだけど。店長も実苑さんも二階の呉服店舗にかかりっきりなの。ほら、年末でしょう? 常連さんは、たいていこの時期に『自分へのご褒美』をお買い求め下さるんですって」
「あー、なるほど。ボーナス」
「そうそう」
何にする? と、にこやかに注文を聞かれ、珈琲を頼むと小鉢が付いてきた。覗くと甘い香り。
かわいらしいサイズの白玉団子が二つ。お汁粉だった。
湊は申し訳なさそうに微笑む。
「ごめんね。世間一般的にはケーキのほうがいいんだろうけど。み穂の今日のサービスは純和風なの」
「いえいえ。いただきます。うまそう」
小腹は空いていたし、積雪にはまだ至らないとはいえ、外はそこそこ冷える。ありがたく添えられたスプーンで湯気の立つ小豆をすくい、口に含むとめちゃくちゃ美味しかった。
「うまいです……来て良かった」
「あははっ。そう? 良かった。煮込みは私も手伝ったの」
「独り占めしたいです」
それは無理だなぁ、などとはぐらかされつつ、彼女が通常業務に戻るのを見送る。
店内にはほかに客はおらずBGMもない。
時おり、近くの商店街を通る自転車のベルや二階の足音、話し声や笑い声が届く密閉された空間に彼女と二人というのは、不思議な緊張と心地よさをもたらした。
持参した宿題を軽くこなしながら、練り香やハンカチ、ショールなどの陳列した商品を整える横顔を盗み見る。
――色が白い。年齢は確か二十七。
今年の春、ひょんなことで知り合い、友人のような関係になった。夏に抑えきれず、断りなくキスした。
その後、秋まで避けられまくって(自業自得)ふらりと高校の文化祭に現れたところを捕獲した。(たまたま、用事があって来たらしい)
呉服屋兼和雑貨カフェの店員らしく着物を着こなし、おろせば肩下になるダークブラウンの髪を簡単に結っている。黒地に白い雪の結晶があしらわれた袂と裾が大人っぽくも可憐で、襟はあたたかそうで繊細なレース。帯は白からグレーのグラデーションで、帯締めに深緑のちりめんを使っていた。
長い睫毛。優美な口元に目を奪われるのは自分だけだろうか。仕事中は凛として見えるが、話すとおっとりとしている。しぐさも綺麗だ。
離婚しての独身だとか、年の差が九つだとか。
告白をないも同然にされてしまっていることを含め、諸々、前途多難としか言いようがないのだが。
(―――俺は)
ふいに柱時計が鳴り、午後六時を知らせた。「あ」と動きを止める彼女に、ぴん、と察しがつく。
律は、すみやかに問題集を閉じた。
「上がり? 湊さん」
「うん。ごめんね律君。構わないで、ゆっくりしてて。いま店長に言って――」
「いいよ、俺も出る。っていうか、今日は忙しい? できれば一緒にいたいです」
「!! えっ……、え!? いやそれは」
「はい、会計」
「あ、はい」
しゃんしゃんとコートに袖を通し、伝票を渡してレジまで歩く。
まだ警戒心がつよく面に出ている年上のひとに、奥の手とばかりに小首を傾げた。
「うまいケーキ屋を友人に教わりました。駅裏に。ここからなら歩きで行けるみたいです。でも、男一人で入るのがちょっと」
「…………恥ずかしいってこと?」
「ええ。お礼に奢ります」
✻ ✻ ✻
十分後、店を出てひと気のないアーケード街をゆく。寒いし、イブだし、ここは田舎だしでみんな交通手段は車が主だ。
それでも、川沿いにはささやかだがイルミネーションの光が連なっている。
目印のようなそれらを辿り、目的地には難なく着いた。
事前情報のとおりまだ新しい店で、ちょっとメルヘンな外観に、口実でもなく湊が一緒で良かったと胸を撫で下ろす。
「どれがいいかな」
「えーと。じゃ、季節のショートケーキ。湊さんは?」
「あ、苺のタルトで」
サンタの帽子を被った売り子から箱を一つずつ受け取り、来た道を戻る。
とりとめのないお喋りをした。
やがて“み穂”の駐車場に戻る。街灯は遠く、当然暗い。
車に乗る彼女を、自分も自転車のペタルに足をかけながら見守る。
「ちょっと待っててね」と言われ、大人しく待つと、再び出てきた。すると。
「え。これ――!?」
「メリークリスマス、律君。いつもありがとう」
手のひらには少し余る、細長い箱。青っぽい包み紙に金のリボン。
ま さ か の !!!
(嘘だろぉぉぉ……なんで、こんな男前なことすんだよ、このひとは)
律は力なくハンドルにもたれた。
ちなみにプレゼントは離さない。握ったままだ。くぐもった声で、ぼそぼそと言い募る。
「何でですか。どうして、こんなに準備いいんすか」
「ええっと? こっちに引っ越して、いちばんお世話になってるのは、きみだから」
「……そうですか」
やばい可愛い。
もだえ死ねる。
あわよくば家に転がり込みたかった俺の!
邪な! 心が!!!
――――いい感じに下心を抹殺された律は、ハンドルに突っ伏していた顔を湊に向けた。
好きです、と言いたい気持ちをぐっと堪えて見つめる。
ほんのり、彼女の目元が赤らんだのは気のせいだろうか?
いつか絶対、一緒に過ごすと心に決めた。
闘志は内に秘めてふわりと微笑む。
「ありがと。またお礼させてね」
✻ ✻ ✻
帰宅後は速攻で自室へ。
リボンをほどき、包装紙と箱のなかから出てきたのは質の良さそうな万年筆だった。高い。渋い。
しかも本体は使いやすそうな定番色でブルーブラック。ペン先は金。添えられたカードには常套句の印字が一文のみ。
くるり、と返すと「勉強がんばって」と手書きされていた。
……。
………………本当、もう、気持ちとしては踞りたい。
「参った……」
どんなに惑わせたくとも。
どんなに、振り向かせたくとも。
こうまで真摯に受け入れてもらえて、無言の好意を示されると、そうたびたび無理な接触はできない。
そうだ、せっかくの冬休みだ。
恋人にはまだ候補にすらさせてもらえないなら、いっそ清らかに年末の神社参拝などに誘おうと思い立つ。
「そうと決まれば……っとと」
開けたままだったカーテンを閉めようとして手を止めた。遠く、白い月が浮かんでいる。
触れたい。でも、遠い。
ギッ、と椅子を鳴らして腰かけ、背もたれに寄りかかる。
しばらくは勿体なくて使えそうにない万年筆をかざして目を細めた。
意を決し、スマホに指を滑らせる。
――Merry Christmas 湊さん。
万年筆、嬉しかったです。ありがとう。
よかったら明日、晩ごはんとかどうですか。
俺、作りたいです。
ていうか、頼むから作らせてください。
☆了☆