ステゴロ 2
「アルベルトさん……大丈夫でしょうか」
アルベルトが相手に向かって行く背中を見ながらリリスが心配そうに呟いた。
「どうだろ。でも防具もなしにタンクが物理系のアタッカー相手に殴り合いで勝つのは大変だろーねー」
エールを大切そうに啜りながらキーシャが返事した。仲間の喧嘩で酒が美味しく呑める彼女は一流の冒険者である。
アルベルトのパンチが勢いよく空を切った。体格の小さいD級冒険者はアルベルトの脇に入り込みボディブローを入れた。
ベアトリーチェが悦びをにじませた声で言う。
「勝てるかどうかはどうでもいいのよ。殴り合い自体が面白いんだから」
「そうですか……」
リリスは「出来るなら勝って欲しいなぁ」と思っていた。金貨200枚のクエストが懸かっているのだ。ただ同時に「なるべく怪我が少なくいてほしい」とも思っていた。パーティー内比較ではとても優しい女性である。
キーシャが戦いから視線をずらし、思い出したようにベアトリーチェに愚痴をこぼした。
「ねぇねぇ聞いてよベア~。アルったらパーティーのお金足りないの全部ボクが呑むせいにするんだよ?頭おかしいよね?」
「あなたが呑みすぎなのは事実だと思うけど……。でもまああの男が頭おかしいのには同意よ」
また、アルベルトは強烈なパンチを顔に食らい吹き飛んだ。周りを囲んでいる冒険者の列へもたれかかり、すぐさまリングへ追い出された。
「あの男、この間なんか私の通信石踏み割っといて、新しいの買い替えもしなかったのよ?」
「そうなんだ……」
同じ話を既にアルベルトから聞いていて、「ベアトリーチェが目の前で落とした通信石をよけきれず踏んでしまった」という詳細を知っているキーシャは適当に相槌を打った。
アルベルトは何とか相手のパンチを受け止め、投げ飛ばそうとしたが、二発目のパンチが飛んできて鼻から血が出た。D級冒険者の顔に余裕の笑みが浮かび始めた。
「A級!てめぇ雑魚じゃねぇか!」
「攻撃もまともに受け止められないで何がタンクだボケ!」
「負けたらD級と入れ替わりやがれ!」
D級が常に優勢なので野次はアルベルトを虐める方へ働き始めた。アルベルトの実力を初めて見るものは、拍子抜けなのもあってヒートアップして怒号を飛ばしている。加えてA級冒険者に対する妬みが表面化してきた。
「ハーレム屑が!女におんぶにだっこで上がってきたんだろ!」
「A級返上しろ!」
「カッコつけやがって、もう二度とデカい顔させねぇぞ!」
当たらない拳、第三者の野次。アルベルトは罵声を聞きながら頭に血が上ってくるのを感じた。捨て鉢になってきて、愚痴をブツブツと呟き始めた。
「何が冒険者だ……喧嘩ばっかのろくでなし浮浪者どもが死んじまえ。やめてやるよこんなとこ……クソ……クソっ!」
彼の殴られ続けで腫れている目が、剣呑な雰囲気を帯びてきた。
対してD級冒険者はこれまでに無いほど気持ちよかった。最初はただ、A級の女に上から目線で現実を突きつけられ怒りを爆発させていた。だが殴り合いが始まればどうだ。自分はA級に引けを取らない。現実の方が間違っているのだと、興奮の下剋上の瞬間だった。
男は調子に乗った。
「俺が勝ったらてめぇ冒険者辞めやがれ!安心しな、『黄金の舞踏会』の女どもは俺が貰っといてやるよ!」
アルベルトは、文句を呟くのをやめた。そしてもうどうでもよくなった。不満が積もり積もったとき、どうでもよくなる、というのが彼の悪癖だった。
「ん……」
アルベルトの纏う空気が変わったのをいち早く感じ取ったキーシャは顔をあげた。だが止めなくてもいいか、と思いまたエールを啜った。目は、アルベルトの背中をじっと見ている。
ここで一つ、冒険者の喧嘩について説明を入れよう。
冒険者の喧嘩には殺意のあるものと無いものの2種類あり、今回は明らかに後者である。そのことは当然暗黙の了解としてアルベルト含め誰もが認識している。これはD級の下剋上!という楽しい演目であり、余興なのだ。当然、誰も結果を本気にはしないし、絶対勝たなければならないような喧嘩ではない。
アルベルトはつかつかと喧嘩相手に歩み寄った。観客は呑気にやっちまえー!と叫んでいる。
「アルベルトは……」
ベアトリーチェが呟いた。
「本当にせこい男よね。『黄金の舞踏会』が嫌われてるのを私のせいにするんだもの」
アルベルトは勢いよく振りかぶって殴りかかった。拳はやはり空を切って、その情けなさに観客はドッと笑った。
もはや和やかな空気になってきて、この見世物はお開きになりかけていた。喧嘩は冒険者の華、楽しかったらそれでいいのだ。飛び交う暴言は、その場のノリだった。
散々楽しんだので、あとは両者の健闘を称え解散で良かった。
「うちのパーティーが嫌われてるのはあんたのせいよアルベルト」
D級の男は体勢を崩したアルベルトを押し倒そうとしたが、体格が違いすぎて倒しきれなかった。とうとうアルベルトは男の腰を掴んだ。
「あんたのその、自分以外どうでもいいって凶暴さが嫌われてる原因じゃない」
ベアトリーチェはそう言って笑った。
アルベルトは勢いよく男を地面に叩きつけた。
ついに反撃か、と観客は期待の声を漏らした。だが次の瞬間
バキッ!
と大きい音が響き、観客は「え……」と静かになった。アルベルトが木の床を踏みぬいたのだ。
いや、狙ったのは木の床ではない。首の骨を狙ったのだ。躊躇は一切なかった。
当たらなかったのはD級の男が咄嗟に避けたからであり、避けていなければ死んでいた。
アルベルトの革靴の底が固い鉄板で出来ていることをアルベルト自身が知らなかったわけがない。彼は今本気で殺す気だったのだ。
調子はずれの声でキーシャが冒険者らしくはやし立てた。
「こらー!今殺そうとしたろー!いつもいつも自分だけは何しても許されると思うなよ人殺しー!経費泥棒ー!」
だが、誰も後には続かずシンとした空気のままだった。アルベルトは妙な空気に困惑してキーシャに慌てて言い返した。
「なんだよ勢い余っただけだろうが!喧嘩中に事故はつきもんだろ!」
「何が事故だー!最初っから引き倒して首の骨だけを狙ってたくせに!」
図星だった。が、彼はキーシャの言い分がまるで冗談かのようにツッコミ気味に言い返した。
「そんなわけあるかい!」
本当に勢い余って殺しかけたのならこんな風にツッコミを入れている余裕はないだろう。いたっていつも通りなのが、アルベルトの異常性の証明だった。
まともな殴り合いでは勝てないからってそんな……。
最初から命を狙われていたと気付いたD級冒険者は青ざめたまま立ち上がり、もう戦意喪失していた。周囲を取り囲んでいたうちの、アルベルトの本性を知らなかった冒険者はみな一様に引いていた。
周囲の様子を見て、喧嘩中に事故で人が死ぬのは少なくないのにどうしてみんな引いているんだろう、とアルベルトは若干首を傾げた。
彼は最初から勝つために相手の首の骨だけを狙っていた。拳を十発入れるのは難しいが、首の骨を一回折るだけなら勝機があるからである。
それを彼は「勢い余って」という言い訳と、「自分はベアトリーチェに巻き込まれて無理矢理喧嘩をさせられている被害者だ」という二点で、許されると考えていた。自分の中でそういう言い訳が立ったら、たとえ余興の喧嘩であっても、人を殺すことに躊躇は無いのである。
恐ろしく自己中心的な男。それがアルベルトだった。
ベアトリーチェが立ち上がり言った。
「ねぇ、早く決着つけなさいよ」
ざわっと周囲は慌てた。アルベルトの友人、B級冒険者のジョンが話の穂を継いだ。
「そうだぞ!気張れよD級、俺ぇお前に賭けてんだからな!」
それから、周囲の反応を楽しんで黙っていた、アルベルトの本性を既に知っていたいくつかの友人や冒険者が戦いの継続を求めて騒ぎ出した。D級冒険者は震えあがった。
「あの~このクエスト、頂いてもいいのでしょうか……?」
決着がついたことを理解しているリリスが依頼書を手にそっと呟いた。
アルベルトの異常性と、異常者の仲間は異常者であることを誰もが思い知った瞬間だった。




