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ポルノコミックのお作法

作者: 村崎羯諦

 十年ぶりに地元に帰ったら、昔好きだった女の子の家が駐車場になっていた。だから何? と言われたらそれまでだけど、十年という月日の重さみたいなものを、僕はその事実から突きつけられたような気がした。


 長い間地元に帰っていないことを誰かに話すと、みんな決まって、あんまりいい思い出がないの? と聞いてくる。両親も別の土地に引っ越したからだとか、仲の良かった友達は大体同じように上京したからだとか、理由はいくらでもあったけど、そういう質問をされた時はいつも決まって、愛想笑いをして誤魔化すようにしている。地元には嫌な思い出もあったけど、思い返せばそれなりにいい思い出もあって、嫌いとか好きとかっていう言葉で片付けられるほど簡単なものではなかった。地元に帰りたいとか、地元が好きとか言っている人の気持ちもわかるし、地元出身の有名人にはどこか親近感みたいなものも感じてしまう。だけどその一方で、地元が心から嫌いだとか、一生戻ることはないんだって言っている人の気持ちもわかる。じゃあ、自分はどう思っているんだろうか? だけど、いくら考えてみても、不思議とそれだけはよくわからなかった。でも、たった一つだけ言えることは、僕が生まれ育った場所は僕が帰るべき場所ではない。それだけだった。


 だからこそ、偶然取れた平日の休みに日帰りで旅行にでも行こうとネットサーフィンをしてて、ふと地元行きの航空便に目が留まった時も、まるで自分とは縁もゆかりもない場所への航空便みたいな感じがした。だけど、僕は何かに吸い寄せられるように、気がつけばその航空便の予約を取っていた。友達に会いに行くわけでもない。親戚の法事に参加するためでもない。それなのに、貴重な休みの日に十年ぶりに地元へ帰って、あてもなく街をぶらぶらするなんて、僕は自分で自分の行動が理解不能だった。


 朝一番の飛行機に乗り、地元へ到着すると、まずは自分の家があった場所の周りを散策した。好きな女の子の家が駐車場になっていることに気がついたのもこの時だった。それから通学路とか、小学生の時によく遊んだ公園をぶらぶらと散歩した後、学生時代によく利用していたバスに乗る。スカスカの車内の一番奥の座席に座って、車窓からぼんやりと街の風景を眺める。バスが中学校が面している交差点に差し掛かり、赤信号に捕まった。平日ということもあり、中学校には在校生の姿が見える。僕は車窓から中学校の校舎を見回した。外壁がベージュ色に塗られた三階建ての建物で、通りに面した別棟の左端が音楽室なのは変わってない。A棟と別棟を結ぶ渡り廊下の手すりはダサいピンク色で塗られていて、そこを教科書を腕に抱えた数名の生徒が駆け足で渡っていく姿が見えた。それから別棟三階の右端の教室へ目を向ける。そこは3-6組の教室で、中学校生活のうちの一年間を過ごした教室だった。だけど、隣やその隣の教室の窓は開いていて生徒の姿がちょっとだけ見えるのに、 3-6組の教室はカーテンが閉ざされていて、中の様子が一切見えない。生徒の数が少なくなって、クラスの数自体が減ったから。答えがわかったタイミングで信号が青に変わり、バスがゆっくりと動き出す。


 久しぶりに眺める街の風景はやっぱり変わっていたけれど、道路の広さとか、変わった形の信号とか、探せばいくつだって昔から変わっていないものを見つけることができた。流れる景色の中で学生時代に通っていた店が不意に目に留まって、どこか懐かしい気持ちになったりもした。その景色一つ一つに昔の思い出が紐づいていて、友達との馬鹿話とか、下校時に見上げた夕焼けの綺麗さとか、色んな記憶が走馬灯のように駆け抜けていく。そして、バスから外の景色を眺めながらふと、この街ってこんなに小さかったんだってことに気がつく。こんなに小さくて狭い場所に、学生時代のほとんど全ての思い出が詰まってる。そう考えるだけで、なんだか胸が締め付けられるような気がした。前方の座席で年配の乗客が小さく咳をする。上に設置されたスピーカーから、地元で展開している学習塾の車内アナウンス広告が流れ出す。


 繁華街前の停留所で僕はバスを降りた。地元で一番栄えている中心街ということもあって活気があり、車窓から眺めていた景色とは少しだけ雰囲気が違っていた。僕は周囲の風景を楽しみながら、アーケード街の中を進んでいく。左右に並ぶ店舗の半分以上は見覚えのないものだったけど、それでも通路の真ん中に置かれたベンチだったり、三階建てのカラオケ店だったり、あちこちに学生時代の思い出の痕跡が残っていた。午前中で授業が終わったのか、僕が通っていた高校の学生とすれ違う。彼らは周りの景色なんて目に入らないくらいに自分たちの会話に夢中で、楽しそうに笑い合っていた。すれ違いざまに彼らが学校の先生の話で盛り上がっていることがなんとなくわかる。時代が変わっても、僕の時代と変わらないことで盛り上がってるんだなって当たり前だけどそんなことに気がついて、少しだけ嬉しくなった。


 そして、アーケード街の半分あたり、一つの建物の前で僕は足を止める。そこは僕が生まれるよりもずっと前からあるミニシアターだった。高校時代。新作映画ではない、ヘンテコで難しい昔の映画ばっかり上映していたこの場所に、僕はなけなしの小遣いのほとんどを注ぎ込んでいた。全然理解できなかった映画を通ぶって面白いと友達におすすめしてみたり、ここで観た映画のパクリみたいなものを高校の映画研究部で撮ったり、色んなことをした。僕の青春の全てなんて大袈裟なものではないけど、僕の今の価値観というか、趣味嗜好といったものはきっとこの小さな映画館で作られたんだと思う。僕は変わらない外観をざっと見回した後で、現在上映中の映画を確認してみる。すると、ちょうど10分後にショートムービーが上映されることを知る。僕は受付でチケットと、学生時代はお金がなくて買えなかったパンフレットを買って中に入った。


 平日ということもあり、劇場には僕以外の観客はいなかった。僕は映画が始まるまでの間、さっき買ったパンフレットを流し読みする。映画は女性向けのポルノコミックを原作にしたR15指定の映画で、九州の映画コンペで最優秀新人監督賞を取ったものらしい。映画の説明の横に、この映画を取った監督と思われる女性の写真が載っていた。彼女はこの地元出身で、年は僕の一個下らしい。そのタイミングで照明が暗くなり、映画が始まった。僕は手に持っていたパンフレットをカバンにしまい、スクリーンに映し出される映像に、じっと身を委ねた。



*****



「いかがでした、この映画」


 映画のエンドロールが流れたタイミングで、突然後ろから声をかけられる。振り返るとそこには見覚えのある顔の女性が立っていた。誰だろうと一瞬考えた後で、彼女が映画のパンフレットに載っていた映画監督だということに気がつく。


「さっき他の用事でこのミニシアターに立ち寄ったんですけど、受付の人から偶然今お客さんが入ってるよって言われたんです。私ですね、私の映画を見る人がどんな人で、どんな感想を持つのかがすっごく気になるんです。だから、時々上映中にこっそり忍び込んで、お客さんに映画の感想を聞いたりするんですよ」


 彼女は楽しそうに微笑みながら、真後ろの座席へと腰掛けた。それから彼女は僕に映画の感想を尋ね、僕もまた映画を見て思ったことをそのまま話した。だけど、それはこの映画のここがよかったとか、ここがダメだったとかいう批評ではなくて、あのシーンを見てこんなことを思ったとか、こんなことを考えたとか、そんなことを伝えた。それがきっと彼女が一番知りたいことだと思ったし、映画っていうのはきっとこうやって楽しむものなんだって最近になって思えるようになったから。


 どうしてこのポルノコミックを原作に映画を撮ろうと思ったんですか? 一通り映画の感想を伝えた後で、興味本位で僕は彼女にそう尋ねた。


「もちろんこの作品が素晴らしいからっていうのもあるんですが……こういうポルノコミックの形式美的な所がすごく好きなんです。いや、形式美というと大袈裟かもしれませんね。お約束とかお作法って言った方がいいかもしれません。」


 彼女は僕の質問に対して、茶化すでも照れるでもなく、真剣な表情でそう答えてくれた。映画と真摯に向き合ってるんだろうな。今までのやりとりとか、彼女の態度が僕にそんな感想を抱かせる。学生時代に自分も真似事で映画を撮っていたから、それがどれだけ大変なことなのかはよくわかっている。すごいねって言われたいとか、あわよくば有名になりたいとか、そういった自分のエゴとか見栄を捨てて、作品と向き合うこと。学生時代の僕は頭では理解していても、無意識のうちにその自意識の罠に引っかかっていて、気がつけばそれで自分を正当化するための言い訳ばかりを探していた。自分が捨てたものを、自分が諦めたものを、ずっと貫き続けた彼女が、僕は妬ましくもあり、だけどそれを吹き飛ばすくらいに眩しかった。


 ポルノコミックのお作法って例えばどんなことなんですか? 僕は最後にそれだけ質問させてもらった。彼女は短い髪をかきあげて、さっきまで彼女の映画が映し出されていたスクリーンを見つめながら、教えてくれた。


「物語の途中で女の子は色んなひどいことに遭うかもしれませんし、死にたいって思うような辛い経験をするかもしれない。でもですね、最後には本当に心から好きな人と結ばれて、女の子は幸せにならなきゃダメなんです。私に取ってはそれが、ポルノコミックのお作法だと思うんです」



*****



 これからも応援してますと最後に伝えて、僕はミニシアターの外に出た。それから学生時代の記憶を辿りながら街を散策し、その後は何のイベントも起こらないまま日帰りの短い旅行は終わった。空港でお土産を買い、空港の待合室で東京着の便の出発を待つ。僕と同じように生まれ育った地元に久しぶりに帰ってきて、これからまた自分が住む東京へ戻って行く人。ビジネスで一泊だけ滞在した人。ここに住んでいて、知り合いがいる東京へと旅行に向かう人。周りの座席に座っている一人一人が、この場所に何かしらの縁を持っているということがなんだか不思議だった。待合室前の開けた窓からは、藍色と茜色の混じった夕焼けに照らされた山並みが見えている。後ろの方で方言を交えた会話が聞こえてくる。テレビ画面にはローカル番組が映し出されていた。そして、東京行きの飛行機への搭乗を開始しますというアナウンスが待合室に響き渡る。


 長い行列に並び、僕は飛行機に乗る。座席は窓際で、楕円形の窓から外の景色を見ることができた。十年ぶりに訪れた地元は懐しかったけれど、それでもやっぱりここは自分が生まれ育った場所でしかなくて、いつか帰ってくる場所ではないという気持ちが変わることはなかった。一日地元を回って気がついたことは、やっぱり自分にとってのこの場所が何を意味しているのかということは死ぬまでわからないってこと。感傷に浸っていないかと言われたら嘘になるけど、時間が経てばこの感覚も少しずつ風化していって、またいつもと同じ毎日がやってくるんだと思う。それでも。例えもう二度と帰ることがないのだとしても、この世界のどこかに自分の思い出が詰まった場所が存在することだけは、忘れないでおこうと強く思った。その事実が、いつか自分の心を救ってくれる日が来るのかもしれないから。


 飛行機が動き出す。強い加速度とともに離陸した飛行機の窓から、街を見下ろす。僕がかつてこの世界の全てだと思い込んでいた街が、僕の思い出があちこちに散らばった街が、飛行機の高度が上がっていくにつれて段々と小さくなっていく。そしてそれから、僕が住んでいた街は薄い雲の下に隠れ、見えなくなった。

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