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07 戀、かたむく

 頼られて悪い気はしないから。

 それは、いつも交わす「おはよ」と同じくらい自然な言い方だった。


 その余韻が戀の胸にふわっと広がった。

 頼ってしまうことを申し訳なく思っているのに、頼らせてもらえることが無性に嬉しかった。情けない姿は誰にも見られたくないのに、それ以上に共有してほしくなった。

 それがはっきりわかったのが太ももに手を当てられたときで、ただ手を当てられただけなのに、彼も痛みを引き受けてくれた気がした。

 充や幸太とは違う、家族という枠の一歩外にいる人だから、甘えられるのかもしれない。


 バスタオルで隠しながら身支度していると、背を向けた絢斗のお腹が豪快に鳴った。ドアの外に出ることなく背を向けて同じ空間にいてくれる。

「お腹空いたよね」

「まあね。むかついたから余計に空いた気がする」

 身支度を整えてバスタオルを畳み、廊下に出ると解放された気分になる。受付の看護師に「ありがとうございました」と声をかけると「お大事に」とお決まりのセリフが返ってきた。

「結城はまだ腹減らないだろ、だったらひとまず帰ろう」

「でもお腹空いたんじゃないの?」

 さっきからぐうぐうと彼のお腹が抗議の声を上げている。

「空いてるけど、この辺で食べる気はしない」

 あまりにもきっぱり言い切る彼がまるで子供のようで、戀は思わず笑ってしまった。

「笑い事じゃないだろ。痛い目に遭った場所の近くで暢気に飯食えるか?」

 痛みを我慢するように顔をしかめる絢斗を見ていると、戀はどうしてか泣きたくなった。代わりに、彼の手に指先を滑り込ませる。

「初めてだ」

 少し驚いたように目を丸くした彼は、ゆっくりと顔全体に笑みを広げていった。

「あー、やばい。これ嬉しいな」

 思ったよりも強い反応に引きかけた戀の手が大きな彼の手にぐっと握り込まれる。そしていつものように彼のダウンのポケットに入れられた。

「いつもしてるのに」

「結城からってとこがいいんだろ。すげー単純だな俺、一瞬で機嫌直った」

 その言葉通り、駅までの緩い坂道を彼は機嫌よく下っていく。


 帰りの電車は行きよりもさらに空いていた。日の光で暖められた座席に並んで座る。ぽかぽかを通り越して少し暑い。マフラーを外すと首元からすっと熱が逃げていった。

「寝ていいよ」

「でも乗り換えまで十五分くらいだよ」

「十五分でも休めって。疲れただろ」

 痛みを堪えた緊張と発熱のあとの躰はひどく重い。繋がれた手の確かさと規則正しい震動に、戀は少しだけ躰の力を抜いた。

「ごめんね」

「ん? なにが?」

「わたし自分のことしか考えてない」

「そう? 誰だってそんなもんでしょ。俺だって自分のことしか考えてないよ」

「でも少なくともわたしの企みはわたし本位のものだったから……」

 聞くよ、という意思表示なのか、繋いでいる手に一瞬だけ力が込められた。

「わたしね、友達がいないの」

「あの三人は友達だろ?」

「友達なのかな。まだよくわからない」

「あー、なんとなくわかるかも。こっちが信用してるかどうかより、相手が同じくらい信用してくれてるか自信ないんだろ」

 思わず横を見ると、絢斗は「なんかわかるな、それ」と呟いた。

「もしかして、三井くんもそういうことあった?」

「そういうことって?」

「友達の彼氏とったって言いがかり」

「あーあるねえ。こっちはそいつの女なんか知らないってのに、自分の知らないところで別れる理由にされた挙げ句逆恨みされるんだろ?」

「男子でもあるんだ……」

「そりゃ、性別関係なくあるでしょ」

 達観した言い方は一度や二度ではなかったことを物語っていて、彼があまり交友関係を広げようとしない理由が戀にはよくわかった。

「海音も同じでさ。海音はまあ、ああいう仕事してるぶん俺よりひどくて、でもあいつは文句言ってくる奴等もくるっと丸め込んじゃうんだよ」

「あー雑賀くんそういうとこ器用そう」

「俺はそういうの苦手だから」

「わたしも苦手だなあ。あんまりひどい言いがかりだと頭にきて正論言って逆ギレされちゃう」

「あーされてそー」

 彼が何でもないことのように軽やかに笑うから、戀もなんだか気が楽になった。

「ちょっとモテるからっていい気にならないで! とか言われても、知らない人から持て囃されたって怖いだけなのに」

「女子はそうだよなあ。男はそこら辺うまくやるヤツもいるから」

「三井くんは?」

「俺無理。一方的な好意をこれでもかって押し付けられると引く」

「そうじゃない人だっているでしょ?」

「いた?」

 逆に訊かれて、しばらく思い返してみたものの「いなかったかも」という答えしか出てこなかった。

「だろ? そうじゃない場合、もっと違うアプローチで来る」

「匂わせてくる感じ?」

「そうそれ。でもさー、それってはっきり言わないぶん、余計に鬱陶しかったりするんだよなー」

「自然といつのまにか、って現実では難しい気がする」

「たしかになー。絶対に何かしらの切っ掛けってあるよなー」

 こそこそと愚痴を言い合っているうちに電車はターミナル駅に滑り込んだ。


「駅ナカで何か食べていく?」

 んー、と唸りながら絢斗が戀をまじまじと見下ろしてきた。

「近所でなんか買って帰らね?」

「じゃあ、うちで食べる?」

「またレモネード作っていい?」

 テスト勉強のおともにはいつもレモネードがあった。充がビンゴか何かで当たったソーダメーカーをいたく気に入った彼は、炭酸を強めたり弱めたり自分好みになるよう試行錯誤していた。

「今日こそ、完璧レモネードができるはず」

 人混みをすり抜けるように歩く彼は、やけに自信たっぷりな顔でにっと笑う。短くカットされた黒髪にシャープな顎のラインが男らしい。

 背の高い彼は俯瞰的に周囲を見渡せるのか、隣を歩く戀を含めて人にぶつかることなく真っ直ぐ進む。二十数センチの視点の違いが羨ましくなるほど、人波にのまれることも蛇行することもない。


「何食べたい?」

「んー、さっぱりしたもの」

「俺がっつりしたもの」

 地元の駅前で隣り合うフレッシュ野菜のサンドイッチが売りの店と肉汁バーガーが売りのお店でそれぞれ食べたいものを買い、家路に就く。

「わたしずっと、なんで競合店が隣り合ってるのかなって思ってたんだけど……」

「俺も。今日めちゃくちゃ納得した」

「お肉が好きな人も時々野菜が食べたくなるだろうし、野菜が好きな人もたまにはがっつりお肉が食べたくなるし……」

「両方食べたくなるときもある」

「もしかして、野菜も食べたい?」

「ひと口」

 大人しかった彼のお腹の虫が思いっきり悲鳴を上げた。

 余ったら夕食にすればいいと多めに買って正解だった。行き帰りの交通費も昼食代も、戀が出そうとするたびに「自分が勝手についてきただけだから」と断られていた。行きよりも帰りの罪悪感の方が強い。




「あー食い過ぎた」 

 椅子に背を投げ出す絢斗の顔は満足そうだ。

 炭酸の強さを真剣な顔で調節し、四杯分のはちみつレモンが入ったカラフェに慎重に注ぎ、しっかりマドラーでかき混ぜる。出来上がった本日のレモネードは、ごくごく完璧に近い出来だったらしい。もう少し炭酸が弱い方がいいなあ、と眉をひそめる彼は職人を目指すだけあって妥協しない。戀には前回のレモネードと今回のレモネードの違いはわからない。そのくらい微妙な差だ。

「お腹いっぱいなのに炭酸飲んで大丈夫なの?」

「別腹。あっ、二杯目は少し炭酸が抜けていい感じ。完璧に近い!」

 ほら飲んでみて、と戀のグラスにも二杯目が注がれたものの、口に含んだところで違いが全くわからない。

「だろ?」

「んー、やっぱりよくわからない」

「全体が馴染んでのどごしがよくなった」

「そう?」

「そう。飲む二十分くらい前に作ればいいのか。だよな、炭酸の微調節より気が抜ける時間の調節した方が確実だよな」

 一人納得している。

 ふと戀に目を向けた彼がじっと見ていたかと思ったら次第に眉根を寄せいていった。

「ちょっと横になった方がいい」

「え?」

「疲れた顔してる。あの二人は今日何時に帰ってくる?」

「今日はこっちには帰らないんじゃないかな」

「こっちにはって?」

「充くんも幸ちゃんもちゃんと自分の家があるから」

 幸太は自分の実家に住み続けているし、充は職場近くにマンションを借りている。

「は? ここって結城一人で住んでんの?」

「言ってなかったっけ?」

「言われてない。一緒に住んでるんだと思ってた」

「わたしが子供の頃はさすがに同居してくれてたけど、充くんの仕事が忙しくなって仕事場に近いところにマンション借りたり、幸ちゃんが放置しすぎて実家が廃墟化してたりして、ここ何年かは二人とも行ったり来たりしてる」

「あ、だから、警備会社のステッカー貼ってあるのか」

 戀は必要ないと言ったのに、幸太と充が勝手に契約したのだ。最初の頃は何度か誤作動を起こしてしまい、駆けつけた警備会社の人に情けないやら申し訳ないやらで頭を下げまくった。

「だったらなおさら、男を家に入れんなよ」

 じっと戀が見つめると、たじろぐように顎を引いた彼が負けましたとばかりに天を仰いだ。

「俺ってそんなにわかりやすい?」

「わりと」

 彼はどちらかと言えば白黒はっきりつけたいタイプだ。グレーのままをよしとしない。自分の気持ちがはっきりするまでは手を出してこないだろうと、戀は高を括っている。

「それでも男には衝動というものがあってだな、」

 戀がじっと見つめたままでいると、彼は諦めたように溜め息をついた。

「俺だってしたくなったらするよ?」

「そのときは言ってね。勝負下着用意するから」

「あー、買う前に相談して。俺も一緒に選びたい」

 話すほどに脱力していく彼が笑いを堪える戀を睨む。

「あんま男のこと甘く見るなよ」

「大丈夫、三井くんだけだから」

 虚を衝かれたような彼の顔が次の瞬間には赤く染まった。

「そういうこと平然と言うなよ」

「結構ドキドキした」

「してない顔で言うな」

 もうずっと感じていた不安や苛立ちが彼といると薄れていく。それだけでも躰を差し出すだけの価値がある。そこに感情が伴うならば、きっと後悔はしない。

「誰かを好きになろうとするのって、とてつもないパワーだね」

「楽しそうだな」

 肩の力を抜くように彼が笑った。

「楽しくない?」

「そうだなあ、楽しい、かな。うん、楽しい。俺の方が振り回されてる気がするけど」

「そう? 振り回そうとは思ってないんだけど……わたしはすごく助けられてる気がする」

「そう? 俺は助けたつもりないけど」

「今日は、本当にいてくれてよかった。ついてきてくれてありがとう」

 急に背を正した彼の目が鋭く戀の瞳の奥を覗き込んできた。

「なあ、訊いてもいい? なんで急に不安になった? 直前まで平気そうだったのに、途中で不安になったのはなんで?」

 二人分のグラスを持って彼が席を立ち、ソファーへと促す。戀が端に座ると横になるよう言い、彼はソファーを背にして床に座った。正面切って話さなくて済むよう気を使ってくれたことがわかり、戀は素直にブランケットにくるまってソファーにころんと寝そべった。

「今日は、いつもいてくれる看護師さんがいなくて。子供のことからずっと担当してくれてる看護師さんで。子供が急に熱を出して早退したらしくて」

 どう話せばいいかわからないせいで、話が前後してしまう。

「それだけじゃないだろ」

「そう、なんだけど……」

「あの時、怖がってただろ? 痛みに対して怖がるのはわかるんだけど、それだけじゃないって言うか……なんかされたのか?」

「子供の頃にね、ちょっと」

「言える範囲で」

 容赦ない声に、戀は観念した。

「当時担当していた医師がちょっと問題のある人だったみたいで、失敗を装って何度もメスを入れてたの。わたしは痛みを堪えることに精一杯で、すぐに傷が消えるからしばらくは誰も気付かなくて。それに味を占めてどんどんエスカレートしていって。その看護師さんが気付いて叫んでくれたの。何してるんですか! って」

 振り返った彼の顔が怖い。

「担当医が変わって、それ以降は必ず処置の様子を撮影してくれることになって。その映像自体も研究に役立つからって。で、常にその看護師さんが付いてくれるようになって」

「あの二人は?」

「処置の時は外に出されるでしょ。でもそれ以降は常にどっちかが立ち会うようになって」

「だろうな」

「でも、二人とも辛そうで」

「そりゃ辛いだろう。大事に育ててる女の子があんな痛みに耐えなきゃならないなんて。誰だって代わってやりたいって思うよ」

「同じこと言ってた。毎回毎回、泣きそうになりながら代わってやりたいって」

「で、結城はそれが辛くて、もう平気だから一人で大丈夫って言い張ったんだろ」

 目を見開いたまま何も言えないでいる戀のおでこを彼の指先が弾いた。

「強がるのも大概にしろ。余計に心配かけてると思うよ」

「なんで……」

「うちの弟と一緒。心配かけまいと強がって、でも強がりきれなくて、自分で自分を追い込んで傷付ける」

 大きな手のひらが、戀の目元を覆った。

「そばにいるから、少し寝ろ」






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