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02 絢斗、提案にのる

「暫定彼女?」

 十一月末、期末試験を翌週に控えたその週の初めのことだった。

「そう。明確な期限があるわけでもないから期間限定っていうのもちょっと違うし、一応とか仮はなんとなくイメージじゃないし、偽っていうのはこの場合本質的に違うし、契約ってほど厳密でも事務的でもないから、妥当なのは暫定かなって」

 帰りがけに呼び止められた絢斗は結城 戀(ゆうき こころ)に、暫定的に付き合ってみないか、と持ちかけられた。

 明確な期限があるわけではないと言いつつ、短くとも高校卒業まで、長くとも二十歳くらいまで? と彼女は軽く首をかたむけた。

「わたしに不快感がなければ、だけど」

 不快感を抱くほど彼女を知らない。それが顔に出たのか、話を持ちかけてきたにしては、こちらの機嫌を窺うわけでもない彼女がにこりともせずに言った。

「わたしを知ることも含めて、付き合ってみませんか、って提案」

 そういうことか、と絢斗は溜め息をのみ込んだ。あの手この手で交際を申し込んでくる女子は後を絶たない。とりあえず付き合ってみないか、とは彼女たちの常套句だ。

「ああ、だけど、わたしのことを好きになってってことではないから」

「は?」

「そこのところの説明が難しいんだけど、好きになるなって言ってるわけでもなくて、好きになってくれって強要するわけでもないというか……うーん、説明が難しいな」

 そこで初めて彼女の表情が動いた。困ったようにほんの少し眉を寄せ、口元を心持ち引き締めた。

「たとえは変なんだけど、お見合いに似てる感じかな」

「結婚前提の?」

「そう。ほらお見合いって、結婚してもいいかどうか見定めるためにお付き合いするわけでしょ。それと同じで、お付き合いしてもいいかどうか見定めるために付き合う……ってなんか言葉は変なんだけど……」

「なんとなくわかる」

 彼女の困ったような顔がふと緩んだ。

「三井くんは、誰とも付き合う気ないでしょ」

 やけに断定的な言い方だった。

「暫定的でも彼女って存在、そう悪いものじゃないと思うんだけど、どうかなって提案」

「要するに、存在だけってこと?」

「そうだね、とりあえずはそんな感じ。だからって、不誠実なことはしないでほしいし、こっちもしない。お互いに嫌なことはきっちり話し合って、快適な関係を築く努力をする。可能な限り相手の要求にも応える」

「セックスも?」

 意地悪く訊けば、彼女は一瞬目を丸くしたものの、あっさり「それも含めて」と言い切った。

 彼女の態度は一貫してビジネスライクだ。

「結城は、俺のこと好きってわけじゃないんだな」

「そうだね、今のところは。こういう提案をするだけの好感は持ってるけど、それはあくまでも生理的嫌悪感がないってことに近いかもしれない。どちらかと言えば、信用に値するって感じが強い」

「信用ねえ」

「それもまだ信じてるってわけじゃなくて、信じられるような気がするってだけだけどね」

 彼女はほんの少しばつの悪そうな顔で微かに笑った。

 絢斗はさっきからずっと気になっていた。元々彼女は整った顔立ちをしている。近くで見ればそれはより一層顕著だ。顔のパーツが完璧な左右対称。しかも、眉を寄せても、口元を引き締めても、表情を緩めても、ばつが悪そうに頬を引き攣らせても、非対称にはならない。

「そっちの目的は?」

 どれほどの表情なら崩れるのか。まさか、どれほど顔を歪めても崩れないのか。

「目的……とりあえず、彼氏がいれば静かになるかなって」

 困ったような表情を見せても、彼女の左右対称は崩れない。彼女の表情は完璧だった。しかもよく見れば立ち姿は真っ直ぐ芯が通っていて、肩の高さも同じなら手の長さも同じ。躰全体が完全なシンメトリー。モデルでもやっているのか。彼女なら有り得そうだ。

「試験が終わるまで考えさせて」

「わかった」

 人気のない放課後のオレンジ色にそまる廊下を、結城 戀は艶めく黒髪を背中で揺らしながら、振り返ることなく立ち去った。




「彼女、モデルでもしてんの?」

 翌朝登校すると、教室前の廊下でしゃがみ込んでマンガを読んでいるのかぼーっとしているのか判断しかねる海音の脇に絢斗もしゃがみ込んだ。開かれたページにはやたらとグロテスクな絵が描かれている。おはよ、のあとで、相変わらずグロ好きだな、と声をかけることも忘れない。

「三流誌に一、二度小さく載っただけでモデルとは言わねーよ」

 現役高校生モデルである雑賀 海音(さいが かいと)の吐き捨てるような言い方が小気味好かった。海音の視線の先には女王然とした細川 珠希が取り巻きの女子たちに何かしら指図している。

「あれじゃなくて」

 視線で自席からぼんやりと窓の外を眺めている彼女を示すと、海音は「ああ」と声を潜めた。

「落ちないんだよ、どこの事務所にも。彼女、業界内じゃあある意味有名。モデルもダメ、女優もダメ、タレントもダメ、キャスターもダメ。芸能界に一切興味がないの一刀両断」

 海音が身振り手振りで大袈裟なほど落胆してみせる。

「彼女の生い立ちもあって、どこの事務所も喉から手が出るほど欲しがってる」

 大手芸能事務所に所属している海音は、高校卒業後はモデルから俳優に転向することが決まっている。

「絢斗以上に手強い」

 絢斗も海音の友人ということもあって何度かスカウトされている。海音からも小遣い稼ぎだと思えば、と勧められているが、絢斗にその気はない。そもそもカメラの前でポーズや表情を作れるほど器用でもない。

「生い立ち?」

「そう、子供の頃の事故で家族全員いっぺんに亡くしてるんだよ」

 両親にその両祖父母の六人を一度に亡くしたらしい。家族旅行中の事故。

「確か父親の兄弟に引き取られたんじゃなかったっけな」

「よく知ってんな」

「これも業界じゃある意味有名。でっかく記事になったんだよ、奇跡の生還って。そのときの写真が美少女すぎるって一気に全国区」

「まさか、彼女も事故に?」

「そう。全員即死の中、彼女だけが奇跡的に無傷。おそらく家族全員が躰を張って彼女を守ったんだろうって話」

 ハンドル操作を誤って家族全員が乗ったワンボックスカーは崖下に転落したらしい。


 一晩考えても彼女からの提案の答えは出なかった。受けるという結論が出ない代わりに、断るという結論も出ない。これまで拒絶一択だった絢斗にとって珍しいことだった。

 ざっとかいつまんで海音に説明すると、海音がしたり顔で頷いた。

「その提案したの俺」

「は?」

「あのクソ女に対抗するには結城くらい持ってこないと。実は結城も先々週だったか、三年のクソ野郎にしつこく付き纏われているところをたまたま俺が助けてる」

「おまえら知り合い?」

 思わず絢斗が尋ねると、海音は呆れた顔をした。

「同じクラスだろ。あと、偶然だけど俺のヘアメイク担当してる人が彼女の知り合い」

 彼女は男女含め、特定の誰かと親しくしている様子がない。かといって無視されているわけでもなく、なんとなく遠巻きにされている。彼女自身それを気にした様子もない。絢斗も海音と連む以外は似たようなもので、おそらく気楽さから一人でいるのだろう。

 このクラスにはどういうわけか絢斗や海音を含め、少し人と距離を置きたい人間が他にも何人かいる。そのせいか一人でいてもそれほど目立たない。

「だったら、なんで相手は海音じゃないの?」

「俺? 俺はダメ。でかいCM決まったんだよ。身辺に気を付けろって口酸っぱく言われてる」

「へえ。なんのCM?」

「車。免許取ったら最初に乗りたい車ってコンセプトで売り出すらしい。で、実際にこれから免許取る十七から十八歳までの男女のオーディションで見事に勝ち残ったってわけ」

「すごいな」

「すごいのは事務所だよ。でもまあ、あのアイドル事務所と張り合って競り勝ったんだからうちの事務所もなかなかのもんだよ」

 自分の手柄だとは一切思わない海音は、だから周りに可愛がられている。

「海音の実力もあるだろ」

「だったらいいけどね。まだそう言えるほどじゃないよ」

 謙遜ではなく悔しさが滲んでいる。それなりの苦労があることは絢斗もかいつまんで聞いている。男の嫉妬は本当に陰湿だ。

「それにな」と海音が苦笑いする。「彼女、俺じゃダメなんだってさ」

「は? なんで?」

 絢斗に告白してくる女子の半分は海音狙いだと絢斗は睨んでいる。絢斗を介して海音に近付こうという下心や媚びが透けて見える。

 今思い出しても彼女にはそれがなかった。

「さあ。理由は教えてくれなかった。彼女自身もよくわかってないみたいで、なんかダメっぽい気がするって言われたんだけど……絢斗がよくて俺がダメって、俺の何がダメなわけ?」

 ぐっと顔を寄せてくる海音を手のひらで押しやる。

「知らねーよ。そういえば俺にも、そんな気がするとか割と曖昧な言い方してたけど……」

「いつ持ちかけられた?」

「昨日の放課後。特別棟で声かけられた」

 中高一貫校のおかげで、中等部の技術室を借りることができる。この学校の技術室は機械や工具が充実しているうえに専任の講師も週に二回来るため、絢斗は都度顔を出して講師から色々教わっている。

「特別棟かあ。あそこなら人目はほとんどない。抜け目ないな、彼女」

 中等部と高等部が共有する特別棟は化学室の薬品やそれこそ技術室の工具などがあるため、学生証を通さないと入れないようになっている。IDさえ通せば誰でも立ち入れるものの、記録が残る行動をあえて取る者は少ない。

「海音が教えたんじゃないの?」

「木工通い? 俺じゃない」

「じゃあなんで知ってたんだ?」

「尾行とか?」

「尾行されてないか毎回確認してる」

「彼女の方が上手だったんだろ」

 なんとなく悔しい気がする。海音にまで「お、珍しく悔しがってる」とからかわれた。






「いいの?」

 保健室を出てすぐの問いかけ。

「なにが?」

 と言いつつ、絢斗は彼女が何を言いたいのかわかっていた。

 すぐ隣を歩く彼女はまだ熱っぽく、時々ふらっと足元が覚束なくなる。その度に絢斗が肩や腕を支え、彼女の熱った頬が一層赤くなる様子を、まじまじと観察していた。

 あんな提案をするくらいだから男慣れしているのかと思えばそうでもないらしい。腕に掴まれと言っても遠慮なのか恥ずかしいのか単に気が強いのか、大丈夫、と言ってはふらついている。

「今回のことを負い目に……感じてるわけじゃないよね」

「悪かったと思ってるし、正直助かったって思ってるけど、それとこれとは別」

 だよね、と彼女はどこかほっとしたように訝しげな表情を引っ込めた。

「じゃあ、なんで?」

「そっちの説明が先」

「んー、じゃあ、このあと時間ある?」

「なくても作る」

「だよね。あんまり人に聞かれたくない話だから……」と彼女はポケットから取り出したスマホを操作する。「今日うち誰もいないから、うちでいい?」

「平然と誰もいない家に誘うなよ」

「ん、でも彼氏でしょ?」

 彼女は、ふふ、と悪戯っぽい目で笑った。笑いながらふらついて、絢斗は慌てて彼女の肩を支えた。ほっそりとした肩は絢斗の手のひらにすっぽり収まる。

「結城って、割といい性格してんな」

「割とって言うか、性格悪いよわたし。かなり打算的だし」

 そうだろうな。保健室で彼女は畠山をまんまと丸め込み、絢斗の処分を反省文一つで済ませてしまった。

 理由はどうあれ刃物で人を脅したのだから退学かよくて停学だろう。しかも本当はその弾みで人を刺している。本来であれば警察に連行されていてもおかしくない。

 そのかわり、と言う彼女の提案に畠山は一も二もなく飛びついた。

「いいのか? 大学受験」

「受験するだけならね。行く気はないけど」

 学年で一、二を争う才女が進学しない。これが教師たちの頭痛の種だったらしい。

「費用は俺が出すから」

「大丈夫。言質通り出してもらうから」

「あの勢いだと、入学金も出すから入学だけはしてくれって言いそうだな」

 畠山が自腹を切ってでも受験料を負担すると息巻いていた。彼女が目を伏せながら「受験料が馬鹿にならなくて」と心細そうな声を出したからなのだが、鼻息を荒くする畠山に隠れてぺろっと舌を出していたのを絢斗ばかりか養護教諭も担任も目にしている。

「学校の闇だよね」

「なんだそれ」

「今わたしの中で流行ってるの。学校の闇探し。七つは見付けたい」

 あまりに子供っぽくて、絢斗は呆れるよりも面白く思った。

「見付けたら俺にも教えて」

 二人が並んで歩く姿は、放課を迎えたばかりの周囲の視線を集めていた。

「絢斗! 大丈夫なのか?」

 前方から海音が駆け寄ってくる。学校ではあまり見ることのない、やたらと高そうな服を着ている。

「あれ、海音今日いなかったよな」

「急な撮影入ったって言っただろ。黒田から連絡来て、慌てて来てみれば……」

 なんでけろっとしてるんだ、とでも言いたげに睨まれた。

「それより結城! 平気なの?」

「ん? なにが?」

「刺されたって言い張ってるヤツがいて」

 教室に到着すると、海音は周りの視線から、特に一部女子の視線から彼女を守るように盾になった。こういうことを自然とできてしまうところが海音のすごいところだ。

「刺されてたら普通に歩いてないと思うよ」

「彼女熱っぽいんだよ。養護の森さんと家まで送っていくから」

「あっ、じゃあ、そっちが本当? 熱でふらついた結城を絢斗が支えたって話」

「そっちが本当。三井くんもそう説明したんだよね?」

 無言で頷くと、周りの視線が一気に緩んだ。刺されたはずの彼女がけろっとしている上に、本人からの否定だ。鬱陶しいヤツらも黙るしかない。

 察しのいい海音は事情も知らないくせに会話を合わせている。

「なんだよ黒田! ビビらせんなよ。慌てて来たせいでこのクソ高い服買い取りだよ!」

 振り返って黒田に詰め寄っていく海音を彼女はどこか他人事のように眺めていた。






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